プロジェクトセカイが受け入れられないボカロ好きに救いがほしい
最初に書いておく。
タイトル通りだが、これはボカロ好きを拗らせた頭の凝り固まっている人間が、プロジェクトセカイを受け入れられない苦悩を吐き出しているだけの駄文だ。読みにくい部分もかなりあると思う。セカイについて否定的な意見を綴っているから、セカイを純粋に楽しんでいる人は読まない方がいい。
そのままこのページを閉じてプレイに勤しんでくれ。
もう7年くらい前からだろうか、ニコニコでミクを知り、ハマった。
下手だが、ミクを購入し、自己満足で少しだけ歌わせたりしてる。Twitterも始めて、ボーマスやマジミラとかのミクイベントに参加するうちに、数は多くはないが他のミク廃と交流もするようになった。ミクに歌わせながら好きなボカロPの曲を聴いて、交流もして、たまにDIVAをプレイしたりと楽しい日々を過ごしていた。
そんな時に、プロジェクトセカイの開発スタートの知らせが飛び込んできた。その時は単純に楽しみだなと思っていた。メインのイラストにボカロではないキャラクターのシルエットが入っているのが気になったが、スマホでもミクのリズムゲーができるならいいかもしれないと思っていた。だけれど、情報公開が進むにつれ、段々とこのゲーム合わないかもしれない。と思うようになっていった。
一応事前登録もし、ついにリリース日。
全く触らないうちから毛嫌いするのもどうなんだと思い、とりあえずインストールしてみた。するとどうだろう。最初のチュートリアル段階でミクに「君の名前は?」なんて聞かれる。こっちとしては「ミクを購入した3年前から知った仲じゃなかったのかよ」とか面倒臭いことを思いながら、これはこのゲームの中のミクだから、このミクとはこれから関係性を作っていくから、と自分に言い聞かせた。しかしチュートリアルを進めると…ミクたちと一緒にオリジナルキャラクターのセカイを見守る?は?プレイヤーのセカイを一緒に作って見守り寄り添ってくれるわけではないのかよと。ミクと、よく知りもしないキャラクターが交流しているのを見ているだけの存在なのかよと。外野じゃねーか。7年経ってもまだ自分とミクの世界もまだ完全に構築できてないのに、興味もない他人のセカイとやらに構ってる暇などないと。このゲームにおいて、自分の存在は、ミクとの関係は、一体なんなんだ?と思ってしまった。
そもそも、だ。
ミクを始めボカロというものは、自分の中で、あくまでベースは歌声を作るための物言わぬソフトウェアだ。その上で、キャラの性格とかの公式設定がなく、自由に想像していいからこそ、所謂「うちのミク」ができる。基本的に向こうから干渉してくる存在ではないのだ。干渉してくることがあったとしても、それはあくまで「自分の中で想像したミクが自分が想像したように語りかけてくる」であり、つまる所はミクを通した己との対話なのだと自分は思っている。それ故に、自分の想像の範疇にないところから、こちらに向けて話しかけてくるミクにもの凄い違和感を感じた。…こちらに話しかけてくる部分ではマジミラやシンフォニーのミクのMCもそうなのだが、それにはそんなに違和感を感じないのは何故かわからないが、とにかくこのミクには違和感を感じた。
そういえばこのゲームにはミクたちの設定について「このゲーム内での設定であり、公式設定ではない」と注意書きされている。つまりはSEGAによる二次創作ゲームとも言えるんだろう。ボカロ創作は色々な解釈で色々な二次創作がされているから、当然自分に合わないものもある。そんなときは触らないのがベターだ。わざわざ自分に合わない二次創作に関わる必要はない。
ソフトウェアとしての存在の範疇を抜け出して、よくわからない世界で知らないオリジナルキャラと喋り、そのキャラたちの背中を押す存在になっているミクたちと、それを何故だか一緒に見守る自分、という解釈は自分には合わない。なら関わらなければいい。だって二次創作だ。公式設定ではないのだ。
この段階で「このゲームは楽しめない」と感じアンインストールした。
地雷になった。
ここから地獄が始まった。
あくまで公式が関わっているゲームだ。
『自分が好きなジャンルの公式』が大きく関わって作ったゲームなのだ。
「嫌なら見るな」「嫌なら関わるな」では済まなかった。
Twitterでは大勢のボカロファンがセカイを楽しみ、プレイしている。RTも沢山回ってくる。当たり前だ。DIVAが以前ほど盛り上がらない中の公式からの新作ゲームなのだ。それを楽しめている方がファンとしては正しい姿なのだと思う。
ミクたちボカロは、ファンの間で「常に変化して新しいことにチャレンジしてこそ!それを受け入れて楽しめてこそファンだ!」という風潮があるなと自分は感じている。沢山の可能性を持っているミクだ。自分もそう思わなくはない。だからこそ、公式から新しく供給されたこのゲームを世間の大多数に受け入れられている事実を前に、その世界観に馴染めず楽しむことができない自分は、まるでミクのファンではないと言われているように感じてしまった。そして、素直にこのゲームがミクたちが盛り上がっているのを心の底から喜んでやれない自分がすごく嫌になってしまった。「お前は好きなミクが新しい舞台で頑張ってるのを応援してやらないのかよ」「それでも本当にミクが好きなのかよ」と、自分の中のもう1人の自分が問い詰めてくる。
そう感じてしまってからは、タイムラインでプロジェクトセカイの関連ワードを見ているのも辛くなった。
だけれど、自分もそれなりの期間Twitterをやっているオタクだ。
他人に自分の苦手なもののツイートをするなと言うつもりは毛頭ない。
苦手な話題は見えないようにしようと思った。所謂自衛というやつだ。
セカイ公式垢はブロックしたし、セカイの関連話題をRTする初音ミク公式垢関係も泣く泣く全てミュートにした。追ってるジャンルの公式垢をミュートにするのはすごく辛かった。でもしょうがない。
好きなボカロPがセカイに書き下ろし楽曲を作ったと告知している。好きな絵師がセカイの絵を描いてアップしている。フォローを解除した。しょうがないのだ。セカイという存在を感じたくないと思ってしまったから。
昔はたまにリプを送り合っていたが最近はあまり交流しなくなった相互垢のミク廃のアイコンが、ミクからセカイのオリキャラの女に変わった。なんでだよ、ミクが一番好きって言ってたんじゃなかったのかよ、と思いながらブロックした。
ミュートワードも駆使した。
ゲーム名はもちろん、本当なら見たくもない公式サイトに飛んで各キャラクターの名前を調べ、全てミュート。タイムラインに流れてくる略称やあだ名、タグも流れてきたものは速攻ミュート設定した。そのおかげもあってTLには殆んどセカイの話は流れてこなくなったけれど、スクショだけのツイートは回避できず、見つけ次第ミュートしたりリムったりした。
それでも完全に視界から消すことはできない。
トレンドはミュートが反映されないから、関連ワードが出てくるたびに「興味がない」を押して見えなくした。好きな楽曲名や好きなキャラの名前がトレンドに上がっていて「興味がない」を押さなければならない日が来るとは思わなかった。これも相当苦痛だった。
Twitterだけでなく、pixivやニコニコや他ジャンルのまとめサイトなんかにも湧いて出てくる広告。広告設定で何度「今後表示しない」を選んだことか。それでも無限に湧いてくる。当たり前だろうボカロが好きでボカロのページを検索し閲覧しているんだから。ネット上だけではない。街中にも広告はある。嫌でも目に入ってくる。
先日の初音ミクシンフォニー横浜公演、参加した。参加したよ。
向かう途中の渋谷駅にあったセカイの大型広告が目に入り、気分を落ち込ませながら。
それでも本公演を楽しみに参加したよ。
セカイの書き下ろし楽曲がセトリに入るのは予想していたし、
楽曲自体に罪があるわけではないからと自分を納得させ、初めて聴くその曲を楽しんだ。
そうして楽しんでいたら、ミクがセカイについて言及するMCが。
勘弁してくれよ、やめてくれよと思った。
もちろん、リリースしたてのゲームを宣伝するいい機会だろうから当たり前だろうと思う。しかしセカイを離れたイベントでまでセカイについて言及されると、まるでミクたちの存在がそれありきになってしまったように感じてしまい。もちろん、ミクたちがどんな存在なのかは分かっているから、そんなことはありえないということは頭では理解してる。それでもそれが受け入れられず、家に着いてから泣いてしまった。
先日、トレンドにセカイの話題でカイト兄さんの名前が入ったときに、知り合いの青廃が喜んでいるツイートを見た。(すぐにミュートしてしまったが)こう言うと青廃に怒られるかもしれないが、トレンドなんて誕生日ですら入るか入らないかくらいのカイト兄さんの名前ですら、万単位で呟かれ簡単にトレンドに入るのだ。ボカロたちの盛り上げという点において、このゲームの功績は偉大だと思う。
「ボカロはオワコン」と言われ続け、実際はどうかは分からないが、ここ最近は確かに数年前ほどの盛り上がりを自分は感じられていなかった。そういう意味では、セカイがリリースされたことでまたミクたちが盛り上がるのは、きっかけはなんであれ嬉しいことだとは思っている。ミクが好きだ。ボカロが好きだ。この界隈が盛り上がることは嬉しい。それは間違いない。ガチャもあるということだから金銭面でも公式は潤うのだろう。今後のミクたちの発展への重要な資金源にもなり得るだろう。良いことだ。
だがそれでも、自分はそこに乗れない。素直に喜べない。自分が追ってるジャンルが盛り上がっているのに。それどころか見たくないと思ってしまうし、何故公式がこんなゲームにOKを出したのかとさえ思ってしまっている。
それに加え、今までのようなユーザー発信の創作からの盛り上がりではなく、プロジェクトセカイのリリースという公式発信からでしか盛り上がれなかったのだな、というのにも少し悲しさと悔しさを感じてしまう。
もしこんなことをTwitterで言おうものなら速攻叩かれてしまうんだろう。
実際にフォロワーの大多数は楽しんでいるし、こんな悩みを話せる相手はいない。楽しんでる人をあえて困らせるようなこともしたくない。Twitter垢を消そうかと何度も思ったし、今でも思ってるけど、人数は少ないが7年の中で繋がることができたファン仲間との交流を全く絶ってしまう勇気がない。
それに、ミクもボカロも好きなのだ。7年前から今もずっと好きだ。
『セカイの話題を見たくないから一旦ボカロから離れよう。』それが簡単にできるほどミクたちへの気持ちは、自分の中では軽くない。
今月末にはマジカルミライ大阪が開催される。自分は運良く東京の方でチケットが取れたから楽しみにしている。だけど同時に、仕方がないといえセカイの関連物を目にすることになるのかと思うと胃が痛くなるのが正直なところだ。
今回のマジミラはそんなことはないだろうが、
もし今後ライブ等にイベントにオリジナルキャラクターが出てくるようなことになってきたらと思うと、もうライブに参加することもできないかもしれないとか。いくらゲームのさらっとした注意書きで「公式設定ではない」と書かれていても、あくまで公式が出したゲームだ。これから増えるミクたちの二次創作が、セカイの設定が基本となっていくのかもしれない、そんなのはあまりにも辛すぎる。とか、最近はそんなことばかりを考えてしまう。
この状況をどうすればいいのか、どうやったら受け入れられるのかわからない。苦しい。
誰かこんな自分を救ってくれ。