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キュートアグレッションに気をつけろ!

「お前さぁ、私がもしお前のことを食べようとしてる狼だったらどうすんの?」

この安心しきった寝顔に何度そう問いかけただろうか。

「だってぜったい違うも〜ん、ほらほら撫でてよはやく撫でろよ」

とでも言うような惚けきった小癪で愛くるしい顔に、反論の一つもかませたことがあっただろうか。

当然ある訳もなく、こちらも惚けきった顔で彼の満足いくまで撫で回すことになるのだが。



……舐めていると痛い目を見るぞ。私はお前を食べたいという衝動に毎日駆られている。
私は狼の如くお前のその白い腹に爪を立て、ハリのある太ももの筋肉に喰らいつき、全てのものに愛されるべく生まれてきたような顔を丸飲みにしたいと思っているんだぞ。



キュートアグレッションという言葉がある。「可愛いものへの攻撃性」と訳されるそれは、要するに「可愛すぎて食べちゃいたい!めちゃくちゃにしたい!」とかそういう感情のことらしい。


これを初めて知った時、純粋な驚きと嬉しさが胸を満たした。自分の今まで何度も抱いたことのある、形容しがたく口にも出しづらいこのめちゃくちゃな感情に名前があるのかと。この概念を通じて他者と共有しあえる感情だったのかと。


言わずもがな、圧倒的に可愛い対象がうちに来たその日から私はこの感情と、いや衝動と戦い続けている。
先程の表現はいささか直接的すぎるが、彼のことが可愛すぎて可愛すぎて本気で食べたいと、毎日幾度となく思っている。


人間やその他と違ってその気になれば物理的にいともたやすく食べてしまえる存在だというのがまた恐ろしい。もし私の精神が錯乱してメンヘラ気質を発動することがあったとしたら、簡単に目の前の小さな首に手をかけてしまうんじゃないか。この衝動は私にそんなことすら思わせるほど、鮮やかで鋭いものに時々なる。


愛情と暴力性はこれだから紙一重だなと思った。可愛いものを見た時も攻撃的になる時も、ドーパミンという同じホルモンが分泌されているらしいから、当然といえば当然なのかもしれない。

それに、漠然とした「食べたい」という欲求は愛情と深いところで結びついているんじゃないかと思う。よくある「好きな人とひとつになるくらい抱きしめ合いたい」とか、そういう「一体化したい」という衝動は「自分の中に取り込みたい」になるものでもあり、それを結局わかりやすく単純に「食べたい」と表現しているような。

口に入れる、という行為自体、人間は本能的に好きなものでないとできないらしい。だから好きな人とはキスしたいと思うし、嫌悪の対象に吐き気を覚えるという生体反応があるのだろう……



かわいすぎて、いとおしくて、たべてしまいたい。小難しく考えてみても、やっぱり正当化される感情だ。愛情とは相手との一体化を求める感情なんだ。道の先でその感情がこじれきってしまわないためにも、毎日バカみたいな顔をして「かわい〜い、食べた〜い……♡」とやっていることが案外正解なのかもしれない。

私は結局狼であるかもしれないし、少なくとも自分の感情をしっかりと正当化してしまった。




哀れ、彼はそんなことなどつゆ知らず、安心しきった顔で今日も寝ているのだ……♡

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