家と家
「もう東京に来てずいぶん経つねえ」
先日、高校時代からの友人と会った際にそんな話になった。
私も彼女も進学を機に東京に出てきた口で、今は卒業してそれぞれの仕事に就いている。
学生時代は互いに時間もありよく遊んでいたものだが、「社会人になるとなかなか時間がとれないね」、なんてことを話していた。ので、久々の再会には心躍ったものだった。
「なんだかんだ地元から遠いから、東京に来る人ってあんまりいないよね」
私も彼女に同感だった。
「都会に住んでみたい」という憧れはありつつも、大阪や京都等関西の都市が近い地域が地元だと、「東京まで行こう」という気はなかなか起きない。
私自身、東京に来て間もないころは心細さに友人たちに電話をかけていたものだ。
彼女は、そんな中で東京で気軽に会える存在の一人だった。二人で「今期の単位ヤバい!」とか言いながら、「高校の時の先生今こんなことやってるらしくて~」という地元話や高校時代の話ができるのはありがたかった。
上京すると決めたのは自分だが、ふと一人でいると偶に自分の足場が覚束なくなるときがある。
それはきっと、都会の大人数の喧騒の中、「自分」という「個」が埋没してしまうような、不安を伴ったものなのだろう。
いうなれば、帰る場所がないような。
そんなときに、同じく地元から上京してきた友人の存在はとてもありがたかった。「地元の商店街に新しい店ができたらしくて」なんて何気ない話をする中で、「自分の場所は本当にあるんだ」と実感できて安心した。
そんなときは、地元に帰っていないのに、不思議と家に帰ったような気がしたのだ。
思うに、「帰る場所」というのはそこに自分の居場所がある安心感からなるのではないかと思う。
今は東京に来てしばらく経っているので、私にも東京で出会った人との関係性がある。こちらで出会った友人たちとたわいもない話ができるようになった時にも、「帰ってきた」ような安心感があった。
きっと、その時に東京も「私の家」になったのだと思う。
東京で地元の子と会う時、大学時代の友人と会う時。
地元で中学や高校の友人や家族と会う時。
今の私にはどちらにも安心感がある。
どちらも、「自分の家」だと思えるのだ。
こんなことを感じる時、私も「東京」という街になじめたのかな、という気持ちと同時に、遠く離れてしまっても変わらず仲良くしてくれる人たちには感謝しないとな、と改めて思うのだ。
今度の休みは久しぶりに地元の「家」に帰ってみようかな。
Written by yuuun