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国連工作とサヨクと保守(2)日弁連の内情

書き忘れていましたが、日弁連も財政的に火の車なのです。委員会の数がどんどんと膨張し、地方から東京の会議に出席するために支給されてきた交通費は、かつては新幹線のグリーンでしたが、いまはエコノミーになりました。いずれスカイプを使ったものに代わっていくでしょう。   

日弁連は、都道府県単位にある弁護士会(単位会と呼びます)の連合体であり、弁護士は、各単位会のいずれかに所属することを弁護士法によって義務づけられています。日弁連の会長職等は、叙勲の対象になり、経歴の仕上げに望む弁護士も少なくありません。共産党員や左派運動家は、大手企業に就職することは困難ですから、畢竟、地方公務員や弁護士、医師等の資格専門職に就くことになります。

それでも日本共産党員は、弁護士会においても、決して多数派ではありません。しかし、組織票をもっているので、会長候補に踏み絵を踏ませることができます。これまでの日弁連の決議を尊重することや、時事的な問題についての方針でのすり寄りを確認し、事務局長の人選を呑ませる等の下工作を行なって、影から、人事、運営を操っているわけです。   

多くの委員会には、各単位会からの選出された会員が委員を構成します。委員会は、交通事故、医療問題、人権委員会、憲法委員会、業務対策委員会、女性問題委員会、外国人問題委員会、死刑問題委員会、行政委員会、司法問題委員会・・・・。山ほどありますが、ここで、政策意見等が決定され、会長を中心とした執行部において承認され、定期総会に上程され、決議されます。主要な政策的委員会の構成を押さえれば、日弁連の声明や意見等を支配することができます。

全国の単位会から委員が選ばれてやってきますが、共産党系は、組織的かつ計画的に、委員を送り込んできます。弁護士の時間の3分の1から3分の2を弁護士会の会務に費やすことになるわけで、労働組合と同じように専従のものもいます。これを戦略的に組織的に支えるのです。
大阪や九州から、月に2~3度も委員会に出席するために東京までやってくるわけですから、事務所の同僚たちの支えがなければ、なかなか会務の中心を担うことはできません。特に、特定の政治課題において共産党系ないし社会党系の熱心な委員に対抗するには、毎回出席が必要となります。欠席すると、そのときを狙って、重要な決議をぶつけてくることがあるからです。欠席はこれを阻止する理由にはなりません。意欲があっても、そうしたことで、ほとほと疲れ果て、好きにすればいいとなり、その結果、熱心な左派系の委員の主導する意見にまとめられるという経過が続いてきたのです。

外部からみれば、なぜ??と思われるような日弁連の決議内容ですが、そうしたことが、何十年も続けられてきました。執行部提出の議案には、あらかじめ数名の弁士が控え、反対意見に対し、さまざまな方面からの批判を浴びせ、多数決を制してきました。

反対意見に対しては、政策意見の対立だけでなく、「昭和●年の総会決議第●号の趣旨に反している」「平成●年の鳥取人権大会で採択された決議が・・・」といった指摘がなされ、偏向した過去の決議が中立的装いを凝らして、これに対する反論等が要求されます。相当の時間を費やしてこれを勉強し、その趣旨に反しない理由(例えば、その決議があった時代背景の変更を指摘して、もはや妥当しないことを主張する。あるいは、その決議の有効性を前提にしたうえで、その射程範囲を限定し、本件での適用が拡大解釈であることを指摘する・・・といった議論のテクニックがあります)を研究しなければなりません。これは裁判で判例を用いるやりかたと同じものがあるわけです。 

しかし、そういうことを、この20年ほど、やってきました。僕が左派の委員のなかで、それなりにやってこれたのは、京大出身の弁護士がそこそこ多いということ(つまらないことですが、出身大学が一緒というのは人的に信頼関係を持ちやすいのです)、かつて薬害エイズ問題で、それなりの活躍をしたので会内でそこそこ知られていること、憲法が専門なので、その分野の議論に詳しいこと、戦略的妥協を知っていること(保守系の委員は、信念を貫き、席を蹴って退出する松岡祐介タイプが多い傾向があり、次回に挽回を期すという長期戦が苦手です)。 

結局のところ、公共問題に対する「熱心さ」と「戦略性」の違いが、左派優勢の状況を形成したのです。左派には、学生運動や労働組合運動といった実践場面があり、対して保守系は、政治的活動(権謀術数)においては、ほとんど素人です。政治的多数を前提にした議論や、論敵の誤謬を前提にした議論しかできず、自身を少数者として意識し、多数派を形成していく戦略を考えているようにはとてもみえないのです(共産党系は、戦前からそうした少数派からの世論工作の伝統があります)。
 
そんなこと、あんなことがありますが、日弁連における、この面倒な構造は、多少の差こそあれ、日本のなかのどの社会にも共有されているものかと思います。国連における反日左派の優勢にも、それなりの構造的要因があるはずです。

保守派は、これを嘆くだけでした。その原因や構造を突き詰めようともしません。局外の高見に立って、「ケシカラン」と憂うだけです。これではだめなのです。そのようになってしまった長年の経過的な原因について理解し、分析し、戦略を構築しなければならないのです。

変化はあります。ここ数年のことです。朝日新聞による慰安婦大誤報の事実が知れ渡り、これを支持してきた左派系の信用はがた落ちです。そのことは、インターネットでの情報共有が大きいとおもいます。ネットにおいて右派勢力が、それまで苦手だった連帯と情報共有ができるようになったということです。それまでは、国連の情報等は、左派が完全に掌握し、その出し入れも自由でした。彼らは不都合な情報を出さず、都合のいい情報だけを選択的に流して、意識的に世論の操作をしてきましたから。 

よく国際的な順位というものが発表されますが、この順位つけを行うために必要なレポートを提出する委員がいます。TVの視聴率をカウントするのに視聴者委員が選任されていますが、その委員が、左派系の学者に偏っているのです。左派は、この人事を戦略的に押さえており、決して放しません。よく、何々委員会に対する日本の状況のレポートをまとめたとする左派の御仁と話をする機会があるのですが、彼の見た「遅れた日本」をレポートしているのです。彼らは、日本の至らないところを拡大し、他国との比較などおかまいなしに、微に入り、細に入り、日本の政治風土と社会を、得意になって行うのです。 

そうした彼らが、最も困惑しているのが、欧州や北米における右傾化です。日本を批判するためには、欧州や北米の進歩性を主張し、日本の後進性を際立たせる必要があるのですが、そのお手本が右傾化しているようでは、日本を批判する視点にならないからです。 

いろいろありますが、なによりも、それぞれの社会を構成している各人の「現場」において、そこでの構成員として公共性を糺していくというなければならないという意識を持つことが専決です。局外から、世間を憂える「老兵」になってはならないという戒めをもつことです。馬鹿だの阿呆だの勉強不足だなどという左派からの屈辱的な批判に耐える忍耐と信念を持つことです。国連が、反日的な決議をあげると、すぐに脱退するとか、負担金を払わないとかいう御仁がいますが、それでは中国や北朝鮮の思うつぼです。 

辛抱強く、かつ愚直に、国際社会に関与を続けていくことが、日本の信用と名誉を高める唯一の方法だと信じています。  
(H30/12/20)

※前記事 国連工作とサヨクと保守  

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