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(第13回) 理想と現実

 皆さんこんにちは。徳永心です。本当にめんどくさくなり、noteも約1年間サボってしまいました笑
 先日、1年ぶりにレースを完走し、やっと自分のスタートラインに戻っきたと感じるこの頃です。1月からこの東海大までは、自分の思い描いた理想通りには競技自体は進みはしませんでした。
 しかし、今はやっと記録会にも走れるくらいに戻れたので、この10ヶ月の出来事、そして、この東海を通しての次の自分について今日は話していこうと思います。かなり、書いてないことが多かったので、今回はかなり長くなるかもしれんが、お付き合いいただければと、、笑

1月〜2月


 1月の箱根駅伝が終わり、自分は神奈川ハーフにエントリーしており、出場予定でしたが、ハーフ前にシンスプリントを,痛めてしまい、とても練習も微妙で、コンディションも良くない状態であったことや、その後の白子合宿に行きたいと考えたため、棄権の選択をとり、練習を,することを優先しました。なんとか、上手く状態を,持ってくることができ、合宿には間に合うことはできました。

 合宿では気持ちを切り替えて頑張ろうと思いましたが、途中で、熱や頭痛が出てしまい、4日目には、自分でこれ以上継続はできないと思い、自費で千葉から甲府に帰りました。

※白子合宿での一枚

 帰還した後も、オフの日にまた、体調不良になってしまい、体がなかなかうまく機能せず、一番大事な鍛錬期に、自分の中でも何もできない状態のまま2ヶ月を,過ごしてしまいした。

3月と決断


 3月には、学生ハーフにもエントリーしており、怪我等の影響自体はそこまでなかったが、コンディションや体が追いついていないこともあり、学生ハーフも2月の神奈川ハーフに,続き棄権の選択をとりました。せっかくいただいたハーフマラソンで、上尾ハーフのリベンジをすることができず、ハーフを走れなかった悔しさもありましたが、ハーフの後には、自分の中で、何か心につっかえるものを抱えてしまいました。

 正直、3月の半ば頃、陸上を8年間やってきた中で、気持ち的にも、身体的にも競技や寮での生活をできるような状態ではありませんでした。自分の中で、ここでやるのか、いったん陸上から離れるのかを考え、親や監督に相談し、最終的には、自分で次の3年目を、どうしたいのかを考え、一旦実家に10日程度帰る選択肢をしました。本当に自分の選択を尊重してくれた監督には改めて感謝します🙏

※3月での練習の一枚

4月から7月


 実家にも帰り、授業も始まる4月、さぁ、頑張ろうと思いましたが、またも、練習中にアキレス腱を痛めてしまい、1ヶ月あたり練習を中断せざるを得なくなってしまいました。そこから何とか復帰して、5月中旬には走れるまでに回復しました。そこからは練習を徐々に自分の状態を見ながら,5月〜7月まで走りました。

 状態も上がってきて、3000mも8'44秒ぐらいまで戻すことができたので、7月には日体大の5000mで一旦現状確認のレースをしようと挑むつもりでした。しかし、レース一週間前に膝を痛めてしまい、またもレースには欠場せざるを得なくなり、レースや練習も思うように上手くいかず、上半期を過ごしてしまいました。

夏の期間


 8月の夏帰省も終わり、さぁ合宿だと言いたいところですが、7月からの怪我が完治せず、
夏合宿では、Bチームの1次合宿には、参加するつもりでしたが、怪我のままでは合宿も、ままならないだろうと考え、1次合宿は、回避して、甲府居残りで練習を取り組みました。

 怪我をしている際に、体幹等をまったくできていないことから口うるさく怒られましたが、その時は、なんでだよとは思いましたが、今考えると、怪我の際にしっかり体幹に,取り組んだからこそ、今の自分がいると思います。その辺は、改めて指導してくれたコーチやマネージャーには感謝しないとです!!

 そこから何とか状態を持ってきてBチームの2次合宿には参加して、昨年ほどには持って来れなかったので、自分の体と対話しながら、合宿を過ごしました。

※合宿での一枚

悪夢の再来


 そして、夏合宿がおわり、夏の終わりとして、山梨県長距離記録会にエントリーしました。自分としては出場するつもりは全く持ってありませんでしたが、合宿に行った者はレースには出ることは条件でした。出るとなれば仕方がないので、5000mに出場しました。ここまでの過程で、一週間ほどしか走っていませんでしたが、直前の2000mで,5’45秒で行けたので、14分台ぐらいはいけるだろうと腹を括っていました。

※白のユニフォーム

 そして、いざレーススタート!昨年と同じように後ろからスタートし、2'58,2'58と流れに乗っていましたが、そこから徐々に体が動かなくなり、3000mを9’03秒で通過した後に、一気に,体が止まってしまいました、、

 4000m手前で、1kが4`15秒ペースまでかかってしまい、高校での15分台ラップよりかなり動きがダメになってしまい、このままレースを完走するのか、怪我等も考慮して棄権するのか、3000m以降考えましたが、正直レースになるほど動く状態ではなかったので、3800mで途中棄権をしました。陸上9年やってきて、トラックレースで初めてレースをやめました。

 2戦連続で途中棄権をしてしまいレースにすらままならい状態でした。自分の中では、悔しい経験ではありましたが、練習を継続してレースを走ることの大切さを知るレースだったし、ポジティブには捉えることはできたので、次に向けてのレースの明確にはなったので、この途中棄権2戦も後悔はないし意味のあるレースだったと思います。

※レースでの一枚 9が自分

ペースメーカーから得たこと


 山梨県長距離記録会がおわり、日体大に出るという選択肢もありましたが、途中棄権してから二週間後は厳しいだろと思い、日体大ではなく、東海大でリベンジしようと考えました。なので、そこまで練習をしてでようと予定を立てましたが、そこに,ペースメーカーの話しが舞い込んできました。

 正直レースはペース作成が下手くそなので、あまり乗り気ではありませんでしたが、ペースメーカーをすることで、レースに対する感覚、自分にとって学びになることなどがあると思い努めることにしました。

 ペースメーカーとしては、16'40 と 16'15
を努め、最初の16'40秒は上手く引っ張れましたが、次の16`15秒は難しく、荒らしてしまったかもしれません。この場を借りていいます。
ごめんなさい🙏

 努めた上でも,自分の中でも収穫はありました。それは2つ!

 1つ目は、レースに対してイメージを作ることができ、嫌な状態を払拭できたこと。
 2つ目は、陸上の原点を,思い出したことです。特に、2つ目の原点では、他の方の走りを,見ていると自分なりにレースに対して楽しむ心を持って走っていました。競技のレベルは違えど、今の自分に足りない要素であると思いました。結果を出そう、やらなくてはに焦ららされて、逆に気持ちに余裕がないように感じました。振り返ってみると、結果が出ているときには、レースや練習に対して走ることにポジティブにとらえれていたからこそ、昨年は結果を,出せていたと振り返ります。もちろん、結果を出すならやるために自分に必要なことを追い求めることも強い大学生になるには必要です。その中でも、走ることの楽しさややりがいも持って取り組む視点も,見るようにしたいと思います。

 後,全くもって関係ない話しですが、自分が引っ張った人で、長野駅伝の参加記録を、3人切ることをアシストできたことは自分も自分事のように嬉しかったです!!改めておめでとうございます🎉

※ペースメーカー後

東海大記録会


 富士山の名水トラックゲームスでのペースメーカを得て、いよいよ東海大記録会になりました。富士山の名水の前から東海大まではしっかりと練習することができ、コンディションも良いので、いけると手応えは感じていました。

 このレースを選んだ理由としては、昨年のユニフォームタイムを切った大会でもあったので,相性も良いだろうと考えました。

 レースとしては、前回の途中棄権があることや、ターゲットタイムが、14'30秒であると考えたので、しっかりと前で勝負する、次に繋がる内容のレースにすることを目標に挑みました!!

 レースは、2`57,2'57,2'58で予想していたより少しスローペースではありましたが,焦ることなく、前に位置をつけ、どこかで出るタイミングをみました。4000mまでペースが変化しなかったので、残り600m前に出て、組1着を狙いました。結果としては、最後に抜かれてしまい、2着でした。

 タイムは、14'42"36で、想定していたよりは、少し物足りないタイムではありましたが、自分の中では、やっと戻ってこれたと思っています。しっかりと勝負を意識できたこと、レースを1年ぶりに走り切れたので、止まっていた時間を動かせて良かったです!!

※久しぶりのユニフォーム

次に向けてと今後


 無事に東海大記録会も自分の時を動かすことができましたが、やっと戻ってきたことに過ぎないので、これからが本番で勝負です。

 次の記録会は、日体大と上尾ハーフがあり、日体大で10000mを出てから上尾ハーフという選択肢もありますが、あえて昨年と同じ、上尾ハーフにしました。それは、昨年のままで終わりたくないこと、レースを途中棄権したまま引退すれば将来一生後悔すると思ったからです。

 とはいえ、夏合宿の消化率が全部じゃないこと、上半期の不足があることがあるので、大幅に狙うことは難しいと思います。今回の上尾ハーフでは、確実に自己ベストだけは出して帰ることは最低現達成できるようにしたいと思います。65’ギリは行けたら程度で考えています。

 上尾ハーフの自己ベストを得た上で、年明けのハーフで大幅な自己ベスト更新、4年生での5000〜10000mでの大幅自己ベストに向けてやっていこうと,思います!やはり、怪我ももう、ラスト1年ちょいで引退と考えると、もう怪我をすれば何もできなくなると思うので、怪我だけには気をつけて冬場にむけて走って行こうと思います🏃🏃🏃🏃💨

最後に


 1年も書いてないので、長くなってしまいました。たぶん、飽きているかと思います笑
 それでも、最後まで見ていただければありがとうございます!!理想通りはすごく難しいです。しかし、理想が上手くいかなくても,自分の今ある現状に向き合えば何か繋がることや収穫はあると思います。これからも、理想と現実のギャップが高くなり過ぎないように頑張ります!!

 次回は、上尾ハーフ後に記載予定です。宣伝しておきます!

※富士山綺麗

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