#1 共存・共感・共創
初めまして。
2023年1月より東京23FCアカデミー統括兼U-18監督をさせて頂いている井坂と申します。
東京23FCは様々な方たちから支えられて、活動をすることができています。
そして、そのアカデミーがどのような活動をしているのかを発信することで、さらにクラブを応援してもらえるよう努めていく中での一つの活動となります。
今回、noteによるブログ開設ということで、自己紹介からさせて頂きます。
自分が今までどのようにサッカーに携わり、どんなサッカーコーチなのかを少しでも知って頂けると幸いです。
【今までのサッカー人生の振り返り】
■小学生時代
4、5歳の時からサッカーボールで遊んでいる記憶はあるのですが、
ちゃんとサッカーを始めたと認識しているのは小学校に上がるタイミングになります。
その年は2002年。日韓ワールドカップ。
日本中のサッカー熱が最高潮の時であり、なおかつ町田はサッカーが盛んであることもあり、サッカーをするのは自然な流れでした。
自分はクラブチームであるFCトリプレッタ町田Jrに所属して6年間お世話になりました。
少年団と違い、サッカーコーチにサッカーを教わることができ、サッカーにのめり込むことができたと感じています。
周りのチームメイトにも恵まれ、町田市の大会では上位に位置して、個人では町田市の選抜に選んでもらったりと将来の夢はプロサッカー選手でした。
さらに、切磋琢磨しながら成長していく中で、小学4年生の時には、FC東京のアドバンスコースに合格して、レベルの高い人たちとサッカーをする環境を掴むことができました。
そこでは、2個上に橋本拳人選手(現 SDウエスカ)、一個下には小泉佳穂選手(現 浦和レッズ)、同学年には山口一真選手(現 町田ゼルビア)、矢島輝一選手(現 大宮アルディージャ)などがいました。
しかし、この環境での活動で自分は、当時小学6年生ながらに『プロサッカー選手になるメンタルを持ち合わせていない』と強く感じてしまいました。この環境に所属してすぐに腰椎分離症になりサッカーを半年間できなかったことで大きく出遅れたことも影響したとは思いますが、上手・下手以前に自分の主張・表現ができない、プレーの波が大きい、周りと比べてしまい自信がない…など。
あの当時のトップを走ってサッカーしている人たちの輪に入ることはできませんでした。
そして、今思えば、早いですが、プロサッカー選手の夢をあきらめて、でもサッカーは好きだったので、サッカーコーチになることが夢になりました。卒業文集にも将来の夢をサッカーコーチになると書いていました。
■中学生時代
中学では、ジュニアチームからの持ち上がりでFCトリプレッタ渋谷JYで3年間お世話になりました。
普通であれば、サッカーノートを書くとなったら、自分のプレーの振り返りになると思いますが、当時、サッカーコーチになるために、毎回の練習メニュー、その練習でコーチが全体に何を言っているかをノートに記録していました。
サッカー選手としては相変わらず、メンタル的に安定せず、試合、特に公式戦で活躍できずに身長が小さく、足が遅い、ただ少しボールテクニックがある。程度の選手でした。
高校の進路を考える際に、このメンタルをどうにかしたいと思い、今までと全く関係のない環境で高校サッカー選手権全国出場の可能性がありそうな学校を探しました。そこで見つけたのが向上高校になります。
■高校生時代
向上高校に無事合格して、サッカー部で3年間お世話になりました。
当時は県ベスト4常連で、ユニフォームはバルサカラー。
自分の代の部員は部活体験の際には70名程度いたと思います。
そこで2週間近く『走り』でふるいにかけられ、最終的には50名くらいになったと思います。
自分はメンタルを変えに来ているし、高校サッカーと言ったらみたいな感じだったので、その時は特に何も感じていませんでした。
そこから、『走り』は多いですが、ようやくボールトレーニングも始まりました。5月に1年生リーグのメンバー選考のための紅白戦があり、そこで監督に目をつけてもらい、20名のメンバーに入ることができ、さらに、10月にBチームに合流し、公式戦を戦い、1年生ながら2、3年生が中心でしたが、自分を主張し、自分のプレーを表現できました。
そして、12月には、Aチームに合流しました。
少しずつですが、サッカー選手としてうまくいき出した感覚はあったのですが、合流した1、2月は大きな大会もないため『走り』が多くなります。
自分は足が遅い上に、持久力もありません。タイム制があることでチームメイトの足を引っ張っていることは明白でした。
もちろん走れない選手はAチームにいれませんから、1ヶ月持たずに、Bチームに降格しました。
今考えれば、高校サッカーはそういうものだし、わかって決断したはずなのに、
自分はサッカーのプレーで評価をされていないのではないかと思ってしまいました。
このような状況だとパフォーマンスも良くなるわけもなく、
2年生の時にはBチーム、
3年生では、Cチームになり、自分の中のサッカーの熱が冷めていくことを感じていました。
2年生が終わり、春休み期間、春合宿で、
当時の外部指導の指導者の方に
『普段の練習と試合のスタメンの選考を任せる』と言われました。
そこで初めて、メニューの作成、メンバーの選定の難しさを経験しました。
部活の友達をスタメンから外すことはとても神経を使う行為ですし、明確な理由がなくてはなりません。
さらに、自分をスタメンに入れることで覚悟を持ったプレーが自然と引き出されました。
立場が人を変えてくれるとはこのことだなと今振り返ると思います。
その後、高校サッカー部を引退して、サッカーから距離を置き、大学の進路を考える際に、今後の人生でやりたいことを考え始めました。
ここで、自分はサッカーから離れ、高校3年間を振り返った時に、2つ考えました。
❶『厳しさだけでしか、人は成長できないのか?』
❷『自分みたいにメンタルの問題を抱え、身体能力が低い選手でも成長し、活躍してもらえるようなサッカーコーチになりたい!』
と思うようになりました。
とはいえ、サッカーコーチだけでは将来の不安もあったため、勉強はそこそこ得意だったこともあり、数学の先生をやりながら、サッカーコーチをする道を目指しました。
推薦で日本大学文理学部数学科に進むことになり、知り合いの指導者に相談したところ紹介されたのが日大鶴ヶ丘高校でした。高校卒業前の段階からコーチとして、関わらさせて頂きました。
■大学生時代
日本大学文理学部サッカー部に所属して、運営を学生だけでやっているため考えることは多く、
この4年間はサッカー選手とサッカーコーチを両立することで、2つの視点でサッカーに接することで、多くの経験と学びを獲得できました。
平日は、午前中、朝6時7時からサッカー部の朝練をやって、大学の講義。
午後は、日大鶴ヶ丘高校サッカー部、FCトリプレッタ町田Jrに指導に行くか、個別学習塾で数学と英語を教えていました。
日曜は、自分の試合と指導しているチームの試合に行くという大学生らしかぬ生活でしたが毎日が充実していました。
そして、大学3年生の終わりごろから進路について考え始め、
その時に多くの方たちと関わることで、サッカーコーチとして生きていく道も模索し始めました。
結局、教育実習もお世話になった日大鶴ヶ丘高校の数学教員としてかつサッカー部コーチとして働かせて頂くことに決めました。
■現在
その後、静岡県の富士市立高校さんと練習試合をした際に衝撃を受け、その高校について調べたところ、その下部組織のような形態のクラブチームFC富士があり、一貫したサッカースタイルで指導されていると知り、日大鶴ヶ丘で同じようなことができないか、監督と相談しながら進めていきましたが、コロナもあり失敗に終わってしまいました。
今思えば、コロナでなくとも失敗していたなと思っています。まだまだサッカーコーチとしても、社会人としても、覚悟が足りなかったなと感じています。
さらに、サッカー指導者として、サッカーに加え、脳科学・心理学の学んだことで、高校時代に感じていた『厳しさだけでしか、人は成長できないのか?』についての疑問も自分なりの納得解を見つけることができました。
そして、2021年に東京23FCのU-18監督をやられていた大学サッカー部の一個上の砂川さんより『ジュニアユースを設立するから、1期生のコーチをして欲しい』と打診を受け、新しい環境、新しい挑戦をしたいと思い、東京23FCで働かさせいただく事となりました。
2022年4月から本格的に活動を始まった東京23FCジュニアユースですが、初めは試合に勝てず、練習試合でも公式戦でも負けが続いてしまいました。
自分の力のなさを感じつつ、選手がより良くなるために今できることをやるしかないと思いながら、仮説と検証を繰り返した1年間となったと思います。
少しずつではありますが、試合の内容、結果ともに当初に比べたら改善されてきたと個人的には感じています。
【自分はどんなサッカーコーチなのだろうか?】
ここまで、今まで自分がサッカーにどう携わらせていただいてきたかをお伝えさせてもらいました。
自己紹介をするにあたり、自分は何を大事にしていてどんなことを日頃考えてサッカーコーチしているのかを整理しました。
そして、この今までの経験より
選手と自分が常に対等であり続ける共存関係であることが自分のモットーとなっています。
提案はするけど、強制はしない。
説得するのでなく、納得してもらう。
『選手に徹底的に寄り添って、共感し、サッカーが楽しくいつのまにか成長してもらえる』ように努めています。
ただ、この楽しいというのは、できなかったことができるようになることなので、真剣に取り組んでもらえるように選手と接しています。
また、身体能力が低くても、サッカーで活躍できるために必要なスキルや考え方、戦術を落とし込めるよう日々試行錯誤を繰り返しています。
アカデミーの選手に対して、一生に一度しかないこの目の前の活動を全力で取り組んでもらえるように行動するという大前提がある中で、
『短期的成功より長期的成長』を意識して日々接しています。
さらに、2023年度より多くのコーチ・トップチームの選手が東京23FCアカデミーにスタッフとして関わってくれます。
経験や実績がある優秀かつ人間的に素晴らしい方たちと一緒に東京23FCアカデミーという環境を共に創っていきます。
2023年2月 アカデミー統括兼U-18監督 井坂雄介