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週刊金曜日の編集後記から

月刊「創」12月号に長年「週刊金曜日」の発行人・編集長を務めていた北村肇氏の原稿が掲載されていた。「週刊金曜日が生き残るための奇跡を信じたい」がそれである。「週刊金曜日」を支える左派リベラルの読者層の実情が詳らかにされていたのでとても面白かった。長年、若い世代を取り込もうと頑張ってきたが、すべて失敗したこと、「機関紙にはしない」と誓ってきたが、読者には逆らえない。その読者が高齢化し、じり貧状態であること。しかし、「週刊金曜日」が、生き延びるには、逆説的ではあるが、高年齢層の読者と心中するしかないという現実があることが綿々と綴られていました。そこで、後を継いだ上村隆氏発行人、小林和子編集長による週刊金曜日の実態に関心が移ったので、久しぶりに週刊金曜日11月30日号(創刊25周年)を買い求めて読みました。

半藤一利にインタビューした「薩長史観の呪縛から逃れ、敗者の側から歴史をみよ」は面白かった。どこが面白かったかというと、一世一元の創作、靖國神社の建立、教育勅語が「薩長史観」としてあげられ、批判の対象となっていたことはもとより、それらをまとめて、「薩長の暴力による権力奪取を歴史的必然と見なしてはならぬ」という見出しが掲げられていたことである。

そこに「歴史の必然」というマルクス主義的階級闘争史観の常套句がいまだにつかわれていることに感心したのです。そうだ、そうだ。僕も、明治維新が「歴史の必然」とは思わない。しかし、「歴史の必要」はあった。明治維新なかりせば、日本は清国と同じく、欧米列強、とりわけロシアの植民地としての歴史を歩んだであろう。明治維新は、歴史の必然ではなく、歴史の奇跡だと思っているから。それに、「敗者の側から歴史をみよ!」というスローガンは、まさしく大東亜戦争を闘った敗戦国日本の側から歴史をみよ!という局面で妥当するものであるが、なぜか、半藤らは、これに対して「歴史修正主義者」のレッテルを貼って、その見方を否定しているのだから、彼らの立場は「歴史」ではなく「政治」だということが歴然とする。あとは、辛淑玉の「どたばたドイツ日記」が出色の出来。ドイツとフランスのどうしようもない日常を描いています。これを読めば、「日本はなんて弱者にやさしい国なんだ!」となるはずなのですが・・・。   

さて、この駄文をかこうと思った動機は、編集後記にありました。創刊の原点に立ち戻るべく改革を進めております、とありますが、その原点たるや、原田成人編集員が書いた韓国大法院の徴用工判決に関する文章にくっきりと現れていました。曰く、「韓国大法院の元徴用工への賠償判決は日本メディアの歴史修正主義への傾斜を改めてはっきり見せつけた。『朝日新聞』ソウル支局長牧野愛博名で書かれた10月31日朝刊1面の記事では、韓国では<政治が世論に迎合しやすい例えとして
「法の上に『国民情緒法』があるともいわれる」という目を疑うような文言が書かれている。記事冒頭には<判決は日本の政府や企業にとって受け入れられないものだ>と書かれ一見中立風ではあるが、牧野氏の立場が奈辺にあるかは自明だ。同日の社説もほぼ同様の見解で、今までの「友好」が壊れるので、「韓国政府は事態の悪化を食い止めるような適切な行動をとるべき」という。戦争責任もまともに果たさぬままの「友好」など驕り高ぶった日本社会の妄想にすぎない。」と。

日本の保守論壇が、朝日の韓国判決に対する記事や社説の偏向を厳しく批判していたことを思うと、週刊金曜日側からの批判は、世論の状況を量るうえでとても面白い。

まだまだ、教師や弁護士、大学教授、マスコミ人といったインテリ層では、こうした考え方が根強い。この似非インテリの岩盤は、多少揺らいできたが、まだまだこうした主張が学会や日弁連等では支配的です。ネットで議論している方々は、気付いていない向きも多いのですが、これが日本の現実であることも頭に入れておいて下さい。そうすれば、安部首相に対しても、少しやさしくなれると思います。 

(H30/12/12)

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