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【VOICE】Vol.133 #25 山下雄大

――サッカーを始めた年齢ときっかけを聞かせてください。
はっきり覚えていないのですが、小学校に入る前にはやっていたと思います。親の影響だったのかな。お父さんも子どもの頃にサッカーをやっていたと聞いています。

――柏レイソルU12~U18に所属していますが、それ以前はどこに所属していましたか?
それまでは地元の少年団に所属していました。その少年団の何人かで柏のセレクションを受けに行くことになって、それなら僕もみたいな感じで行ったら受かりました。それまでもサッカー選手になりたいと思ってはいましたけど、ぼんやりとした夢みたいな感じで。サッカーをやっている子なら全員が抱くような夢くらいでした。

でも、柏に入ってからはプロが身近に感じるようになって「プロになりたいな」と本当に思うようになりました。柏は練習場がトップと一緒の場所にあって、隣にはスタジアムもあります。試合観戦もよくしていて、どんどん身近になっていく環境もあって、自分もプロになりたいという気持ちが強くなっていったと思います。

――サッカーの土台として、柏では何を最も学びましたか?
一番は『止める、蹴る』。自分が在籍していた頃は一環してパスサッカーをやっていた時代だったので、パス練習やポゼッション練習ばかりやっていました。その中で『止める、蹴る』を培ったと思います。

――サッカーの何に面白さを感じましたか?
小さい頃は誰もが点を取ることですね。そこから中盤のポジションをするようになって、点を取ることよりも相手の逆をつくようなことに面白さを感じるようになっていきました。

――ボランチでのプレーについて。
柏では小さい頃からシステムでやるという方針があったように思います。最初はみんなが前線をやっているじゃないですか。でも、僕はスピードがあるわけではなく、フィジカル的に優れている選手が入ってきたりもして、僕のやれるポジションがボランチだったのかなと思います。

――何を重視しましたか?
当時はボールを取られないことでした。パスを回すチームだったのでボールを失わずにいかに前進できるかにこだわっていたと思います。

――自分にとって特別な指導者はいますか?
誰かというよりも、逆に言えばどの指導者も一環しているというか、指導者によってサッカーが違うということはありませんでした。どの指導者にもいろいろなことを教えてもらったと思います。

――自身の武器はどこにあると考えていましたか?
縦パスや局面を変えるような1本のパスは自分の強みだと徐々に思うようになりました。中学生くらいからフルピッチで試合をするようになって、その頃からそう思うようになった気がします。

――アカデミー時代にわかりやすい記録や印象に残っている大会などはありますか?
なんだろうな。僕らの世代は、あまりいい成績を残していないかな(苦笑)。

プレミアリーグも僕らは最終的に真ん中くらいの何とも言えないような順位だったような気がします。勝つこともあれば負けることもあるし、特別な記録はなかったと思います。ただ、やるサッカーはブレない。それが僕が所属していた頃の柏レイソルの特徴だったというか、周りのチームからもそう見られていました。自分たちの年代にかかわらず、どの年代も同じサッカーをしていたようにも思います。今はその頃とは違ってきているかもしれませんが、その頃はそうでした。

――「トップ昇格したい」と明確に思ったのは何歳ですか?
何歳というよりは、そもそもトップ昇格を目指して下部組織にいるので、中学生くらいからはトップ昇格を1つのゴールとして常に意識しながらプレーしていました。

――ひとつの世代で何人くらいが辿り着きましたか?
1人から、多くて3人くらいです。僕らの世代は山田雄士(現・柏)と、杉井颯(現・鹿児島)の2人でした。

――“山下雄大”という選手は、トップ昇格の可能性を持っていましたか?
ユースはAチームとBチームの2つにわかれていて、僕は高校1年のときはBチームで、高校2年になってからはAチームになって試合にも出られるようになりました。でも、高校2年の夏頃にけがをしてしまって約8か月間離脱してしまいました。トップ昇格できる選手は高校2年の秋頃から高校3年の春頃が一番大事になると選手全員の認識としてなんとなくあった中で、僕はその時期にプレーできませんでした。けがをするまでは「ワンチャンあるかもなぁ」と思いましたが、復帰してからも簡単にはトップコンディションには戻せませんでした。高校3年の夏前…、5~6月頃だったかな、そこで「トップには上がれない」と言われました。

――トップ昇格にすべてを費やしてきていたはずですが、どんな心境になりましたか?
正直に言って、高校2年のけがをした時点で厳しいだろうなとは思っていました。大学に進学して、4年後にプロを目指そうという感じで、特別に何かを考えたりはしませんでした。

――人生はサッカーだけが選択肢ではないわけですが、サッカー以外の選択肢はなかったというような発想ですね。
そうかもしれません。狭い世界で生きてきていたので、サッカー以外は考えていなかったかもしれません。

――早稲田大学に進学してサッカーを続けられました。早稲田大学サッカー部の部員ブログを選手自身が更新されていたので山下選手の執筆も読みました。文面からは『苦悩』を第一印象として感じました。
苦悩という表現は少し違うかもしれませんが、大学ではいわゆる部活じゃないですか。ユースから部活に変わって、考え方や環境の違いが結構ありました。そこで自分の中でいろんなことを考えるきっかけがたくさんあったように思います。

――「考え方や環境の違い」は具体的に何がありましたか?
柏のアカデミーではサッカーを突き詰めていくという感じでしたが、大学ではそれ以外の部分もいろいろなことがあって、例えば1年生なんかは準備もめちゃくちゃ大変なんですよ。ピッチ外の比重も結構あるなと最初に思いましたし、サッカーにもいろんな環境があるんだなと感じました。

――同ブログ内に【#Real Voice 2022】という1年の自分を振り返るコーナーを発見しました。 大学4年時に山下選手が執筆した文面に共感する一節がありました。「自分と違う感覚でサッカーに取り組んでいる人間がいたり、社会を目の前にして気がついたことだったり。中でもこの組織の特徴でもある個々の背景のばらつきから学べることや気づきは多くあった。プレー1つとっても、お互いが相容れないことも多々あったし、そもそも考え方が根本的に違うなと思ったことも多々あった。主張と傾聴のバランスがいかに重要かを思い知った。」
その話で言うと、早稲田大学のサッカー部は一般入学の人も入部できます。そもそもプロを目指していない人もいるわけです。高校から続けていたサッカーの延長で所属している人もいたし、就活のためにと思っている人もいたかもしれません。全員が本気でプロを目指す人ばかりではない中で、いろんな考え方のある選手とも一緒にやるとなったときにズレは絶対にあります。アカデミー時代は全員が全員プロを目指してやっていましたが、大学では考え方や価値観の違う人たちが一緒にやっている中で僕は初めての感覚を得ました。この中でも合わせていかないといけないのかということも考えました。

――そのブログの一節に共感した理由は社会人になるとその葛藤のようなものの連続なわけですが、アカデミー時代と大学時代のはざまで山下雄大もその葛藤を経験したのだなと思いました。
僕は、ある種、それだけ狭い世界で生きてたんだなと大学に行って実感しました。

――大学に進学して何が良かったと思いますか?
サッカーに関しても、パスサッカーをやっていた人もいれば、守備的なサッカーをやっていた人もいれば、もっとシンプルに蹴るサッカーをやっていた人もいて、違うサッカーをやってきた選手たち同士で合わせなければいけませんでした。プレーするときにいろんな考え方があるということを持っておくことは自分の幅として大事だと思いました。

――プロでも全選手のバックグラウンドが異なるというのは同じですよね。そう思うと考え方としても活きているのではないですか?
プロでも同じですね。なので大学時代を経験して、僕はなんだかんだ言いながらも良かったと思っています。当時の僕はそこにストレスを抱えていたと思います。でも、今思えば良かったと思います。いろんな経験ができました。

――プロ入りについて。
いくつかのクラブに練習参加をさせてもらっていたので、どこかには絶対に行きたいと思っていました。徳島からオファーをいただいてプロになれて良かったです。1年目から試合に絡みたいというのは誰もが思うことだと思いますが、僕も例外なく同じ気持ちで「まずは試合に出たい」と思っていました。

――そういう意味では好スタートだったのではないですか?
では、ないですね。

――でも、大卒ルーキーで開幕戦からベンチ入りと初出場を勝ち取りましたよね?
開幕戦からベンチ入りはできましたが、自分の中ではそれほどいい感触を得られていなくて、あまりいい状態で臨めた試合ではありませんでした。なので「もっとやれるのになぁ」とちょっと悶々としてはいました。特殊なフォーメーションで経験の多いポジションでもなかったので、普段見える景色と違っていて、動き方も特殊だったので、試行錯誤していて慣れようとしていた時期でした。

――プレシーズンで点を取っていたので前線に近いポジションだったのではないですか?
そうですよね(苦笑)。これまで点を取ってきたタイプではなかったですけど、たまたま入って…。本当はもっとゲームを作る側で強みを発揮したかったというか、そっちの方が絶対にできると思っていたこともありました。開幕戦以降はベンチに入れなかった中で、まずはメンバーに入ることと良い感覚を持ってプレーすることに専念しました。

――その先で、天皇杯2回戦・いわき戦(2○1)が先発出場で公式戦初勝利を経験しました。
あー、そうですね。

――もっと印象深い一戦かと思いましたが、反応薄でした。
(笑)。いやー、めちゃくちゃ印象に残っているわけではないです。

――次の質問へ展開するためにパスの出し入れをしてみたのですが…(汗)。天皇杯3回戦・柏戦(0●2)でアカデミー時代に在籍したクラブと戦うことになりました。どんな心境でしたか?
まぁ、思い入れのあるクラブなので、チャントも懐かしいなと思いました。でも、特別な感情で臨んだというよりは、自分のプレーに集中しようとしていました。

――美談は…、特になさそうですね(笑)。
美談は特にないですね(笑)。

――プロ初年度の2023シーズンはどんな1年間でしたか?
出場試合数を見るといいシーズンではないと思われるかもしれませんが、自分の中ではいろんな手応えを感じたり、自分の強みを感じられたり、逆に課題がわかったりもしました。なので選手として成長できた1年だったと感じました。

――シーズン中にも同じ話をしていました。
そういう話をしていましたか? じゃあ良かったです。

――2024シーズンは期限付き移籍でレイラック滋賀FC(JFL)に所属しました。どんな1年でしたか?
そこでも環境が大きく変わって、1年目より苦しんだかなという印象です。ただ、カテゴリーが下がったからといって出られるとは思っていなかったですし、サッカー選手である以上は試合に出なければ自分の価値も証明できないので、まずはプレータイムを伸ばすことを優先に考えていました。1年目の経験を踏まえても試合に出ることの大事さを考えて臨んでいました。ただ、夏頃にけがをしてしまって、シーズンを通して見ると最後まで試合に絡むことができませんでした。それでも先発で起用された試合も多くあったので、そこは1年目よりも進歩したと感じてます。

――大学時代に毎年執筆していた【#Real Voice】というコーナーが卒業を機に2022年で止まっています。ここで【#Real Voice 2023、2024】の2年間を加えるとすれば何を書きたいですか?
それはポジティブな話がいいですか?

――どちらでもいいのではないでしょうか。それが【#Real Voice】のコンセプトだと感じました。
確かに(笑)。なんだろうな。この2年間が思い描いていたものではないのは確かです。でも、それも今後につなげなければいけないことだと思いますし、この2年間で感じたことや経験したことを絶対に活かさなければサッカー選手として上にはいけないと思っています。いつか振り返ったときに、あの2年間で学べたことが良かったと思えるようなキャリアにしたいです。

――最後に【#Real Voice】は過去がコンセプトだったので、ヴォルティスでは未来がコンセプトの【#Future Voice】で締めくくりたいと思います。どんな選手に、どんな人間になりたいですか
ははは(笑)。サッカー選手としてはトップトップというか、ヨーロッパとかでプレーできるくらいのスケールの大きい選手になりたいです。人間としては、人間かぁ…。難しいな。良くないことが起きたとしても、すべてをポジティブに捉えられるような人間になりたい。なりたいというか、ありたいです。