切れ味抜群の語り口に酔う! 青山文平さん新刊『底惚れ』刊行記念インタビュー
「大恩人」が姿を消した――。江戸染まぬ一季奉公の「俺」は捨て身の捜索活動を開始する。最底辺の切見世暮らしの男が、愛を力にして岡場所の顔に成り上がり……。青山文平さんの新刊『底惚れ』が2021年11月19日に発売になります。圧倒的な熱量が込められた江戸ハードボイルド長篇。物語はどうやって生まれたのか。創作の裏側をお聞きしました。
短編「江戸染まぬ」を長編にしたくなって
――冒頭の章は現在の246号線のロードムービー仕立てになっているんですね。
青山 これはモデルがあるんです。蛮社の獄で知られる渡辺崋山が「游相日記」という江戸から厚木までの紀行文を書いている。いつか、これをベースにした物語を創りたいと思って書いたのが、2020年秋に出た短編集『江戸染まぬ』(文藝春秋刊)の標題作の「江戸染まぬ」です。
で、書き上げてみたら、その世界が気に入ってしまって、長編にしたくなった。「江戸染まぬ」では「俺」が相手役の芳に刺されるところで終わっているんですが、もしも、死なずに生き延びたら、「俺」はどうするのかを私自身、知りたくなったのです。そうして生まれたのが、今回の「底惚れ」です。
――「その世界」の何が気に入ったのでしょう。
青山 私は今を生きる我々と重なる時代小説を書くことを自分に課しています。ですから、制約の多い勤め人である武家を主人公にした物語が多かったのですが、勤め人ですから守られている部分も少なくない。もっと生に、荒々しく、世の中と渡り合っている者を書いてみたいと思ってきました。
「俺」はまさにそういう者なんですね。二十歳で地方の村を飛び出して江戸を目指したものの、江戸の手前の四宿で、待ち構えていた江戸の人材派遣である人宿に囲い込まれる。そして、四十過ぎの現在までずっと一年契約の一季奉公を重ねて生きている。江戸で暮らしてはいるが、江戸には加われず、孤立を深めながら日々をやり過ごしています。「俺」なら、もっとざらざらした物語が生まれると思いました。
ただ芳を想って動いたら成り上がっていた
――まさに今の時代状況と重なりますね。
青山 江戸は一季奉公の流動民に支えられている都市だったんです。特に、武家社会はそうでした。天保の改革に遠山の金さんが抵抗するのも、一季奉公なしに江戸は成り立たないからです。まして、流動民を弾けさせたら、田沼意次失脚の引き金になった天明の打ちこわしのような暴動が必至です。遠山金四郎は現実を見ていたんですね。
――その流動民の「俺」が、なんと岡場所の顔に成り上がっていきます。
青山 芳に刺されてからわずか二年で、「俺」は七館の妓楼の楼主となり、六十人の人を使うまでになります。おまけに、入江町で一番大きな損料屋にもなります。世間的な目で見れば大出世です。でも、「俺」は出世するために突っ走ってきたわけではない。なんとか、最底辺の暮らしから抜け出したかったわけでもない。刺す価値なんてない自分を刺してくれた芳を大恩人と感じて、なんとしても恩を返したいという一念で突き進んできたのです。
すべては、自分を人殺しと思い込んでいるであろう芳に、生きている姿を見せて、人殺しではないと伝えるためでした。その姿を通して、ひたすら人を想いつづけることの強さを表わせたらと思いました。
――最後に、ここを感じ取ってほしいというポイントを。
青山 登場人物それぞれの「個」を感じてほしいです。「俺」はむろん、銀次も路地番の頭ではなくあくまで銀次です。芳も信も下女ではなく芳であり信です。私がこれまでずっと何を書いてきたかと言えば、一人一人を世の中の属性ではなく「個」として扱うことです。「個」が交わるからこそ、ドラマが生まれる。
そういう視座からすれば、「底惚れ」は、一季奉公の寄子という社会的属性に埋没していた「俺」が芳を想ってひた走り、また、すでに「個」になっていた銀次や信と交わることによって、みずからも「個」となっていく物語であると言えるかと思います。
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