(H26)本日の岡崎久彦「正論」を読んで
集団的自衛権をめぐる政府見解(内閣法制局見解)の変更に向けた手はず(いわゆる解釈改憲)が加速している。護憲勢力は危機感を抱いて、反安倍政権・反解釈改憲論の盛り上げに必死である。
護憲の牙城、弁護士会も例外ではない。5月に反解釈改憲集会を企画している。まだどうなるかわからないところもあるが、阪田元内閣法制局長官を呼んでするパネルディスカッションが企画されているが、解釈改憲に反対する阪田見解の「出汁」に必要な解釈改憲推進論者がみつからない。
さすがに解釈改憲反対を盛り上げるための集会の「出汁」に出場して下さいと識者(関西では、中西輝政、中西寛、坂元一哉といったところ)にお願いするのは気がひける・・ということで、会内少数派の私にお鉢が回ってきた(というより、自ら特攻を志願した)という経緯。
解釈改憲論については、安保法制懇がまとめるだろう春の報告書で集団的自衛権行使にかかる解釈改憲の容認・推進が打ちだされる予定である。そこから小松内閣法制局長官による解釈改憲が実行に移される見通しであり、この流れに楔を打とうというのが弁護士会内護憲派の思惑。
推進派の理論武装のために、いくつか書き記しておきたい。
なんといっても、解釈改憲推進派の理論的根拠は昭和59年12月の砂川事件最高裁判決である。そのことを指摘している点で本日(2014/03/06)の産経新聞朝刊に掲載された岡崎久彦氏の「正論」は正鵠を得ている。
「憲法問題について有権的解釈を下せるのは、国会でもなく、憲法学者でもなく、まして政府の一部である内閣法制局ではない。それは、憲法に明記してある通り最高裁である。憲法を順守する以上、最高裁の解釈を尊重しなければならない。そして最高裁の砂川判決は、日本が固有の自衛権を有することを認め、それ故に自衛隊を合憲として認めている」
氏の上記見解は、まさしく解釈改憲推進論の出発点になるものであるが、最後の最後が気になる。
「それ故に自衛隊を合憲として認めている」という1文である。
いうまでもなく砂川事件は反安保反基地闘争のため米軍基地内に侵入した活動家に対する刑事罰の合憲性が争われたものである。簡単にいえば日米安保に基づいて設置された米軍基地の合憲性が争点とされたのであり、自衛隊の合憲性が問題にされた事案ではない。
それゆえ、「それ故に」合憲とされたのは自衛隊ではなく日米安保と米軍基地であった。岡崎氏の「正論」はそのところで正確さを欠いているので注意してほしい。議論の場で、自衛隊を合憲とした判例という言い方をすれば揚げ足をとられるおそれがある。
よく砂川事件判決は「統治行為論」を採用し、憲法判断を回避したと言われることが多いが、憲法が「固有の自衛権」を排除していないことを認めた点、9条の軍隊不保持はあくまで日本政府の軍隊を規定したものであって、米国の軍隊の不保持(駐留禁止)を定めたものではないという点は明示している(但し、9条以外の全文等から導かれる平和主義に照らしてどうかという点については「明らかな違憲ではない」というだけで、それ以上は統治行為論を持ち出して憲法判断を回避した。
自衛隊の合憲性の文脈でいえば、「固有の自衛権」を認めたという意味で、自衛隊の存立の根拠と正当性を与えた判決ということはできる。しかし、砂川事件判決は、9条の趣旨として侵略戦争を禁じるために、「戦力」の不保持を決めたとしたことから、自衛隊は「戦力」をもてないことになった。
砂川事件判決は「固有の自衛権」を認める反面、自衛隊の武装が「戦力」とならない限り合憲、つまり武装が「戦力」の程度に至ってはならないという縛りをかけた判例でもある。
集団的自衛権をめぐる「保有」と「行使」の謎は、砂川事件判決をもって乗り越えることは可能であるが、「戦力不保持」の自衛隊を変えるには、砂川事件判決を乗り越える必要があり、それは内閣法制局見解の変更ではできない以上、改憲という手段が必要となるということである。
法制懇メンバーである岡崎氏がこうした径庭を知らないはずはないが、砂川事件判決を知らない方が、これを読んだら誤解を生じかねないという懸念を抱いたので、あえて書き記しました。
(H26/03/06 MLへの投稿から)