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『ヒラヒラヒヒル』の感想

※ビジュアルノベル『ヒラヒラヒヒル』のネタバレがあるので注意!

結構長い期間やっていた『ヒラヒラヒヒル』をようやくプレイし終わったので感想を書いていこうと思う。

このゲームは『SWANSONG』や『CARNIVAL』などを手掛けたシナリオライター瀬戸口廉也氏が脚本を手掛けるゲームで、瀬戸口ファンの自分としては発売前から楽しみにしていた。とは言いつつも発売してからはなかなか手につかず、プレイし終わるのに何カ月もかかってしまったというのはある。その理由はやっぱりシナリオの暗さにある。風爛症という病気が題材のためどうしても暗さは否めない。それゆえに足が遠のいてしまったというのはあったと思う。

ただ暗いからといって面白くないのかというとそういうわけではなく、むしろその暗さが社会的な問題を真摯に描いていて、この作品独自の力強さを形作っていると感じた。なので普通に良い作品だと思う。

本作に登場する風爛症という病気は架空の病気ではあるものの、その風爛症の症状自体は実際の病気や障害を想起させるものとなっている。なかなか病気を理解してもらえず誤解される当人の苦悩や看護する側の大変さなど、実際の病気にまつわる問題にも通じるようなことが描かれている。架空の病気を描いているにもかかわらず、実際の医療や看護の問題点などについて読者に問いかけるような内容となっているのだ。

このあたりは瀬戸口廉也の前作『BLACKSHEEPTOWN』においても描かれていたところだが、本作も病気の描写は様々な視点から描かれ当事者たちの苦悩が伝わってきたように感じる。この作品は瀬戸口作品の中でも自分は相当好きな方である(どれも良いけど)。

ヒラヒラヒヒルの面白かったポイントや良かった場面

ここからはヒラヒラヒヒルの面白かったポイントや良かった場面などを1つずつ振り返っていきたいと思う。

1:母親を引き取った後に千種が自分の考えを語る場面

母親を引き取るルートで引き取った後に実家の一緒の部屋で話すシーンがとても良かった。この場面で主人公の千種は自分の仕事への想いを口にする。

それは「本当は世の中のことなんてどうでもいいと思っているけど、誰かのために何かをするという行為は美しいと思っている」という考えである。本作で千種は完全に他者奉仕の人間で聖人君子すぎる印象だったが、このセリフがあったことで一気に人間味が増したような気がする。職業と本人の価値観がリンクしているというのは実際にもあることだと思うのでキャラクター造形として真実味が増すなぁと思う。さらに言えば千種のそういう優しい心を見せられて涙腺が緩んだ。

2:千種編ラスト付近の住職の話の付近

ラスト付近の地方調査の時にとある住職のところへ行くのだがその時の場面が良かった。住職は過去、ヒヒルに両親を殺されたのだが、それでもヒヒルたちを恨んでいないと言う。その理由として住職は、良い人間と悪い人間がいるようにヒヒルにも良いヒヒルと悪いヒヒルがいるからヒヒル自体を恨んでも仕方がないという考えを話す。その後に千種が「これは、風爛症だけじゃなくて、人と人との争いや憎しみの、ほとんどのことに言えるのかもしれないな……」と独白するがこの一連の流れがとても良かった。

実際にとある言葉で括られる集団に偏見を持ってしまうことは多々あることなので、この住職の考えは本当に納得できるものだなと感じた。SNSでは日々見かける光景なのでこういう思想が浸透すればいいとは思うけどなかなか難しいのだろうなとも思ってしまう。

3:松木さんが実は優しかった場面

駕籠町病院が暴力でヒヒルたちを管理していた時代から勤めている松木さんという看護師がいるのだが、その松木さんのとある場面がとても良かった。

風爛症になってしまった千種が患者として生活している中で、松木さんが患者をどこかへ連れていくところを目撃する。「もしかして暴力をふるうのでは?」と心配しながらついていくと、実際は単に患者の相談に親身に乗っていただけというほっこりエピソードである。

松木さんとは仕事上のことで考えが違うという描写もあったりと明らかに主人公と衝突しそうなフリとなる展開がいくつかあったので「ここで鬱展開くるか……」とちょっと身構えていた。しかしまさかの良い方向への裏切りということで普通にほっこりしてしまった。ここはとても好きなシーンだ。

4:症例の多さがすごい

『ヒラヒラヒヒル』において特徴的なのは登場する症例の数だと思う。本作では主要キャラ以外にも多数の風爛症患者が登場する。単に登場するだけでなく家族構成から当人の病状に至るまで細かく描かれる場合が多い。様々な症例が描かれることで患者にもいろいろな環境に置かれた人がいて、それぞれが違った問題を抱えながら生きているということが描かれる。この患者にも多様さがあるという描き方は、風爛症患者にもいろんな人がいるということを強調するためにも重要な描き方なんじゃないかと思う。

風爛症という病気の進行過程にも揺らぎがありそれがリアリティを醸し出していると思う。風爛症に罹った後は悪くなっていくだけという病例もある一方で、初期は酷かったものの時が経つにつれて回復していく病例もあったりと、本作における風爛症には同じ病気であるにもかかわらずさまざまなバリエーションがある。この幅の広さがむしろ実際の病気っぽいなと思うのであリアルな描写だと感じた。

創作物で病気が出てきてもこういう病状の揺らぎはあまり出ないような気もするけど揺らぎを出すことでむしろリアルになるんだなという発見があった。こういう描き方はあまり見ないので新鮮だと思う。

5:愛情は消耗するから消耗しないように手間を減らすべきという話

千種が風爛症の明子のところへ自宅訪問した際に、千種が天馬に対して愛情は消耗するから手間を減らすことで愛情を長持ちさせるように説くシーンがとても良かった。この指摘は実用的だし自分を含む、看護をしたことがない立場の人間としては目から鱗の意見だった。

言われてみると確かにずっと看護をしていると消耗するとは思う。それゆえにそれを少しでも軽減する努力が必要であるというこの考えは現実的な対処法に思える。

創作物において愛情というのは不変のものとして描かれることが多いが、この消耗するという考えをあえて描くのは凄いと思う。この視点は実際に看護及び介護をしたことがある人間しか持ちえないと思うのでやはり作者はそういう経験があるのかもしれない(それは『BLACKSHEEPTOWN』でも感じた)。

6:病識を持つことの大切さを説くシーン

千種が風爛症になってからの描写で病識を持ってなかったら危なかったかもしれないと思っているシーンがある。ここで病識というものの大切さを描くというのがリアルだなと思う。

実際に病識を持つことは大事だと思う。自分は現在は亡くなった認知症の祖父と接した経験からこれを強く実感する。自分の祖父には病識がなく、病識がなかったことにより、自己嫌悪に陥ってしまったことがあったように思える。自分に多少なりとも病気があるという認識があるとそれも仕方ないものかという風に割り切れる部分もあるが、それが認識でいないと辛い面もあるように思う。なのでこの病識の重要性を語るシーンは個人的に印象深かった。

まとめ

好きなシーンは本当はもっとあるが、キリがないのでこれくらいにしておこうと思う。本作は病気の描写があらゆる面から本当にリアルで、それゆえに響いた場面も多々あったように思う。

やっぱり自分はこのような質感の作品が好きだなと感じる。風爛症という架空の病気だけど、実際にいる人たちを描いているように感じた。このように物事を切実に描いている作品はどうしても引き込まれてしまう。

瀬戸口廉也作品はまだやっていない作品がいくつかあるのでやってみようかなと思った。他にもやりたいビジュアルノベルゲームはいくつかあるので、いつになるかはわからないが遠くない未来に『MUSICUS!』と『キラ☆キラ』はやってみたいなと思っている(CARNIVALの小説も読みたいけど高すぎて買えない)。


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