「忠臣マッカーサーの銅像建立」の建策(4)
マッカーサーは連合国関係者に対し、東京裁判を行い、そこで出された判決を執行する責務を負っていました。死刑執行にあたり宥恕を示したと捉えられることもできませんでした。暗号めいた「皇太子の誕生日」の執行ぐらいしか特別扱いの方法はなかったということではないかという仮説です。
いずれにしても、マッカーサーの「悪意」をいう論者の根拠はいかにも薄弱なもののように思えてなりません。
こういう方向で、占領史を捉え直してみるようになったのは、3カ月前のことです。副官パワーズの証言をユーチューブをみて、それまで占領統治を成功させる為に天皇を功利的に利用していただけだというそれまでの自身の見方に疑問をもち、「もし、マッカーサーが本当に天皇に心服していたとしたら……」との仮説を立てて、戦後史を通観すると、その方が平仄の合うことが多々あることに気づいたのです。
これまでWGIPを過度に強調し、マッカーサーの底意地の悪い日本に対する憎悪を基調にして占領史をみてきましたが、マッカーサーは公職追放の緩和を求める本国の指示に抵抗していたというのがこれまでの見方でしたが、昭和22年2月1日のゼネスト中止命令の直後から、たった1年半で続々と公職に復帰させ、巨魁の1人、岸信介も巣鴨から釈放して復帰させたのです。あっけないほどです。それを期にWGWPもほとんど骨抜きになっています。
1 昭和20年9月27日アメリカ大使館での天皇との会見
2 昭和21年2月1日の松本丞治大臣に対する憲法改正草案の交付
3 昭和22年2月1日のゼネスト中止命令
4 昭和25年8月10日の自衛隊(警察予備隊)発足のボツダム勅令
5 昭和26年4月11日のマッカーサー解任
6 昭和26年4月16日の衆参両院からマッカーサーに対する感謝状贈呈
7 昭和26年5月19日ワシントンの両院合同議会で退任演説
(R4/11/28 MLへの投稿から)