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フィルターを外した匿名SNS


匿名とは

皆さんは「匿名」と聞くと何を思い浮かべますか?
意見を投書したり、アンケートに答えたり、ネット上で何かを発信したり。
そうしたことの多くは、匿名で行われることが多いです。
そういった場においてもちろん自分自身の個人情報を明記して、「自身の意見」としてアピールする場合もありますが、今回の記事では「匿名」について述べていきます。
まず、匿名とはなにか、次に、SNSで「匿名」はどんな意味を持つのか、最終的に匿名SNSとフィルターの関係性について書いていきます。


匿名の発信

まず「匿名」で意見を発信する、ということは自身の情報と意見が結び付けられることがない、ということを指します。
例えば性別、職業、年齢、学歴など。
そういったプライベートな情報を晒すことなく、自分の意見を発信できます。
匿名である場合は肩書きに目が行くことがないので、意見や行動だけに目が向けられます。
つまり「フィルター」が外れた状態で、意見が人々の元に届きます。
色眼鏡で見られず、本質を見てもらえる公平な機会が匿名によって生まれるのです。
また、普段自分の意見を言いづらい立場にある人や、勇気が出ない人にとってとても有効な選択肢でもあります。
これは具体的には、アンケートなどで率直な意見を書いても匿名であれば特定されない、といった例があげられます。
味の評価や接客の評価、どの政党を支持するかや性的嗜好など、答えにくい質問に対しても、自分であることがバレないと保証されているのであれば意見を書ける。
自分と意見が結びつけられたくない人にとって、匿名はメリットが多くあります。

匿名が持つ力

では「匿名」が持つ力とはなんでしょうか。
それは、誰でも意見が公平にいいやすくなり、良くも悪くも世間を動かすことができる力だと私は思います。
例えば、「保育園落ちた日本死ね」という匿名意見が総理大臣まで届いたという事例があります。


匿名であれば意見が言いやすい=ハードルが低いということは、正直で率直な意見も抵抗なく発信することができるということです。
抵抗がなくなる人が増えれば増えるほど、意見は増大し、力を持ちます。
声をあげにくい性暴力の被害者や虐待経験者などが、匿名によって自身の体験や意見を発信することで、社会問題として注目を浴びたり改善に向けて動く人々が現れたりと、匿名の声によって世論を動かすムーブメントを起こせるといった点がプラスの側面です。
匿名であれば意見が言いやすく、面と向かっては話しにくいことが話せ、自分のことを知っている人に反応されるといったこともありません。
さらに、匿名の意見ひとつが呼び水となって他の人々の意見が集まってきます。
新たな議論の火種となり、議論が活性化していくことによって世の中を変えることができます。
そして同じように声をあげたくてもあげられなかった人々の勇気になるのです。


匿名のマイナス面

しかし、匿名が持つ力にはマイナスな側面もあります。
それは誹謗中傷です。
前述した「バレないのなら」という点が乱暴な意見や誹謗中傷といった意見も言いやすくしてしまい、ヘイトスピーチやいじめに発展することがあります。
木村花さんの事件はまだ記憶に新しく、SNSに寄せられた多くの匿名の意見によって、自殺に追い込まれた痛ましい事例です。


自分自身と結びつけられることがない、つまりどんな意見を書いても発信した人間には危害が及ぶことはなく、実生活に支障もきたさないとなれば悪意のある意見でも言いやすくなってしまいます。
嫌いな人のことを悪くいうような意見を発信したり、根も葉もない噂を流したり、そういったことに対してハードルが低くなってしまうのです。
加えて、意見が多く集まれば集まるほどそれは民意と捉えられ、正しい意見が埋もれていく可能性が出てきます。
匿名が持つ力は強いからこそ、プラスとマイナスの両面を理解した上でうまく使い分けていく必要があります。


SNSにおける匿名


さて、今まで「匿名」とはなにかについて、匿名がもつ長所や短所について書いてきましたが、続いてはSNSにおける「匿名」について書いていきたいと思います。

SNSで有名な匿名サービスは、日本最大級の電子掲示板である5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)やTwitter(実名利用も可)などが挙げられます。
よく広告で目にする、やさしいSNSとして話題のGRAVITYや大物Youtuberたちがこぞって動画にあげている通話アプリの斉藤さんなども匿名SNSです。
こういった匿名SNSでは、自分のことを明かさずに意見を発信したり、他の人と交流できたりします。
肩書きを一切無視した誰もが対等に意見交換をできる場は、実生活では生まれません。
実生活では、人間関係は簡単に変えられず、一度繋がりを持つと関係を断ち切りたいと思う時がきても、しこりを残さず良好に関係を終わらせることはひどく難しいことでもあります。
顔の見えない匿名のSNSは、簡単にブロックや削除をすることで相手との関係を断ち切ることができ、それと同時に実生活では簡単に詰められない距離も、フォローひとつで相手と繋がり情報を得ることができます。
また相手の情報が、文字や画像、音声だけに限定されると、人は想像力を働かせます。
相手の意見に真剣に耳を傾け、どのような人間であるのかを理解しようとするのです。
余計な情報は排除しながら、自分と気が合う人とだけ繋がれるというのが匿名SNSの良さです。


「フィルター」を外した匿名SNS

それでは、本題の「フィルターを外した匿名SNS」について書いていきたいと思います。
匿名はそもそも「フィルター」を外すという行為だ、という話は最初にしましたが、このフィルターを外すということがどういう意味なのかをわかりやすく示した都市伝説があります。
その話とは、ネット黎明期に英語圏の掲示板で昆虫の話をするスレッドがあり、昆虫に詳しい人たちがたくさん集まる中でも、特に詳しくコアな知識を戦わせていた二人が実は大学の教授と小学生だった、というものです。
いわば信じるか信じないかはあなた次第なのですが、この話には匿名SNSの強みが見事に表れています。
意見の真実性や詳細などが重視される匿名SNSでは全ての人が平等です。
そもそもこうした公共討論の場は「フォーラム」と呼ばれ、すべての人が平等な立場で議論できる場所とされています。
匿名SNSでは、お互いの意見だけを戦わせることで議論が活性化し、大きくその場が広がっていきます。
さまざまな意見が寄せられることで多様化し、マイノリティの意見も通りやすくなります。
実生活では声が通らなくとも、平等性が重視される匿名SNSでは全ての声が同じ価値を持ちます。
確実性や透明性がある意見に、普段は言いたくても言えなかった人々が声を上げることで、力を持っていくのです。
また、さ匿名SNSでは、お互いが誰でどんな人かを知らなくとも、知識や意見の交換・議論ができます。
そこには必要な資格も年齢制限もなく、各々の探究心・好奇心が重視される平等な世界が生み出されているといえます。
人種や肌の色、性別などで差別されることもなく、ハンデも優遇もない意見の本質だけを判断され、真っ当な知識量が試される世界は居心地がいいひとも大勢いることでしょう。
だからこそ、現代では「匿名SNS」が流行し、さまざまなサービスが提供されているのです。


まとめ

最後に私の話をひとつ。
私は昔、「宛名のないメール」という匿名SNSを使っていました。


そこでは誰が読むのも返信を返すのも自由で、まるで海にボトルメッセージを流すように、自分の思ったこと、日々辛いことを書き込むことができました。
辛かった思春期、そこに何度もメールを瓶に詰めて、ネットの海へと流し、たまにふらっと帰ってくる返信に心を救われていました。
顔も名前も分からない、一生会うことのない人々が、生きていてほしいといってくれる。
まるで街で偶然すれ違ったような一瞬のふれあいだけが、心を軽くしてくれることもあります。
匿名SNSの平等性や自由性、気楽さに救われる人は大勢います。
名前も姿も知らないということが、情報の多い現代人にとってはプラスに働きます。
そういった場所に居場所を見出す人も多くいる中で、匿名SNSが成長し、更なるプラットフォームとして人々の生活に浸透することでしょう。
匿名SNSの誰もが平等、という良さが広がっていくことを願っています。

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