婚姻をめぐる3大タブー(①婚外性通、②近親相姦、③同性愛)について
五体不満足君については、本当に考えさせられました。あの体で5人も愛人をもっている。これは本当に凄いことです。これほど障害者と障害者の母親を勇気づける事実があるでしょうか。
弁護士の仕事上、発達障害をはじめとして、知的障害や身体障害をもつ男性の性犯罪の事案を担当することがあります。彼らの多くは、自分たちの障害を自覚しています。社会のなかで差別やイジメに出会っても、変に同情されるより、普通の人としての基準で判断されていることに喜びを感じる人さえいます。
障害者とその家族にとってもっとも深刻なのは、女性関係です。周囲の女性は優しく対応してくれますが、決して自分を恋愛の対象としてはみてくれないという現実に悶えます。それを偽善と感じる人もいます。障害者をもつ母親の本当の苦労は、思春期からです。母親が性的な処理を手伝うこともあります。母親が、風俗の女性に頭を下げ、特別の報酬を約束してお願いすることもあります。それ以上に進むことさえあります。
柳田国男が収集した民話のなかに、母子家庭の農家の話があります。息子は年頃になり、嫁が欲しい、嫁が欲しいといいます。醜男なのか、智恵遅れなのか、身体に障害があるのかは、判然としませんが、嫁の来てがないのです。あるとき、息子を不憫に思った母親が2、3日町で嫁を探してくるといって家を出、息子を一人で留守番させました。その夜、お多福のお面を被った女が留守宅を訪ね、道に迷ったので一晩、泊まらせてほしいと頼みにきます。その夜、男は童貞を捨てました。翌朝女は旅発ちましたが、それから数週間後、再び、お面を被った女が、母親の留守に訪ねてきました。その夜、男の顔をみたいという欲望を押さえきれず、女の必死の制止もきかず、力づくで、お面をはぎ取ってしまいました。そこには母の顔がありました。やがて2人は村から出て行くことになりました。どこかで心中したという噂が広がりました。おそらく小泉八雲の「雪女」のお話にも、きっと、そうした背景があるのだろうと思います。
不倫という言葉は、現在では複数の女性ないし男性との性的関係について使うことが多いのですが、かつては姦通だけでなく、近親相姦について使われる言葉だったと思います。 エディプス・コンプレックスの源となったギリシャ神話のエディプス王の物語は有名です。近親相姦タブーを人類普遍のルールとして人類社会の無意識の構造を解析したのが、構造主義であり、その哲学が、理性主義、とりわけ設計主義的合理主義を批判する契機をもっていたことから、マルクス主義を超える哲学として脚光をあびたのが、1970年代でした。僕が構造主義の洗礼を受けたのは、時代の寵児だったサルトルがレビ・ストロースとフーコーの連合軍に完全に論破された末に死亡した1980年代のことでした。その頃、僕は、フランス語を選択し、サルトルの長編小説「嘔吐」を仏日辞典と仏英辞典を片手に悪戦苦闘していました。
近親相姦タブーは、人類普遍といいましたが、そのバリエーションは複雑です。男系の血統を重視する儒教は近親相姦タブーに厳格です。日本のように従姉妹同士が公然と結婚するなどということは、儒教世界では決して許されないことです。韓国では、日本人が道徳的に劣等な民族である証拠とされています。養子を一族(宗族)の外からとることも倫理的に絶対許せないことです。日本人には理解できない感覚です。それゆえ、日本人は、儒教圏ではないのです。
ながながと、近親相姦タブーについて論じてきましたが、性的関係に関する3大タブーとされる①婚外性通のタブー、②近親相姦タブー、③同性愛タブーは、婚姻をめぐる制度を規定してきました。
ところが、最近のフェミニストは、③に関するアメリカの連邦最高裁判決や欧州の例を掲げ「家族の多様化」なるものを、強調し、自民党の24条の改憲案をこきおろす活動をやっています。
6月下旬、大阪弁護士会は、米モンタナ州公立大学で社会学を教えているフェミニスト山口智美氏を講師として呼びジェンダーと憲法改正について講義してもらいました。そのときの司会とコーディネイターを私が務めることになりました。
山口女史は、家族の多様化を推奨し、共生をキーワードにし、日本会議を批判していましたので、私は、山口女史に司会者の立場から質問をしました。それは、家族の多様化ということをいうのであれば、かつての日本のように、一夫多妻や一妻多夫も容認するのでしょうか。また、近親相姦タブーについてはどうお考えか、子供をつくることを前提としないのであれば、親子や兄弟姉妹の結婚を禁じる民法は問題があるのではないか。と。
もちろん、これは法的な装いを凝らしてした運動家に対する揶揄なのですが、山口女史は、相当あたふたしていました。俺って嫌なやつですね。
後日談がありました。山口女史の取り巻きが、「市民」として、私に対する懲戒を申立てたのです。曰く、「一夫多妻を認めたら少子化問題の解決の糸口がみえる」などという「女性を子供を産む道具扱い」し、多くの市民を不愉快な思いにさせた。かかる発言をした徳永は、弁護士に対する世間の信用を毀損するものであり、かつ、女性差別主義者であるから、懲戒処分に付すべきだ、と。もちろん、申立ては一蹴されましたが、フェミニズム左派は、僕を敵だと認定し、これからも喧嘩を仕掛けてくるでしょう。
フェミニストの左派は、かように性的関係や家族の多様化といいながら、一夫一婦という制度に拘泥し、自分たちの活動に都合のよいイデオロギー的偏向を隠して、自民党の「家族条項」の憲法改正案を否定しているということが、公衆の面前で明らかになったという次第。
私が、一夫多妻を推奨していることを不愉快に思われる方々をおられることは承知していますが、家制度や日本の伝統的家族のあり方を否定して解体しようとしているフェミニストの最大の弱点は、①一夫多妻、②近親相姦タブーであることを指摘し、その活動を阻止する作戦的意図があることを、皆さまにお示ししておこうと考えた次第です。
(H29/9/11)