廓庵禪師『十牛圖』 第四圖~得牛(とくぎゅう)
廓庵禪師『十牛圖』
第四圖 得牛(とくぎゅう)
久埋郊外、今日逢渠。由境勝以難追。恋芳叢而不已。頑心尚勇、野生猶存。 欲得純和、必加鞭楚。
頌曰
竭盡精神獲得渠
心強力壮卒難除
有時纔至髙原上
又入煙雲深處居
和 仝
牢把繩頭莫放渠
幾多毛病未曾除
徐徐驀鼻牽將去
且要廻頭識旧居
和 仝
芳草連天捉得渠
鼻頭繩牽未全除
分明照見歸家路
緑水青山暫寄居
久(ひさ)しく郊外(こうがい)に埋(う)もれて今日(きょう)渠(かれ)に逢(あ)う。境(きょう)の勝(すぐ)るに由(よ)って以(もっ)て追(お)い難(がた)く。芳叢(ほうそう)を恋(こ)いて已(やま)ず。頑心(がんしんは)尚(な)お勇(いさ)み、野生(やせい)は猶(な)お存(ぞん)ず。純和(じゅんな)を得(え)んと欲(ほっ)せば必(かなら)ず鞭楚(べんそ)を加(くわ)えよ。
頌(しょう)曰(いわ)く
精神(せいしん)を竭尽(かつじん)して渠(かれ)を獲得(かくとく)す。心(こころ)強(つよ)く力(ちから)壮(さか)んにして、卒(にわか)には除(のぞ)き難(がた)し。有(あ)る時(とき)は僅(わず)かに高原(こうげん)の上(うえ)に到(いた)り、又(ま)た煙雲(えんうん)の深(ふか)き処(ところ)に入(い)って居(きょ)す。
和する 第一に仝じ
牢(かた)く繩頭(なわがしら)を把(と)って、渠(かれ)を放(はな)つこと莫(なか)れ。幾多(いくた)の毛病(もうへい)未(いま)だ曾(かつ)て除(のぞ)かず。徐徐(じょじょ)として驀鼻(まくび)に牽將(ひき)いて去(ゆ)けば。且(ま)た頭(あたま)を廻(めぐ) らして旧居(きゅうきょ)を識(し)らんと要(ほっ)す
和する 第一に仝じ
芳草(ほうそう)は天(てん)に連(つら)なって渠(かれ)を捉(とら)え得(え)たり。鼻頭(びとう)の縄牽(じょうけん)、未(いま)だ全(まった)くは除(のぞ)かず。分明(ぶんめい)に照(て)らし見(み)る帰家(きけ)の路(みち)。緑水(りょくすい)青山(せいざん)暫(しばら)く寄居(ききょ)す。
久しく遠くばかりを探していたが、今は目前で牛を発見した。周囲に誘惑されて、忽ち逃げてしまう。快適な草村が恋しいらしく、そこから離れる気配もない。本来の従順性を取り戻したければ、必ず調教しなければならない。
讃えて
必死の思いで牛を捕まえにかかった。しかし牛の気性はとてつもなく荒く、力は強靱で、簡単には捕まえ得られそうもない。たまには遠くの丘の上に姿を見せもするが、すぐに霧と雲に包まれた森の奥へと隠れてしまう。
和する 第一に同じ
しっかりと手綱を把って、牛を手放してはいけないが、多くの悪い癖がすべて抜けきっていないために、ゆっくりと鼻面を掴んで、こちらに引き込んでくると、牛は振り返ってものいた場所をみつけようとする。
和する 第一に同じ
若草が空まで届くほど薫る草原でその牛を掴まえたが、鼻の先端につけた縄をまだゆるめはしない。牛は家に向かう路を見通しつつ、緑の河、青い山ではっきりとゆるゆると道草をくっている。
長い間探していた自分の心をようやく見つけ、手綱を結びつけたものの、『樂(らく)』を知っている自分の心は頑固でなかなか言うことを聞いてくれず、すぐに逃げようとする。
それをコントロールするには、しっかり修練を積んで、心を引かれやすい誘惑や妄想を捨て、確実に日常生活にその成果を重ねていかなければならない。
廓庵禪師『十牛圖』~担板漢(たんばんかん)
「昔、唐の国に、材木を挽い(製材に)して板を売っていた男がいた。板を担いで都へ売りに行こうとしていたその男に、まだ都に行った事が無い友人は「都ってどんな所か見に行って教えてくれよ。」と都の様子を教えてくれるように頼んだ。村に帰ってきた男は「都ってところは、それはもう人が多くて、えらい立派な家が多く建っていて、とても賑やかだった。けど不思議なことに片側だけしか家がないんだよな。」という逸話を用いて、見ている世界と考える世界とういうものがあることをApple創業者の故人に僕は伝えた。
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