もう反AI絵師の絵は買わないと思う。

※新しい記事を書くときに下書きを整理したら、

うっかり記事を削除したので再投稿しました※

内容については以前公開したものと一切変わりありません。
本来の投稿日は「2024年10月21日」です。
反応・ご意見頂いた方々には申し訳ありません。読んでいただいてありがとうございました。

【まえがき】

まず、この記事でいう反AI絵師とは、「XというSNSで」「イラストを投稿しながら」「”Xによる学習”に反対する姿勢を見せている」3点を満たす人間を指している。
・姿勢として生成AIに反対でも、追加学習のみに反対している人をはじめとして「Xによる学習には反対していない」人は含まない
・逆に生成AI、及び生成AIユーザーに対する暴言等を口にしていなくても、上記3点を満たしていれば私の中では「反AI絵師」に含む
上記を前提として、この記事は読んでほしい。

また、このnoteでお気持ちを表明したい相手は強い言葉を使い誹謗中傷を恒常的に行う過激な「反AI」ではなく、そう言った人たちの声高な主張に影響を受け、自分では何も調べずに感情とXのポストで得た情報だけで無断学習禁止を唱えるようになってしまった絵描きたちであり、
彼らを「反AI絵師」と呼んで、強く批判する内容が書かれている。

今や「反AI」がXでは蔑称として使われていることは知っているが、この記事ではあえてその表現を使う。
タイトルや、ここまでの前置きの時点で不快感を感じた人は、この先に進まないことをお勧めする。

それでも良いという人は以下にどうぞ。

【本題】

つい数日前、X(旧Twitter)で「AI生成」がトレンドに上がった。
理由は11月15日からのX規約の変更。
数年前から「Xは投稿した画像をAIのトレーニングに使うことがある」という内容は規約に盛り込まれていたのだが、よりわかりやすく「使う」と表記変更されるという内容だ。
(かなりざっくりと端折ってまとめたので、認識の相違があったら申し訳ないが)

で、絵描き界隈は荒れに荒れた。
内容については省略する。この記事を読んでいるような人なら、大体は知っているだろう。無断学習NGとか、勝手に絵を使うなとか、学習が許可されていないBlueSkyへ移動だとか、そういうのだ。
みんな煽られに煽られて、「Grok学習をオフにすれば学習されないよ」なんていうデマが数万RP拡散されていた。

元々生成AIイラストを嫌っていなかったので、頭ごなしに否定する人々のことが好きではなかったのだが、
今回の騒動で明確に、反AIと呼ばれる人に向ける感情が「嫌い」になった。
私は結構イラストレーターに絵を依頼する人間だったのだが、今後「AI学習禁止をXで謳う人間」に依頼を行うことは二度とないと思う。

今日はそういう話をする。

法律的にどうとか、AIデータセットの倫理がどうとか、そういう話はしない。そういうのは知識人や行政機関がちゃんと纏めてくれている。
このnoteではただただ、「なぜ私が嫌だなと思ったのか」という個人的な話をする。

さて。やっと本題である。

もったいぶってもなんなので結論から入ろう。何故私は「AI学習禁止をXで謳う人間」に依頼を行うことは二度とないと決めたのか?
簡単だ、信用できないからだ。

この「信用できなさ」とは、
「自分だけが得する状態でないと満足できないあさましさ」と、「その考え方に伴う依頼リスクの高さ」を指す。

言うまでもないが、Xって便利だ。
人間は承認欲求の奴隷で、特にインターネットお絵かきマンという人種は、それに価値を見出す傾向が強い。
で、絵を見てもらうために、Xがもたらす恩恵はすさまじい。Xがなければ絵を見てくれる相手が100分の1以下になる人なんて、掃いて捨てるほどいる。
しかし私がこのnoteで定義した3要項を満たす「反AI絵師」は、
自分がそのプラットフォームを「使わせてもらっている」立場でありながら、「メリット(拡散力)は享受するがデメリット(学習)は許せない」と言う。

「対価を払いたくないので使わない」という選択肢がある中で、「対価を払って使う」ことを選び、規約に同意したのは自分なのに、何故か”選ばされた”ように振る舞う。

こんな人に、依頼できるわけがない。
相反する2つの願いを同時に主張して自分の思い通りの世界にならないと喚くのは幼稚すぎる。
そして、幼稚な大人は怖い。

この考え方をする人に「イラスト依頼」をしたらどうなるか。
「メリット(報酬金)は欲しいが、対価(絵)は渡したくない」と言うのではないか。
ここで言う対価(絵)とは、イラストそのものではなく、「そのイラストを自由にする権利」のことだ。

「確かに絵を売りはしたが、それを自由に使っていいなんて言ってない」
著作権を売り渡し、著作人格権の非行使契約を結んでいても、彼らはそう口にする、そんな気がする。

その結論に辿り着くまでの思考回路は想像できる。
彼らにとって絵は唯一無二、何ものにも侵されてはならない宝物だから、「完全に権利を渡す」なんて本来あり得ない物なのだ。
そこを渡してしまっては、いくら貰っても自分が「損」だから。
ロマンチックな言い方をすれば、「物は売っても、魂は売らない」というヤツだろう。

大いに結構。考え方自体は許容する。
クリエイター魂、誇り、プライド、持つ権利は誰にも阻害できない。

でも、依頼相手としてはナシだ。買い手には売り手を選ぶ権利がある。

「買う」という行為は「お金と引き換えに商品を自分のものにする」ことだ。少なくとも私の認識では。
権利が欲しいのではない。権利を売らないことが悪いと言いたいのでも無い。だが、売ると言って金を受け取った物に対して所有権を主張し続けそうな人に依頼をするのは嫌なのだ。面倒な事になる予感しかしない。

金で売る気がないものに、値段をつけないで欲しい。

勘違いしないでほしいので改めて主張しておくのだが、この話は全て「XというSNS上で、規約に同意し、使用のメリットを享受しながら、Xからの学習は拒否しようとする絵描き」に対して思っていることだ。

私は「プラットフォームの拡散力を求める」ことも、「絵を売っても権利までは渡さない」ことも、「生成AIに反対する」ことも否定しない。

「学習されたくないので移住しました」という人も、「Xを使いたいので、本当は嫌だけど学習を許容します」という人も、嫌いじゃない。
移住すれば誰にも学習されないと信じている人には、本気で自分の絵を守りたいならもう少し調べた方がいいよ……とちょっと思っているが、
私が嫌いなのはあくまで「行動と言動が矛盾している姿勢」で、このnoteは「なぜ嫌いか」が主題なので、各個人の知識量については言及しない。
「AI反対派で権利も大事なので非公開プラットフォームを使い、依頼はSkebのみ」みたいな一貫した姿勢の人にはむしろ好感を持つし、実際Skebはよく使う。

AI反対論に関して言えば、「基礎学習に対する反対」でさえ、特定個人、あるいは組織への攻撃にならない範囲なら問題ないと思う。主張を大衆に向けて発信するまでなら言論の自由だろう。

私は法律的な面で見れば「基礎学習が問題」という主張が通る道理はないと考えている。……が、絵を描く側として「自分の作品に明らかに影響を受けているのに、その証明ができない後続の作品が、高い評価を受けているのを見た時の不快感と怒り」も知っている。
気持ち悪いし、怒りが湧いてくる。言葉を選ばずに正直になれば「証明できなくてもパクってるのは一目瞭然だ、謝罪しろ。作品は消せ。そしてその評価を自分によこせ、それは本来私のものだ」と感じる。言いたくなる。
全員とは言わないが、似た感情を生成AIが作った自分と似た絵柄のイラストを見た時に感じた絵描きは少なくないのではないかと考えている。
だから、怒るのは分かる。
でも、そう感じた事と、その言い分が現実的かどうかは別の話だ。

感情と現実は分けて考えなくてはならない。
日本の法律の上では証明できない被害は被害でなく、証明は被害者側が行わなければならない。それが今の現実だ。
最初に「今はこれが正しいとされている」ことを認めなくては、「今後は間違いとする」為の議論は始められないと私は思う。

「今定義されている正しさに不満があるから、”今後間違いに変える”ことを目指す」のと、「今定義されている正しさが、”今すでに間違い”だと主張する」のは全く違う。前者は戦いだが、後者はただの強弁だ。

忌避感情によるフィルターが自分の目にかかっている事を否定できないのでこのnoteを数ヶ月後くらいに見返す必要があるとは思っているが、
少なくともいまの私にはプロフィールの「無断学習禁止」表記やイラストにかけられているノイズフィルターが、「私は正しい情報の精査をせず、感情だけでない権利を守って貰えないことに文句を言っている人間です」という自己紹介に見えてしまう。

【最後に】

今回の騒動でひとつ、明確に「私はこういう人には依頼しない」という属性ができたが、それで私が困ることはまったくない。
私は特定イラストレーターのファンではなく、描いて欲しいキャラに合わせて好みの絵柄の人を探すタイプだし、この世にはAIに忌避感を持たないイラストレーターが山ほどいる。
依頼したくない人ができたら、「代わりの人」に頼むだけだ。
向こうも私のような考え方の人間からの依頼は願い下げだろうから、Win-Winの関係だと思う。

ただ、彼らはAIに仕事を取られると言うが、実際問題として私は「別の人間」に彼らに本来依頼するかもしれなかった仕事を頼んでいる。
生成AIで代わりになるからではなく、彼ら自身に問題があると思ったから。

その事実を噛み締めて、「なんだかなあ」と思うのだ。

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