反AIに負けた話。
【まえがき】
おはこんばんにちは。
性懲りも無く、また記事を書いてしまった。
記事を書く目的が自分語りから承認欲求へ変化していないかやや不安を覚えつつあるので、
今回の記事を書き終えたらどんなに言いたい事があっても2ヶ月ほどは黙ろう……と考えながらキーボードを叩いているが、とにかく今日の話だ。
この記事はまとめると、「私が反AIを嫌う理由」と、「しかし、現状はある視点で反AIの【勝利】なのかもしれない」という話。
もう少し砕いて3行にすると
1「反AIはデマを撒き散らすから嫌い」
2「しかしそのデマを信じる人間が絵師界隈に増えすぎた。【学習反対】は界隈ルールに追加されてもう挽回は無理だろう」
3「これから絵師界隈はデマを信じてる人が多すぎるせいで界隈の外からバカにされるようになるのかもな、嫌だなあ」
という内容を、5000文字以上かけて長々と語っている。
相変わらずの個人的な自分語り記事だが、上記を読んで分かる通りこのnoteは前回までより主語がかなりデカい。しかも反AIをボロカスに言った上で、反・反AIはある視点で負けたよねと語っている。
多くの人を不快にさせるかもしれない全方位カミツキガメ記事なので、それでも大丈夫という人だけ読んでほしい。
大丈夫?大丈夫なら下にどうぞ。
【本題】
この記事における「反AI」の定義は、前回の記事における「反AI」とは少し違う。率直に言えば「過激派」
アイコンに「NO MORE AI」のリングを着け、生成AIを「盗み」と呼び、ウォーターマークをつけない絵師を批判する、そういう人たちだ。
この記事での「絵師界隈」とは、主にXなどのSNSで「イラストが描ける」ことに価値を見出し、「絵の上手さ=地位の高さ」になっている人々。
「絵のスキルが特別扱いされている、SNSのアマチュア集団」のことだ。
最初に公言するが、この記事の内容は半ば八つ当たりで、愚痴である。
まず、前書きの通り、私が「反AIが嫌いな理由」から話す。
彼らによって、「絵師界隈が想像以上に無知の集団だとあらわにされてしまった」から、私は反AIが嫌いだ。
絵師界隈が好きだったのだ。自分の所属集団。
話が合う人がたくさんいて、絵を貼ると褒められ、TLを見ているだけで好きなイラストが流れてくる。閉鎖的で、仄暗く生暖かく居心地が良かった。
今は同じ集団を見ているのに、どうしようもなくやるせない気分だ。
私はゲーミングちんぽ茶道部の頃から今まで変わらず生成AIが好きだが、「絵師界隈」がなんとなくAIにいい印象を抱いていないのは感じ取っていたし、過激な「反AI」もずっと観測していた。
でも、だから反AIに絵師界隈が染められるなんて思っていなかった。
こんな人たちの言うことを信じる人など、そういないと思っていたのだ。
誰が聞いても間違っているデマを大声で叫んでいるだけなんだから、放っておけばいずれ勝手に自滅して、生成AIに関する知識は大多数の「傍観派」にそのうち浸透し、
5年もすればAIは界隈に自然に受け入れられるか、あるいは「別の創作ツール」として棲み分けが完了されるか、どちらかになると思っていた。
甘かった。そうではなかった。
彼らの言論は、あまりにもXのアマチュア絵描きによる「絵師界隈」と相性が良すぎた。
私が「誰が聞いても間違っている」と思っていた内容を信じた人は、私の予想の数千倍はいたようだ。
いまや私のTLには毎日、「AI学習禁止」の文字が入ったウォーターマークが入ったイラストやGlazeの汚ないノイズが被せられたイラストが流れてくる。
見るたびにやるせなくなる。「こんな絵を描く人でも、こんなに無知なのか」と。
本気でGlazeで学習を防止できると思っている人がいる。可能不可能以前に「阻害」と「防止」の区別がついていない。
Xを使っているのにプロフに「AI学習禁止」と書き、「禁止してるんだからされたら文句言える」と言う人がいる。利用規約に同意した事を忘れている。
15日から「規約が変更」されるという人がいる。14日以前の規約を読んだことは一度もないのだろうか。
ウォーターマークを載せているのに、どこにも「ウォーターマークを載せていない絵」を公開していない人がいる。本末転倒である。
ウォーターマークを載せた上で、「効果は半信半疑だが学習されたくないと言う意思表示」と言う人がいる。意思の前に、「私は法律に対する根本的な知識が足りていません」という事実を表示している。
「AI学習禁止」の文字を入れた飾りみたいなウォーターマークを作り、ワンクッションもおかずに不特定多数に公開する人と、それを拡散する人々がいる。もはや無意味すぎて何がしたいのかわからない。
挙句の果てには今なお、AIに絵を盗まれるのが嫌と言う人がいる。生成AIはコラージュじゃないと説明すると、「えっ?」と言われる。論外である。
そして彼らは高い確率で、「反AI」ではない。
「反AI」が騒いでいるだけならどうでもよかったのだが、「AIが道具だと言うことは分かっている。技術としては素晴らしいと思う。誰かが使うことを否定はしない。でも、自分が被害を受けるのは嫌だなあ」
そんな「一般絵師」が気付けば結構な確率で見事に染まっていた。
彼らのふわっとした「なんだか嫌」に対して、
「絵を学習されない権利は【ある】」というデマは、見事に効く甘言だったのだろう。
AI学習は実質盗みであり、学習防止にはウォーターマークやノイズが有効。SNSで不特定多数に向けて公開しても、絵の扱いは全て自分が決められる。あなたの絵柄とアイデアはあなただけのものだ。絵は自分で守らなければならない!!
あまりにも絵師が特別な存在であるために都合がいいこの話は、私のような「流石におかしいとわかるだろ」勢が傍観しているうちに、なんとなく浸透してしまった。
傍観していた事にも罪があるといえばそれはそう。
だが、「ここまでとは思わなかった」というのが正直な意見だ。
私は絵師を過大評価していたのだと思う。
ほんの2つ前のnoteで「自分を含めて絵描きは絵しか取り柄がない人ばかり」と言っていたのに、心のどこかで「こんな素晴らしい絵を描くのだから、人間としても素晴らしいに違いない」と思っていたのだ。
少なくとも、大切な絵を守るためなら、それを脅かすと思っている相手(AI)とその周辺の法律について、最低限は調べる人たちだと思っていた。
最初に知らないのは仕方ない、誰だって初めは赤ちゃんだ。でも、自分の大切な技術と深い関係がある新しい技術が現れたら、正しい知識を得る努力くらいはするのが普通だと思っていた。そういう人達であって欲しかった。
残念ながらそうではなかったことを、TLに流れるノイズガビガビのイラストが突きつけてくる。
ここまで広まったら、もう無理だと思う。
「AI学習には反対すべし」は、Xの絵師界隈の新たなルールだ。
人間は自分にとって都合の良い話ほど容易く信じる。共通の敵をみんなで叩くのは気持ちいい。正しい知識は都合が悪いのだから、広まらない。
辛い。自分が好きな人がたくさんいる居心地のいい界隈のこんな姿は見たくなかった。
そして、そう考えた上で懸念することがもう一つある。
これから「絵師界隈」は、絵師以外の人々から「下に見られる」ようになっていくのではないかなあ、ということだ。
だって、法律の観点から見ればおかしいこと(AI学習は盗みのようなもの)を集団で信じ、SNSで見た都合の良い話(学習されない権利がある)を正しい知識だと思い込んだ上、他の人にも迎合しろと同調圧力をかける(ウォーターマークやサインを学習防止のために入れろ)集団。
歯に衣着せず言えば、「フェミ」だとか、「反ワク」だとかと一緒だ。
彼らがそうでない人々からうっすらバカにされていることは疑いの余地もない。
絵師界隈がそういう人々と同じ扱いをされるようになり、
蔑称だったものをイラストレーターたちが地道な活動により敬称に変えた「絵師」という言葉が、また蔑称になる日はそう遠くないのではないか、
もっと言うと「絵師」という言葉は、遠からず「一般常識の欠如したクリエイター気取り」という意味になってしまうのではないかと、怯えている。
気を使って「これから」「懸念」と書いたが、実際には半ば手遅れだと思っている節すらある。何故かと言えば、私が「XでプロフにAI学習禁止を掲げる絵師」をそういう目で見ているから。
たった一人の偏った意見といえばそうだが、そう思う人が少なくとも一人はいるのだ。
でも、もうこの流れは私一人が止められるものじゃない。
AIは確かに、世間一般に受け入れられ、なくてはならない技術になりつつある。だが、「新しい技術やルールが、世間一般に浸透する」のと「特定の集団の中ではずっと受け入れられない」のは矛盾せずに両立する。
反AIの活動は実を結び、「Xのアマチュア絵師界隈」は「AI学習を受け入れない」側になったとTLを見ていて強く思う。
「AIに反対するなら15日以降はXを使えない」という反・反AIの方も見かけるが、彼らがXを辞める未来は私には全く見えない。
「利用規約に同意するとは、利用規約を受け入れると言うことです」が理解できるなら、令和6年に基礎学習されない権利を主張しているわけがない。
自分の所属集団が「受け入れない」側になり、自分が受け入れたい側で、姿勢を変える力もない時にできるのは「集団を抜ける事」だけ。
だからこれから、私は「絵師界隈」を抜ける事になるんだろうな。
自分の住む村で古くから行われていた儀式の正体に気づいた村の子供は、こんな気持ちだったのだろう。因習村と揶揄されるわけだ。
さて、ここらでもう一度描いておくが、この記事の内容は八つ当たりだ。
事実を見せつけられた事に対する八つ当たり。
反AIめ。よくも「絵師界隈」の化けの皮を剥いでくれたな。
痛烈な皮肉だと思う。彼らは「クリエイターを守る」と叫びながら、自分で「アマチュア絵描きにとって最も都合の良い時代」を壊した。
「AIの登場によってアマチュアが金を稼げる絵描き優遇時代は終わり、本物のプロの価値がますます上がると思う」
これは4ヶ月ほど前のnoteで私が言った言葉だ。
その通りになりつつあるのを感じるが、過程は予想と少し違った。
私は「AIの方がメリットが大きいとクライアントが気づいて、アマチュアは仕事を貰えなくなる」と予想していたが、実際には「反AIがアマチュアを起用するデメリットに気づかせた結果、AIの方がマシだと判断される」時代が来ている。
でも、その外野からの評価の低下と引き換えに、彼らは自分たちの村を守り、AIと言うよそものを「見かけ上は」追い出す事に成功しつつある。
元々ブラックをグレーと言い張っている集団だ。
理想の虚構に浸ることが幸せならそれでいいのかもしれない。
私はデマを教え込まれ、「自分は知識がある」と思い込み、結果として自分の絵を守る方法を「これから知る」機会さえ奪われてしまった絵師たちを哀れに思っているけれど、どうやら彼らが守りたいのは「自分の作品」ではなく、「作品を大切にしている自分」だったみたいだから。
界隈の中には私のような「絵描きの一員でありながら、買う側でもある」人間が結構いるから、小遣い稼ぎレベルならその人たちで当分保つだろうし。
まあ、反AIのキャンセルカルチャー、界隈の外へ向けての放火は本当に目に余るので、「反AIはそのうち勝手に潰れる」という考え方に変わりはないが。
いずれどこかから本気で怒られて「界隈への大打撃」が起こる可能性は常にあるよね。それこそ二次創作周辺とかで起こりそう。
しかしこのnoteは「まさかその過程に、自分の住んでいる界隈がここまでド派手に巻き込まれて、共倒れにされるプロセスが挟まるとは思ってなかった」という話だ。
だからやっぱり、反AIに対する敗北宣言で、愚痴で、八つ当たり。
キャンセルカルチャーと界隈外への飛び火については語り出すと長くなるし主題から外れるし机上の空論極まってくるので今回は言及しない。
今回は、「界隈を反AIの言説に染め上げられ、自分が界隈を去る事にした」という点をもって「敗北」と書く。
愚痴も佳境なので、そろそろ締めよう。
私には、自分が立派な「反・反AI」になっている自覚がある。
だからこそ自分の意見を正当化するのが嫌で、今思っている事を一度言語化し、できれば思考を中立に戻したくてこの長文noteを書いている。
だが、試みが成功したと仮定して、その時私は何を考えているのだろう。
今一番怖いことは、村から「出た」あとで、その村を外から見ることだ。
おしまい。
【余談】
この部分は元々本文の中に入れていたのだが、読み返したら本題と関係のない余談だなと思ったので、余談にした。
上記の通り、私は反AIは自分たちの愛する「絵師界隈」という村を染め上げて守る事に成功したと思っている。
ただ、その上で気にかかる事。
本文で「見かけ上は」と書いた理由だ。
「AIを使っているが公言していない絵師」は、その彼らが守り抜いた界隈の中ですでに山ほどいるのだ。
ウォーターマークやGlazeをかけた絵と同じくらい、AIに加筆した絵やAIを下書きにした絵、AIから色スポイトしているであろう絵が流れてくる。
これに対して、AIを嫌っている人はAI作品を見る機会が少ないので気づかない。
「自分は見抜ける」という人もいるだろうが、そう言っている人がAIを使ったイラストをRPしている所を何回見たかわからない。
一方、AIを嫌っていない人は嫌いな人よりよくAI作品を見るので、「AIを使っている」と気づくこともあるが、わざわざ言わない。
言わない事は法的に見れば何も問題ないし、界隈ルール的には大問題だが「公言するデメリット」を散々広げたのは反AIの方だし。
結果、AIを嫌っている人だけがAIイラストをAI作と見抜けずもてはやす、変な状況になっている。どこまでも歪だ。
そもそも「AIと手書きを分けろ」論については、AIを「道具」としてイラスト作成補助に使う私のような人間にとっては境界線が曖昧すぎて議論の開始にも至っていないと思っているが、それはまた別の話なので置いておく。
彼らはこの歪みにはどう対処するのだろう。界隈を抜けてから外野から見れば、客観的に観察できるだろうか。それはちょっと楽しみかもしれない。
今度こそ、おしまい。