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【VOICE】Vol.129 #9 ブラウン ノア 賢信
―いつ頃から日本で生活していますか?
カナダで生まれて、父はアメリカ人、母は日本人で1歳くらいから日本にいます。2歳くらいには、家でボールを蹴っていたみたいです。僕はほとんど覚えてないですが。
その流れで保育園でサッカーを習い始めて、少年団の「赤松フェニックスFC」に入りました。平日週2回と土日の練習だったと思います。その時はポジションという概念もないので、楽しくサッカーやっていた記憶がありますね。
そこから、3年生からヴィトーリア目黒FCに入りました。レベルの高いところでやりたいと思いました。目黒区内では一番強いチームだったと思います。区大会で優勝して、東京都大会でベスト8に入った記憶があります。プレー面では、ヴィトーリアの監督は厳しかったと思います。
―横浜F・マリノスジュニアユース追浜に入ります。なぜ横浜FMだったのでしょうか。
自分が住んでいる地域がどちらかというと、横浜に近くて。小学校3年生の頃から横浜F・マリノスのスクールにも通っていました。
ヴィトーリアの先輩が横浜F・マリノスのジュニアユース入っていたのもありました。セレクションを受けて、合格して入りましたね。
小学校の時は、他にも複数のサッカースクールに通っていたので、ずっとサッカーしてた記憶があります。
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―横浜FMのジュニアユースであれば、レベルも高かったのでは?
もちろんレベルは高かったですが、通用した部分が多かったと思います。自分のプレースタイルは中学2年生頃まではポストプレーが多かったと思います。ゴールを取るより、ボールを受けて周りにパスを展開していたことが多かったですね。当時を振り返ると、シュートが上手くなくて、とりあえずポストプレーを磨こうという思いが強かったのかもしれないです。
その中でも、途中出場で試合に出場してゴールを取ったりすると、徐々にゴールを奪うことへの楽しさも感じるようになりました。その時くらいからゴールへのこだわりが芽生えたのかもしれないです。
身長も中学校2年生の時には今くらい(185cm以上)はあったと思います。なので、競り合いとかフィジカル面で負けることはなかったです。足も当時から速くて、裏への抜け出しも得意でした。
そのうえでゴールもコンスタントにとれるようになって、そのことが評価されて、U-15日本代表に召集されました。
―当時、憧れていた選手はいましたか?
実は、当時はあんまりサッカーを見ていなくて。なので、この選手を参考にしていたという選手もいなくて。Jリーグも横浜FMの試合を何回か見に行ったくらいしか覚えていないですね。
―その後はユースに昇格します。横浜FMのトップチームと関わりも多かったのですか?
高校1年生の時には、トップチームのキャンプにも参加しましたし、何回もトレーニングに参加する機会がありました。2019シーズン(高校3年時)にはJリーグチャンピオンのチームにもなっていますし、本当にレベルが高かったです。トレーニングでは、相手DFに栗原 勇蔵選手(元日本代表)やドゥシャン選手らがいて、全く歯が立たなかったですね。ゴールキーパーにも全部シュートを止められるので、シュート練習でさえも入らなかったです。何かが決定的に違うのではなく、すべてにおいて能力が違いました。もちろん、そこでは体つきも、駆け引きの面、精神面も含めて自分はまだまだでした。そこでトップレベルを肌で感じました。
その中でも、2019シーズンにはトップチーム2種登録もしてもらって、ルヴァンカップ第2節の湘南ベルマーレ戦で出場もしました。でも、その試合では何もできなかったですね。
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―世代別の代表にも召集されていました。多くの刺激を受けたのでは?
そうですね、例えばフランスとか、ベルギー、アメリカとも対戦しましたね。海外の選手は日本人とは体つきも違いますね。スピードや高さの部分は少し通用したかなと思います。でも実は昔のこと、ほとんど覚えてないんですけど(笑)。
―他に印象に残っていることはありますか?
あと、高校2年生の時には名古屋グランパスユースにいた三井 大輝選手とJユースカップ3回戦で対戦しました。(3-0で横浜FMユースの勝利)。三井選手は高校2年生にも関わらず守護神でした。でも僕が途中出場して、後半アディショナルタイムにゴールを奪いました(笑)。裏抜けをして追加点だったと思います。今でもその話はします。
3年生の時には、プレミアリーグ昇格戦を勝ち抜いて、3年ぶりに昇格できたこともいい思い出ですね。
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―横浜FMのトップチーム昇格を決め、1年目はカマタマーレ讃岐への期限付き移籍でした。
トップチームはレベルも高いですし、出場機会も限られてくると思うので、期限付き移籍をする話になったと思います。当時、望月 一仁監督からは守備について本当に言われました。追い方とかタイミングとか。今となっては分かることも多いですが、当時の僕は理解ができなくて、難しい部分も多かったと思います。
ユースではフィジカル面でも圧倒できた部分も多かったですが、J3の舞台では通用しなくて。ただ、そこにも慣れてきて、リーグ後半戦になると課題も徐々に克服でき、出場時間を伸ばすことはできました。ただ、結果としては22試合2得点だったので、まだまだ物足りなかったです。
プロのスピードや試合経験を積めたことは良かったと思います。当時は練習場が人工芝だったりで大変だったので、讃岐時代のことはよく覚えてます。
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―そこから2021シーズンは水戸ホーリーホックへ完全移籍しました。
水戸はキャンプの時から調子が良くて。J1のチームとトレーニングマッチで確かゴールを取って、「プレシーズンに結果も残せていい調子で開幕戦いけるぞ!」と思ってたら、怪我をしてしまいました。
その当時は柳澤 亘選手と右サイドを一緒にプレーしていました。僕はポジショニングとかめちゃくちゃだったので、後ろの柳澤選手から常に指示を受けていた記憶があります。
第3節から復帰しましたが、なかなか点を奪えなくて。その中でも、当時の秋葉 忠宏監督は常に声をかけてくれました。「ここに抜けろ!」とか、戦術もとても具体的でわかりやすくて、何よりも戦術の選択肢が多かったです。しっかりと聞かないといけないなと感じましたし、戦術のことを考えるようになったと思います。そうしないと、ついていけないので。
水戸ではFWの選手層も厚く、また、出場してもなかなかゴールできなかったので、シーズン中に沼津への期限付き移籍を決断しました。
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―アスルクラロ沼津へ期限付き移籍後、2022シーズンには完全移籍。37試合に出場し、自己最多の13得点、7アシストの結果を残しました。
ゴンさん(中山 雅史監督)との出会いは大きかったですね。攻撃面ではゴール前の入り方を本当に教わりました。どのように動けば得点を奪えるのか、クロスに対してどのように合わせるのかをとても考えるようになりました。他のコーチが褒めても、ゴンさんは常に高いレベルを求めてくれました。
あとはフィジカル系のメニューは本当にキツかったです。その分当たり負けしない体づくりもできましたし、足もさらに速くなったと思います。FWが何かということを教わって生まれ変わったと思います。
沼津では、試合中のスプリントもJ1トップレベルの回数にも増やすことができました。昔は守備は嫌でしたが、今では守備のスイッチ役として、2度追い、3度追いすることも嫌ではないです。ヴォルティスでも今シーズンの第22節のV・ファーレン長崎戦でいえば、走行距離が12km以上、スプリント回数もチーム内でも一番多くて、そこは継続できていると思います。
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―徳島ヴォルティスに加入して半年。ここまでを振り返っていかがですか?
個人的にはゴールのチャンスがあるからこそ、もっとゴールを決めたいと思います。例えば、ルヴァンカップ1回戦のAC長野パルセイロ戦では試合の立ち上がりにチャンスがありましたが、決められませんでした。そういう部分で決めないといけないですし、そのプレーで試合結果は大きく変わっていたと思います。何よりも、ゴールを奪うのがFWの仕事だと思っています。
その中でも、第18節の大分トリニータ戦、自分のプレスバックから得点に繋がったシーンは手ごたえを感じました。
―ゴールを渇望した中、第23節甲府戦で流れの中から得点できました。
流れの中でもPKでも、自分にとってはそこまで関係ないです。ゴールを決めて、チームの勝利に貢献する。そのためであれば、決め方は何でもいいです。
―リーグ再開初戦は8/3(土)愛媛FC戦、四国ダービーです。ホームで迎えた第13節愛媛FC戦はいかがでしたか?
ポカリスエットスタジアムに多くのサポーターが集まって、雰囲気がすごかったなという印象です。いつも感じていますが、それ以上に感じました。
―次はアウェイとなりますが、どんなプレーを見せたいですか?
まずは、いつもと変わらずゴールを決めて、チームの勝利に貢献する。ダービーなので、負けられないと思います。愛媛FCの石浦 大雅選手とは国体のチームで一緒だったりと、知っている選手もいますが、負けられないですね。
―サッカー選手として今後の夢はありますか?
重なってしまいますが、ゴールを決めてチームの勝利に貢献するだけですね。
―昔はアメリカ(MLS)でサッカーするのも夢と言っていたと思いますが…
まずは先のことではなくて、目の前の試合ですかね。
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