儒教の宗教性
仏教は哲学ないし哲理だという言葉に触れて思うのは、儒教のことです。儒教は哲学、倫理であって宗教ではないという人がいます。
朱子学は仏教が間違っていることを証拠づけるために教理を発展させました。朱子学の要諦は鬼神論だといいます。人は死ねば、魂と魄が別れ、魂は上空に、魄は中に潜り、直系の子孫が祭祀をしたとき、魂魄が一体化して甦る、招魂再生であり、これをもって魂が流転して新たな生命になる輪廻転生を否定しました。
仏教は全ては心とする哲理です。唯識です。朱子学を批判する陽明学もまた心を重視し、朱子学からは仏教だといって批判されました。仏教が宗教だというのは先祖崇拝をしているからだと思っています。
ところが、その先祖崇拝。印度仏教とは何の関係もありません。印度仏教にはお墓も位牌も法事もありません。魂が輪廻しているのにお盆をしても先祖が戻ってくるはずもありません。仏教を中国で布教させるため、儒教を取り込んだ、それを遣隋使が日本に持ち込んだ、という次第。
キリスト教も同じようなことをやっていますが、先祖崇拝を認めるか否定するかでバチカンは大揉めに揉めて、先祖崇拝を容認して布教していたイエズス会を破門にしました。日本では先祖崇拝を仏教が担っていたため、江戸儒教は、教学専門になりました。日本的儒教ということでしょうか。
先祖崇拝のシャーマニズムが儒教の儀式だということを知る人はほとんどいませんでした。加地先生が学会でこのことを指摘するまで。儒教と仏教の逆転が生じてしまったというわけ。今、那覇でそんな裁判をやっています。
【沖縄の声】那覇市の”憲法違反”を問う、孔子廟は宗教施設で正教分離違反! 孔子廟訴訟[桜R2/9/10] https://youtu.be/St6mbn0P3v0
ゲスト:
徳永 信一(孔子廟訴訟 原告弁護士)
上原 義雄(元中学校教諭/第二次孔子廟訴訟 原告)