日本語がしゃべれなかった男の物語(浪人時代その2)
通っていた予備校は福岡市の中心部にあり、寮からはバスで約1時間程度かかった。直ぐ近くには地場の大手予備校があり福岡の大手予備校の双璧として競いあっていた。このため、周辺は浪人生が溢れ、通称親不孝通り(現在の親富孝行通り)と名付けられた。予備校の授業は英数国を中心に真面目に受講した結果、入学後3ケ月経過した頃には自分でも驚くほど成績が伸びてきた。現役時代に本格的な受験勉強をしてこなかったので伸びしろがあったのかもしれない。目指す国立大の文系は、英数国と理科(地学、物理、生物、化学から1科目選択)社会(世界史、日本史、倫理社会、政治経済から2科目選択)の5教科6科目である。短期間で学力の向上を目指し、予備校の授業は英数国に絞り、理社は寮で過去問を中心に勉強することにした。夏が過ぎる頃には偏差値は福岡市内にある旧帝大も合格圏内に入ってきた。しかしながら心配なのは国語の成績だ。ずっと苦手な科目だったので成績は安定しない。読解力が必要な問題は諦めて、それ以外の設問でいかにして60点を取るかに注力することにした。国語を除けばほぼ合格圏内をキープしていたが、人生とは不思議なもので受験3ケ月前に試練を味わうことになる。気の緩みから寮の仲間と一緒に退寮処分を受けることになろうとは。街はクリスマスで賑わう雪がちらつく寒い日の夜であった。続く。