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忠臣蔵の尊皇メッセージについて(3)忠臣蔵考ー日本人の誕生ー
●忠臣蔵の尊皇メッセージについて(1)
●忠臣蔵の尊皇メッセージについて(2)
●忠臣蔵の尊皇メッセージについて(3)忠臣蔵考ー日本人の誕生ー
新年早々、「忠臣蔵」のことを考える時間が得られてよかった。
日本がいつ、国民国家となったのか、日本にいつ日本人が生まれたのか。インテリ気取りの弁護士仲間(左翼もいる)で議論となると、この問題はどうしても外せない。
左翼は、日本人が成立したのは明治維新だといって譲らないのである。それまでは、天皇や朝廷のことなど、人民は知らなかったというのである。幕府の高級官僚と諸藩の権力者、そして一部のインテリ知識階級(儒者と医者)しか知らなかったというのである。違うであろう。日本は万葉、古事記の編纂という国家事業を行い、女性の活躍によって「ひらかな」を定着させ、多くのものが読み書きの力を手にしてから、ずっと時の政権の背後にある天主様を仰ぎ見ていたんだ、といいたくても、言い返す術がなかったのが口惜しかった。
今、分かった。「忠臣蔵」だ。
江戸や大坂の町衆が、職人や商人があれほど「忠臣蔵」に熱中し、赤穂藩の義士を讃えたのか。当時、国中のインテリ階級の儒学者ら(伊藤仁斎、荻生徂徠、が二分して喧々諤々の議論を繰り広げて「忠義」を論じ、江戸や大坂の庶民は喝采し、泉岳寺に多くの庶民が押し掛け、赤穂事件を室町時代に翻案した仮名手本忠臣蔵は大当たり。
大坂や江戸の庶民は、忠臣蔵の忠義が「公儀」であり、「幕府」ではなく「朝廷」に対するものであることを知っていた。公儀への忠義を尽くした赤穂藩を見舞った松之廊下事件、それは癇癪持ちの短気なバカ殿の「私憤」ではなく、「公儀」をめぐる引くに引けないイデオロギー対決であった。
そのことを知っているからこそ、庶民は佐幕(当時、佐幕という言葉が合ったとは思わない。それは水戸学の隆盛によって尊皇ができ、それに対抗する言葉として生まれたものと承知する)の名門である吉良ではなく、尊皇の赤穂藩の浅野に味方した。
我々が受けた世界史の教育では、ナショナリズムの発生として「ナポレオン戦争」を習った。カントの弟子フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」です。ルターの宗教改革ではなく、フランス革命後に皇帝になったナポレオンのもとに集まったフランス国民とナポレオンに攻め込まれて一体化したドイツ国民の登場であった。
それでは、日本のナショナリズムはいつ登場したのかというと明治維新によって天皇中心の国民国家が成立したことを疑いのないことだとしても、それを準備した「日本人」は、それ以前にあったことは間違いない、と信じている。
徳川家康が征夷大将軍に選任され、国を統治するようになった後の太平によって、農民、町人に至るまで、日本語の読み書きができるようになり、水戸に水戸学が生まれ、尊皇というナショナリズムの核ができ、民間に契沖から本居宣長に至る国学が勃興し、万葉集と古事記の国民的な位置づけが確立し、もってナショナリズムの文化的な基盤が成立した。
しかし、それが庶民感情と情緒に合体するのは、元禄の赤穂藩事件を発火点とする「忠臣蔵」だ。幕末に起こった「おかげ参り」という神秘的な国民的な集団ヒステリーといった現象と合わさり、奇跡としか思えない明治維新による新政府の樹立となり、日本のナショナリズムは成立した(会津福島の統合はその後のことになるが)。天皇のもと日本語を話す日本人はみんな「日本人」となった。
いうなら、西欧白人中心主義に対する反省から、一機に文化多元主義の時代へと思潮が変更していくのに「ニーチェ」が近代と闘い、「レビストロース」が構造主義を引っさげて「サルトル」を打倒し、ソ連が崩壊していく。
それが世界世論となる象徴的現象はアメリカ・インディアンの文化と歴史を取り上げた「ダンス・ウイズ・ウルブス」でした。この映画が、ハリウッドでアカデミー賞を受賞したことでした。
これまで、「ダンス・ウイズ・ウルブス」のことは、このMLでも再三とりあげてきました。「われ思うゆえにわれあり」で幕開けた近代個人主義の終わりが、「ニーチェ」であり「レビストロース」であり、これを庶民のレベルまで落としたのが「ダンス・ウイズ・ウルブス」であったとすれば、水戸学や本居宣長の国学、そして山鹿素行の武士道は、「忠臣蔵」によって一部のインテリだけでなく普通の庶民にまで降りて広がったのです。
「赤穂藩」の後ろに「朝廷」があり、「浅野」と「吉良」との対決は、「幕府」(権力)と「朝廷」(権威)のイデオロギー対立であることを日本人が「思い出す」ことが、尊皇の精神と日本人のナショナリズムの復興なのです。
以上
(MLでのやりとりから)