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「忠臣マッカーサーの銅像建立」の建策(2)

マッカーサーは「犠牲」というものに特別の価値を置いていたようです。

真珠湾攻撃での宣戦布告の遅延のことを「東条のトリック」(そのとき昭和天皇は大使館の事務的ミスだったことを知らなかった可能性があります)と言った昭和天皇について「命を差し出した」ということをもって震えるほど感動したと述懐しています。人類のために犠牲になって十字架にかかったイエスの姿をだぶらせたのだと思います。 

そのマッカーサーが皇太子(上皇)の誕生日に東条らの絞首刑の日を重ねたことは、あえてその死に「新日本建設のための犠牲」という栄誉を付与したものと捉えることはできないことでしょうか。

いかにマッカーサー占領軍総司令官といえど東京裁判の判決を執行停止にする権限はありません。東京裁判の主催者はマッカーサーですが、最高意思決定機関である極東委員会の下にありました。そもそも本国の世論が許しません。マッカーサーができたのは、せいぜい処刑の日の決定ぐらいのものでした。 

 米国民は、真珠湾攻撃という卑劣を行った人類の敵、ナチスと同じ残虐非道な民族、日本人がいかにマッカーサーに平服し、その躾によって礼儀正しく教育されたかという成功談を期待していたのです。

 東京裁判によって明らかにされた日本の非道を明らかにし正義が実現された「勧善懲悪」の話を待ち望んでいたのです。その時点においてマッカーサーは共和党の最有力候補、彼を解任したにっくき民主党のトルーマンなど敵ではないという勢いでした。  

 それを、「日本人は少年のように善良で純真で無垢」であり、その戦争は「主として防衛のためでした」と語ったのです。アメリカ人の落胆はいかばかりか……。

 そこには、東京裁判で認定された野心に燃えた日本像、日本人指導者像は跡形もなくありませんでした。少なくとも、それはA級戦犯の「平和に対する罪」の全面否定でした。 

 マッカーサーは自身の「野心を犠牲」にして真実を語り、日本の名誉を守ろうとしたのです。これは歴史問題における日本の勝利であり、昭和天皇の御稜威(み・いつ)です。 

(R4/11/26  MLへの投稿から)

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