「忠臣マッカーサーの銅像建立」の建策(3)
「A級戦犯の処刑を上皇陛下の誕生日にしたことは、文学的・宗教的にその意味を考えると、単なる復讐や嫌がらせというものと異なる解釈もありえましょう。
A級戦犯の処刑という不条理は、昭和天皇のいう「新日本建設」のための「犠牲(サクリファイス)」でもあります。
マッカーサーが敬虔なクリスチャンであったことに照らせば、東京裁判の失敗を自認していたマッカーサーなりのA級戦犯に対する謝罪であり、敬礼であり、最高の「栄誉の賦与」ということではなかったのか……と思っています。クリスチャンにとって「犠牲」は最大の栄誉ですから。
最大の状況証拠は、昭和25年9月の昭和天皇-マッカーサー会談の内容です。
その内容に関する証言は、マッカーサー回顧録、マッカーサーの手紙、重光葵証言、そしてマッカーサーの通訳を務めた副官フォビアン・パワーズの証言です。
共産党は上記会談は昭和天皇が命乞いをした会談だという情報宣伝を行ってきました。マッカーサー回顧録で衝撃を受けたわけです。そして今でもパワーズの証言動画を「嘘」だと必死になって決めつけます。
彼らの論拠は、豊下楢彦(元関西学院大学教授)の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波)です。藤田侍従長がマッカーサーが出迎え、昭和天皇と昭和天皇の通訳の3人が会見室に入っていったと手記に残しているこを根拠に、3人だけで会見が行われたとし、パワーズは同席していなかったとの結論を出していることにあります。
冷静になって考えれば、日本語を解せないマッカーサーが自身の通訳をつけずに天皇陛下と会見するなど考えられません。日本人の通訳をマッカーサーが信用するはずないのです。会見用の部屋でパワーズが待機しており、出迎えにはマッカーサーが自ら出向いて昭和天皇を迎え入れたと解するのが自然です。
われわれ弁護士も外国人証人を迎えるときには、裁判所が通訳を選定しますが、必ず、別の通訳をチェッカーとして脇において、通訳の正しさを確認できるようにします。
まず、第1には、マッカーサーが昭和天皇の言葉に感激して心服したという回顧録の記述が真実であったことを固めることが状況証拠として一番大事なことです。共産党の連中は、こうしたことに長けており、次々と反証を持ち出しますが、どうやら藤田侍従長のメモに基づく「豊下楢彦」の記述以上のものはもちだせないようです。なにせ、パワーズの証言の迫真さは凄いものがあります。
マッカーサーの発言から戦後史を見直すと、これまでの議論と全く異なるものがみえてきます。保守派の「マッカーサー憎し」は、無効論をはじめ、占領統治期間における歴史的な真実を曇らせてきたように僕にはみえます。
確かに、東京裁判を主催し、デタラメ審理の上、デタラメ判決を下させ、これに基づく死刑執行を実行したのは、マッカーサーでした。
しかし、東京裁判はポツダム宣言に基づくものでした。しかもマッカーサーは極東委員会という最高意思決定機関の執行機関であるGHQの最高司令官でした。
マッカーサーはイエスの磔刑を決め、これを執行したローマの司法官吏のピラトのようなものです。ローマ帝国では法は被統治民族の法を適用しました。イエスの磔刑を決めたのは実質的にはユダヤの民でした。ピラトはイエスにチャンスも与えました。強盗犯のバラバかイエスかのいずれかに恩赦を与えると。
そして「恩赦はバラバに与えよ」という民衆の声にしたがわざるをえなかったのでした。
頑迷な保守派がいっているようにマッカーサーによる処刑日の選択が「悪意」によるものだとすれば、本当に「皇太子の誕生日」に合わせるでしょうか。そんな日本の未来を象徴する晴れがましい日に処刑の日を合わせるでしょうか。
僕なら、ポツダム宣言受諾日か、真珠湾攻撃の日にするでしょう。「皇太子の誕生日」は「新日本建設」の希望の日です。マッカーサーは武士の情けとして、せめてその処刑の日をこの晴れ日に合わせ、戦争の犠牲として屠られたA級戦犯に最高の栄誉を与えたのでした。
そう考える方が筋がとおると思いませんか。
以上
(R4/11/26 MLへの投稿から)