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一九七〇年代の川崎市を舞台に刑事たちが変死体の謎を追う人間味溢れる警察小説/『川崎警察 下流域』香納諒一

人々が熱く生きた時代の捜査譚

小説には時代の空気が織り込まれる。過去の社会を描くことは失われた感覚を描くことだ。香納諒一の書き下ろし長篇『川崎警察 下流域』は、半世紀前の首都圏を舞台にしたクラシカルな警察小説である。

 香納諒一は一九六三年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。
出版社に勤めながら小説を執筆し、九〇年に「影の彼方」で第七回織田作之助賞に佳作入選。九一年に「ハミングで二番まで」で第十三回小説推理新人賞を受賞してデビュー。警察小説やハードボイルドで人気を博し、九九年に『幻の女』で第五十二回日本推理作家協会賞に輝いた。

 刑事たちが活躍する〈捜査一課〉シリーズや〈警視庁歌舞伎町特別分署K・S・P〉シリーズ、カメラマン探偵を主役にした〈さすらいのキャンパー探偵〉シリーズなどの著作もあるが、香納作品には工夫を凝らしたノンシリーズものが多い。『川崎警察 下流域』もその一つだ。

 時は一九七〇年代前期。元漁師・矢代太一の死体が多摩川河口のヘドロで見つかり、ポケットから二つの家の鍵が現れた。次男の隆太によると片方は自宅の鍵だが「もう一つは知りません」という。川崎署のベテラン捜査員・丸山昇と新人刑事の沖修平は角打ちで情報を集め、クラブのママに太一のことを尋ねる。デカ長の車谷一人は矢代家で隆太に話を聞き、太一が通った飲み屋に向かい、四日前の出来事──若い女の電話を受けた太一が店を出たことを確認していた。

 丸山と沖が飲み屋に辿り着くと、女将は「諫見さんの息子たち」が太一を恨んでいると語り出した。元漁師の諫見克己と太一が組合で対立し、諫見の娘・亜紀と隆太の婚約が破談になった後、克己は火事で焼死していた。諫見茂と保はそれを太一の仕業と考えているらしい。車谷は彼らのもとを訪れるが、二人は関与を否定するばかりだった。ほどなく太一の秘密が判明するものの、捜査線上に浮かんだ男が刺殺され、事件は新たな展開を見せることになる。

 冒頭の「感情が濃く、男も女も人間臭かった。これは、そんな時代の物語である」という一節は、強い人間関係や想いを描くために七〇年代を選んだという宣言だろう。強烈な想いに端を発する悲劇、刑事たちの仕事と新人教育などは、現代風の規律や無関心とは正反対の人間臭さを感じさせる。冷笑や達観に流れないこの姿勢こそが、直球の人間ドラマの骨格を成しているのだ。

 ハードな物語のイメージが強い著者には、想いを叙情的に綴った短篇集『タンポポの雪が降ってた』、バブル期の大学生が語り手の青春小説『あの夏、風の街に消えた』のような作品もある。古風な刑事たちの捜査行にリリシズムを溶け込ませた本作は、プロット作りの技と持ち前の感性が合わさったファン必読の一冊に違いない。

一九七〇年代の川崎市を舞台に刑事たちが変死体の謎を追う
人間味溢れる警察小説

川崎警察 下流域 香納諒一 定価 本体2000円+税

香納諒一◎1963年神奈川県生まれ。91年に「ハミングで二番まで」で第13回小説推理新人賞を受賞してデビュー。99年に『幻の女』で第52回日本推理作家協会賞に輝いた。代表作に『贄の夜会』『心に雹の降りしきる』などがある。

文/福井健太
1972年京都府生まれ。書評系ライター。著書に『本格ミステリ鑑賞術』『本格ミステリ漫画ゼミ』『劇場版シティーハンター 公式ノベライズ』などがある。

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