日本語がしゃべれなかった男の物語(浪人時代その4)

福岡に全く知り合いがいない私は、絶望感でかなり落ち込んでしまった。が、一方で路頭に迷うとはこのようなことか、でもきっと何とかなるさと妙に楽観的になる自分もいた。さすがに親には顛末を話さざるを得なかったが、飲酒したことについては言えなかった。受験前の大切な時期に部屋探し等に時間を取られるのは痛かったが、同じ退寮の仲間の中原君の友達(近くの大学に通う同級生)の紹介で3月迄の入居という条件で下宿先が見つかった。2階の4畳半の和室で夕食付きで月3万円の学生専門の下宿だ。机は無し暖房機器もない、窓はサッシではなく3方からすきま風が吹き込むような部屋であった。あまりの寒さに小さな炬燵を購入し、暖房機器兼机代わりとして使った。この年は寒い冬だったらしい。今と違い1970年代後半は、福岡は寒くて度々雪が降っていたようだ。下宿に引っ越してきたのが12月28日、大みそかには大雪となった。奄美では雪は降らず雪を見るのは初めての経験、それも大雪だ。下宿の2階から見える庭はしんしんと降り積もる雪に覆われ、真夜中なのにまるで昼間のように明るくなっていた。初雪を見た感激と明るくて眩しいくらいの不思議な雪景色に見とれてしまい、とうとう朝まで眠りにつけなかった。世間が新しい年を迎えようとしている中、一人寂しく正月を迎え、身も心も寒く自分の行く末について不安はどんどん募っていくばかりであった。続く。

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