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「忠臣マッカーサーの銅像建立」の建策(5)
(「マッカーサーが天皇の守護神だったら、東条元帥以下A級戦犯7人のご遺体を焼却後、まぜこぜにして海に棄てることなど、容認するわけがない。時が来たら、立派な慰霊碑を建て、日本人の誰もがお参りに来れるよう、慎重に伏線を張っていたはずだ。」という意見への返信)
熱海市の興亜観音には、骨壺に収められた7遺体の遺灰が奉納されています。
その余は、処理されたそうですが、太平洋に散骨されたと聞いています。僕の両親も荼毘に付された遺骨と遺灰は、骨壺に収められたもの以外は、公益社によって処理されています。どのような処理をしたのかは知りませんが、散骨のような丁寧な扱いはなされていないと思います。そういうものです。
B級,C級戦犯の遺骨も遺族に返還する等の手続きはとられていません。A級戦犯の遺骨だけを他の戦犯と区別して遺族に返還する等の手続きをとることには日本人の感情としても違和感があります。冤罪、犠牲という位置づけをする以上はB級、C級と同じ扱いにしなければ平仄があいません。
天皇の守護聖人であるマッカーサーといえどもその職分を超えることはできないということでしょう。
皇太子の誕生日に死刑執行を重ねるという行為のダブルミーニングに気がつきませんか。死刑執行日を皇太子の誕生日に合わせることが、日本国と天皇に対する呪詛的な嫌がらせだという解釈はいかにも小児的だとは思われませんか。
護憲派・反日サヨクの寿命が潰えてきたのは、その凝り固まった思考にありました。様々な異なる視点から物事を見るということができないことが、彼らの思考と運動を時代遅れのものにしています。
天皇を尊崇する保守派にも同様のことがいえるのではないかと心配しています。
率先してこれまでの見方や考え方を見直して、別の確度から物事をみれば、いままで見えなかった真実がみえてくることもあるでしょう。そのために必要なことは柔軟な発想と少しばかりの勇気なのです。
マッカーサーの戦争観であれば、A級戦犯は全員無罪になりますよ。しかも、日本人とドイツ人を比較し、日本人は12歳の少年のように純粋無垢だといっている。それは日本人の自尊心を傷つけるものではあったが、その意図は、野蛮で残酷で利己的で狡猾という米国民の日本人観に真っ向から挑戦するものでした。
パル判事の無罪論の論拠とマッカーサーの日本の戦争観は、ほとんど一緒のように思います。日本の戦争が悪意による侵略戦争であったとする東京裁判の訴状にある訴因や判決とは全く異なるものでした。今でも当時でも国際法における戦争は、正しい戦争と悪しき戦争があります。これを「正戦論」といいます。国連憲章でも確認されているように、「自衛戦争」は正しい戦争であり、悪しき戦争は、「侵略戦争」です。
マッカーサーは、日本の戦争を正しい戦争だと米国の議会で述べたのです。これはパル判事の無罪論の構成と同じです。
いかがでしょうか。それを日本に対する復讐心で凝り固まっている米国人が注目する中でいうのですから、大したもんです。マッカーサーという人物は。
以上
(R4/11/28 MLでのやり取りから)