廓庵禪師『十牛圖』 第十圖~入鄽埀手(にってんすいしゅ)
廓庵禪師『十牛圖』
第十圖 入鄽埀手(にってんすいしゅ)
柴門獨掩、千聖不知。
埋自己之風光、負前賢之途轍。
提瓢入市、策杖還家
酒肆魚行、化令成佛
頌曰
露胸跣足入鄽來
抹土塗灰笑滿腮
不用神仙眞祕訣
直敎枯木放花開
和 仝
者漢親從異類來
分明馬面與驢腮
一揮銕棒如風疾
萬戸千門盡撃開
和 仝
袖裏金槌劈面來
胡言漢語笑盈腮
相逢若解不相識
樓閣門庭八字開
柴門(さいもん)独(ひと)り掩(おお)うて、千聖(せんしょう)も知(し)らず。自己(じこ)の風光(ふうこう)を埋(う)めて、前賢(ぜんけん)の途轍(とてつ)に負(そむ)く。瓢(ひさご)を堤(さ)げて市(いち)に入(い)り、杖(つえ)を策(つ)いて家(いえ)に還(かえ)る。酒肆(しゅし)魚行(ぎょこう)、化(け)して成仏(じょうぶつ)せしむ。
頌(しょう)曰(いわ)く
胸(むね)を露(あら)わし足(あし)を跣(はだし)にsて鄽(てん)に入(い)り来(き)たる。土(つち)を抹(な)で灰(はい)を塗(ぬ)り笑(わら)い腮(あぎと)に満(み)つ。神仙(しんせん)の真(しん)の祕訣(ひけつ)を用(もちい)ず。直(た)だ枯木(こぼく)の教をして花(はな)を放(ほ)って開(ひら)かしむ。
和する 第一に仝じ
者(こ)の漢(かん)、親(した)しく異類(いるい)より来(き)たる。分明(ふんみょう)なり馬面(うまづら)と驢腮(ろさい)と。銕棒(てつぼう)を一揮(いっき)し風(かぜ)の疾(はや)き如く。萬戸(ばんこ)千門(せんこ)尽(ことごと)く撃開(げきかい)す。
和する 第一に仝じ
袖裏(しゅうり)の金槌(かなづち)劈面(ひつめん)に來たる。胡言(こごん)漢語(かんご)笑(わら)ひ腮(えら)に盈(み)つ。相(あ)ひ逢(お)ふ(う) 若(も)し相ひ(い)識(し)らざることを解(よく)せば。樓閣(ろうかく)の門庭(もんてい) 八字(はちじ)に開(ひら)く。
自分というものを深く理解し、どんな立派な他人さまでも『私』という、この心を見ることはできない。真理さえもすっかり忘れ、気ままに歩き出した。着の身着のまま町で人と接し、疲れたら家へと帰る。居酒屋や魚屋に顔をだして、どのような人をも助けていこう。
たたえる
かれは、痩せ衰えた胸を露わにして、素足で市(まち)にやってくる。砂塵にまみれて、泥をかぶって顔はいつもニコニコとしながら語りかけてくれる。仙人が用いる秘術などは使わずに、ずばりと枯木に花を咲かせて見せる。
和する 第一に同じ
この男は、畜生の世界から舞い戻って来たに違いないと思うように、まぎれもなく馬づらと驢馬の顔だ。あの牛頭馬頭の鉄棒を風のように一振りするだけで、どのような家の表も裏もすべて壊してしまう。
和する 第一に同じ
袖に隠してした小槌は、正面から振り落ちて、ぺらぺらと異国の言葉を交えて大きな口をあけて笑っている。会う人ごとに「君は誰だった?」と聞くことができるなら、真理と真実の楼門はいつも開放している。
『己の才知を隠して、世俗に交わる。』ように、「私はすごい人だ。」とか「俺は偉いぞ。」と高慢な態度で物事を説いても、誰ひとりとして見向きもしない。『善』を『善』として誉めて、善を喜こんで善を行なわせていく。『悪』を『悪』として認めさせて、悪を悲しみ、悪を諭し、悪への反省をさせる努力を促す。そして忘れてはならないことは、『努力』や『無理』をしなくても良いところに到達するまでかなりの努力を重ねるが、学問のある人、富のある人、それはその人のみのものでない。努力を重ねたその学問と、その富の力というものは、多くの人によって得られた賜物であるからこそ、ただ自分のために使うべきものではなくて、世の中の多くの人のために使うべきものだろう。
廓庵禪師『十牛圖』~慕古心
2023年はApple創業者の故人がなくなって13回忌。氏から「あなたは何事にも偏っていない。」と言われた。僕は『僕の師匠にあたる人は、「坐禅というのは、前にのめってはダメ。後ろに仰け反ってしまっても良くない。右に傾き過ぎても良い訳がない。左に傾き過ぎては恰好が悪い。物事も自己の真ん中に置くもんだよ。」と教えていただいた。そこを間違ってしまうとアプローチがまったく違うモノになってしまう。あなたが育てた『林檎』というものが、多くの人々に幸せを与え続けて、空腹を満たすモノとなるのか?禁断の果実となるのか?はあなたの深い悩みと比例しますよ。』と伝えた。
#アスリートのココロ #禅のことば #禅語 #古典 #十牛圖 #十牛図 #心を調える #姿勢を整える #アスリートのコーチング #修行 #十牛図 #衆生 #tokujirofirm