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〈作家北森鴻の神髄は、短編にこそある〉大倉崇裕の解説全文!/『旗師・冬狐堂【三】緋友禅』(北森鴻)


解 説     

                         大倉崇裕

「大倉くん、ここ来るまで、これ聞いてたんだ!」
 北森鴻さんはそう言って、バッグの中からイヤホンがついたままのCDウォークマンをだし、中のCDを見せてくれた。「特選!! 米朝落語全集」の一枚が入っていた。
 電車の中で音楽を聴くことはあったが、落語を聴くなんて、当時の私には思いもつかなかった。北森鴻さんは、そのくらい、落語が好きだった。
 私が北森さんと初めてお会いしたのは、一九九七年度「鮎川哲也賞・創元推理短編賞、評論賞」受賞パーティーの会場だ。その年、短編賞に投じた私の作品が佳作に選ばれ、招待されたのである。九五年に「狂乱廿四孝」で第六回鮎川哲也賞を受賞された北森さんも、当然、そこにおられた。
 作家、編集者が集まるパーティーに出たのは初めてであり、どこで何をしてよいかも判らず、ウロウロしていた私に声をかけてくれたのが、北森さんだ。理由は多分、私の書いた短編が落語をテーマにしたものだったからだろう。見知らぬ人々に囲まれて目を白黒させていた私であったが、北森さんは気さくに接して下さり、上方落語、特に桂米朝師匠が好きだ、枝雀師匠は正直、昭和の頃の方が好きだ、など慌ただしくお喋りをした。その後、北森さんは編集者たちにどこかへ連れて行かれてしまい、私はまた一人になった。
 パーティーが終わるころ、北森さんが近づいてきて、「飲みにいかない?」と誘ってくれた。会場近くの居酒屋に移動、私のほかにもう一人、九四年に「化身」で第五回鮎川哲也賞を受賞された愛川晶さんもいらした。私はお二人の間で、ただプロ作家同士の会話を聞いているのみだった。本もまだ出していない新人が、厳しい出版事情、生生しい人間模様を耳にするのであるから、そのときの驚きと興奮は想像できるだろう。
 そして最後に話題として出たのが、その年の五月に発売となった「狐罠」についてだった。愛川さんによれば、「狐罠」は好事家をも唸らせる、大傑作であるとのこと。
『狐罠を書いたんだから、北森さんはもう大丈夫だよ』
 そんな愛川さんの言葉を、北森さんは照れくさそうに、一方で、まんざらでもないといった風情で聞いておられた。
「狐罠」とはいかなる傑作であるのか。その時点で私はなんと、「狐罠」を未読であった! 翌朝、慌てて書店に駆けこんだのは言うまでもない。以来、冬狐堂こと宇佐見陶子の虜となって、今に至る。
 この文章を書くに当たってシリーズ全作を読み返した。「狐罠」、「狐闇」の二大長編には読むたびに発見があり、時代の変化に揺るがない面白さがある。
 だけど、あえて言いたい。作家北森鴻の神髄は、短編にこそあると。実際、一九九九年には短編「花の下にて春死なむ」で推理作家協会賞を受賞しておられるし、「冬狐堂」と並ぶ人気シリーズ「蓮丈那智フィールドファイル」や「香菜里屋シリーズ」など連作短編作品も数多い。またその年の優秀作を収録するアンソロジー「推理小説年鑑」を見ても、一九九八年から二〇〇七年まで、ほぼ毎年、北森作品が掲載されている。北森鴻による短編作品の凄みが、ご理解いただけるであろう。
 本書「緋友禅」はシリーズ初の短編集である。収録されている四作それぞれにテーマがあり、骨董の世界に搦め捕られた人間たちの悲哀が描かれている。
「陶鬼」のテーマは萩焼だ。宇佐見陶子が師匠と呼ぶ男が山口の萩で自殺。遺骨を引き取りに向かった陶子は、その地で「秋霜萩」にまつわる因縁と向き合うこととなる。萩焼に身を捧げた者の業と悲哀が鮮やかに浮かび上がる。
 宇佐見陶子の手による作家へのファンレターという幕開けに驚く「「永久笑み」の少女」では、古墳などの盗掘を行う「掘り師」が描かれる。埴輪の持つ「永久笑み」に隠された意外な真実が陶子によってあぶりだされる。ミステリー味の濃い、宇佐見陶子の名推理と呼びたくなる鮮やかな一本。
 表題作である「緋友禅」に登場するのは、糊染めのタペストリー。偶然訪れた画廊で、無名の作家が紡ぎだす緋色に魅了された陶子は、展示されているタペストリーをすべて買い取る。ところが、作品が手元に届く前に作家が死亡し、彼女が購入したタペストリーは姿を消していた。これぞ「冬狐堂」と言うべき、コン・ゲームの面白さが堪能できる。
 最後の「奇縁円空」は中編でありながら、大作の貫禄を持つ。諸国を放浪しつつ、生涯で十二万体の仏像を彫ったとされる円空。その円空仏を手に入れた陶子は、「鬼炎円空」という贋作を巡る事件に巻きこまれる。「狐罠」にも登場したある人物が発端となり、思いがけない結末を迎える。練馬署の犬猿コンビも登場というサービスもある。
 全四編、主人公である宇佐見陶子の活躍は多岐にわたる。関係者を訪ね歩き、情報の断片をつなぎ合わせ、時に危険な目にも遭うのだけれど、不屈の闘志で真実に肉薄する。またあるときは、相手の計略を逆手に取り、巧みな戦術で落としこむ。
 骨董という極めて特殊な世界を描きつつ、謎と解決というミステリーの拘りを貫き通す。妥協を一切感じさせない作風は、「作家北森鴻の神髄は短編にある」と前述した所以でもある。
 職人という言葉がぴったりな北森さんだが、普段お会いするとき、そんな雰囲気はなかった。気さくで、物知りで、飄々としていて、話題はいつも多岐にわたった。実のところ、ミステリーの話をした記憶はほとんどない。「何てもったいない」と皆さんからお叱りをうけてしまいそうだ。
 一方で、あの居酒屋で愛川晶さんが北森さんに言った、
『狐罠を書いたんだから、北森さんはもう大丈夫だよ』
 は現実のものとなった。あれよあれよと売れっ子の作家となった北森さんは、パーティーの席でお見かけしても、編集者たちが幾重にも取り巻いているような状況。気軽に声をかけることも、できなくなってしまった。
 そんな北森さんであったが、その後も私のことを気にかけてくださった。リレーエッセイで私を指名して下さったこともある(北森さんからのご指名であれば、一も二もなく引き受けた方がいっぱいいたであろうに)、とある小説講座の講師をしないかとのお誘いを受けたこともある。
 失礼な話なのだが、北森さんがなぜそこまでしてくださったのかは、未だ判らない。上方落語が好きなこの頼りなさそうな男を、何とかしてやろう││そんなことを思われていたのかもしれない。
 ただ訃報はあまりに突然で、お礼を言う暇すらなかった。パーティーで北森さんを取り巻く人の輪に割って入り、こちらから声をかけるべきだったと、今も悔やまれてならない。
 実は、自宅には何冊か未読の北森作品がある。読みたいけど、読めないのだ。
「なに、感傷的なこと言ってんだよ。さっさと読んじゃえよ」
 と、ほろ酔いの北森さんの声が聞こえてきそうだ。
 上方落語の傑作「地獄八景亡者戯」では、三途の川を渡った亡者たちが、閻魔大王の裁きを待つ間に逗留する「地獄の歓楽街」が出てくる。

『芝居でも寄席でも立派なもんでっせ。ま、こっちの芝居見たら娑婆の芝居は阿呆らして見られんな』
『そうですか』
『そやがな。名優はみなこっちへ来てんのやさかいな』
   (桂米朝上方落語大全集 第一期 速記より)

 北森さんが愛していた桂米朝師匠も、旅だって久しい。今頃は、地獄の歓楽街にある寄席で、大観衆を前に喋っておられるだろう。その客席に、しれっとした顔で、北森鴻さんも座っているに違いない。

   二〇二〇年十二月


緋友禅(帯あり)



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