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宗教家だった祖父が教えてくれたこと:利他という生き方

MIKI FARM MAGAZINE vol.6
信仰3世で元宗教家。現在は新規就農に向けて準備中。ちょっと変わった視点から、農業に触れて学んだこと感じたことを綴っています。
MIKI FARM開園に向けたドネーションを募るという意味合いで、メンバーシップを開設しています。

MIKI FARM園主の御木徳大です。
今回は私の信仰のことを中心に書き進めて、それを農業と関連付けてみたいと思います。


ありふれた日常として

宗教というと何かと物議を醸す昨今です。できれば当たらず触らず、関わりたくないというくらいの雰囲気が社会全体にあって、信仰を持っている側の人間としては何とも言えない息苦しさを感じてしまいます。

宗教のことを話題として取り上げるのはなかなか難しいものですが、私にとっての信仰はありふれた日常そのもので特別なものではありませんでした。

少しでもその”ありふれた日常”というニュアンスの中で信仰のことを語れるようになっていきたい、という思いもあって、こんな文章を綴っています。

私は祖父の代からPL教の布教師を務める家庭で育ち、朝に夕に神前で手を合わせて毎日を送りました。特に無理を強いられたわけでもなく、それが自然なことでした。

PL教団は戦後間もなく立教されたいわゆる新興宗教団体で、祖父は立教当初から教団教師としてその布教に務めてきました。

”新興宗教団体の宗教家”などと言えば、世間の人からするとどんな印象なのでしょうか?
私の祖父は、何というか、とにかく優しい純朴な人で、信仰一筋の人でした。世に流布された”新興宗教”のイメージとは、全然重ならないような人です。

私にとってはもちろん特別な人ではありますが、特異な存在ではありませんでした。

世のため人のために

「世のため人のため、一生懸命やりなさい。それが一番幸せな生き方だから。」

祖父は長い宗教家人生の中でひたすらそんなことを言い続けていましたが、そういう祖父自身が”世のため人のため”ばかりを祈り続けて毎日を過ごしていました。自分のための願い事だとか、どうこう願っている姿を見たことがありません。

温和で自然体な人柄が多くの人に愛されて、家族も皆、祖父が大好き。

齢100歳を超えてからもずっと現役の宗教家だった祖父は、なお人の悩み事に耳を傾けては「人様のお役に立てるよう、頑張りなさい。できることからで良いからね。」とエールを送り続けていました。

幼い頃からそんな祖父の語る教えというか、人生訓に触れながら育った私ですが、当然ながら、それをそのまま鵜呑みにするばかりでもなく、それなりに反発することもありました。

「世の中そんなに甘くない。世のため人のためばっかりやってても、バカをみるだけだ。」

いくらか成長して、多少なりとも知恵をつけたら、生意気にそんなことを思うようにもなりました。

そこからさらに年月は過ぎて、102歳で祖父は亡くなりますが、この頃になってようやく「ああ、祖父の言っていたことは本当だったな。」としみじみ思えるようになりました。

宗教家というお勤めのおかげで、最晩年になってもなお人から色々と頼りにされていた祖父でしたが、実際のところそのことによって支えられていたのは祖父の方でした。
「いつまでも人様のお役に立ちたい」その気持ちがどれだけ祖父を力付けたか分かりません。

体力的な衰えをどうすることもできなくなってからも、頭ははっきりしていて、無理な延命治療は行わずに余生を自宅で家族と過ごすことを自分の意思で選択しました。

長年連れ添った妻と、娘・息子達で集まって最期の時を過ごす中で、長男である父は枕元で呟きます。

「父さん、良い人生だったね。」

すると小さく2回、頷いたのだそうです。
それから程なくして、眠るように亡くなりました。

「世のため人のため、お役に立つことだけ考えて、一生懸命頑張りなさい。それが一番幸せな生き方だから。」

そう伝え続けた祖父の言葉が、他ならない祖父自身を幸せにしました。

私のライフワーク

祖父の最期を何度となく思い返すに、つくづく私もこうありたいものだと思います。まだまだ人間が俗っぽいので、祖父のように”全て世のため人のため”なんていう生き方からは程遠いですが、できるものならそんな風に生きてみたいと思えるようになりました。

そんな祖父の生き方への敬愛の念を、できれば多くの人と共有したい、とりわけ我が子たちに向けて、「ひいおじいさんは幸せな人だったよ。」と話してやりたい。
そんなことを願っていますが、信仰のことを語ることが妙に難しい世相の中でどうやったら上手くこれを伝えていけるか。そこに向き合うことが私にとっての言わばライフワークだと思っています。

私自身も祖父と同じ、PL教団の宗教家だったのですが、それを辞して今は農家を始める準備中です。

特定の信条を持って生きることを諦めた選択ではなくて、むしろその逆というか、信仰という特殊な文脈の中で培ったものを何か全く別の文脈に繋げていきたいと考えて、選んだのが”農業”でした。

農業をダシにしてスピリチュアルな話がしたいとか、高額な商売に繋げて一儲けしたいなんて突飛なことを考えているわけでは無くて(笑)誰でも理解できる自然の仕組みや命の成り立ちに乗せて、私が信仰の中で育んだものの裏付けをしてみたい。そんな動機です。

例えば祖父が教えてくれた”世のため人のため”、つまり”利他”という生き方。

農業について学んで、自然の仕組みを知っていくとこの世界がたくさんの生命の利他的な振る舞いによって築かれていることが分かるようになりました。

ちょっと長くなってきたので今回はここまで。

次回は信仰の話から離れて、農家としての視点から”利他”について綴ってみます。

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