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「忠臣マッカーサーの銅像建立」の建策(8)

昭和殉難者を死刑にしたのは東京裁判であり、東京裁判はポツダム宣言に基づくものです。マッカーサーは、その結論を実行しただけです。 

パル判事は、東京裁判の「平和に対する罪」「人道に対する罪」による事後法裁判を批判したのであり、日本を含め米英の植民地統治を批判しています。いわば鼻くそ目くその批判であり、日本の戦争を擁護したわけではないことを思い起こして下さい。 

これに対し、マッカーサーは、米国においてそしてワシントンのパーラメントで、元連合軍総司令官として宣誓し、「日本の戦争は主として防衛のため」になされたものであるとして日本の戦争を正当化し、日本と日本人を擁護したのです。歴史選における東京裁判史観・反日史観に対する破壊力は勝るとも劣らずです。

教育現場で教えられる東京裁判史観を批判して日本を擁護する上で、いずれが子供たちに影響力があるでしょうか。パル判事による東京裁判無効論(パル判決は日本無罪論ではありません)とマッカーサーによる日本擁護の米国議会証言をセットにするといいかもしれません。

僕のマッカーサー礼賛論は、ここ2-3カ月の思い付きですが、いろいろな批判に対しても耐えうる仮説だということが判りました。一度考えてみて下さい。 

靖国神社の御英霊は、天皇の安泰と「国体の護持」のために尊い命をお捧げになったと理解しています。そのご英霊の最大の悲願に功績のあったマッカーサーを顕彰することは真実を見通しておられるご英霊にとっても当然ご納得できるものと考えています。 

また、ご英霊が悲憤慷慨するという認識は、マッカーサーがWGIPを推進したという誤った理解に基づいているように思われます。マッカーサーはWGIPの企画・立案には関わっていません。確かにGSを中心に実行されていますが、WGIPそのものは戦争遂行中にアメリカ本国においてGHQにも紛れ込んだ共産主義者を中心に計画されたものです。むしろ、マッカーサーは7年間続いた占領期間の開始後わずか1年半(昭和22年2月1日)のゼネスト中止命令の前後からWGIPの中心人物らを更迭し、離日させています。  

戦後の日本人を腑抜けにしたのは、GHQによるウォーギルト・プロパガンダによるものというより、日本共産党やシベリア抑留者などを軸として広範な影響力をもっていたコミンテルンの反日プロパガンダによるものと考えるべきだと思います。 
以上 
(R4/11/29  MLでのやり取りから)

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