ハワイの恋が終わり苦しみの先に、悟りへの道が開けた 13
第三章13 乳がんになる
クリスと私は、すごく穏やかに、幸せを感じながら生活をしていた。少し前までは、クリスには一人で寂しいハワイ生活が2年間あり、私は不誠実な元恋人に嫌気がさして、別れていた。
ほとんど毎日、クリスは仕事が終ると私の家に帰り、夕食を食べシャワーを浴びて私のベッドで愛し合った。
「ただいま」クリスが帰って来た。
「お帰りなさーい」笑顔で私はクリスを迎える。
「今日はどうだった?」私
「普通だよ、カイルアのサリー川口さんが来て、娘さんが病気らしいの。話を聞いて、一緒に祈ったよ」とクリス
「お嬢さん、良くなると良いね。」私は答えた。
「もうご飯ができるから先に食べようね」私
「ちょっと待って、りさを抱きしめたい」
クリスはたびたびこう言って、私をぎゅーっと抱き寄せることがあった。いやではないが、すごく嬉しいわけでもなかった。反対に、今までの愛する男たちには、私から彼らの後ろを抱きしめることはあった。
そんな生活を送っている時、私にマモグラム、乳がん定期検査の知らせが来た。
一定の年齢を超すと、アメリカではほとんどの保険なら、女性には毎年検査をするように通知が来る。大抵の保険が、全額カバーしてくれる。去年初めて受けて、本当に痛かった。何が痛いかって、小さなこの胸を、無理矢理レントゲンの機械に挟みこんで撮すのだ。胸の大きい人は胸をつぶす痛さ、無い人は、脇からのお肉まで引っ張り出して、なんとかガラスの板の上に乗せて挟む。去年も痛かったし、私の家系は癌系統ではなかったから、今年はサボろうと思った。向こうから指定してきた日が、ちょうど仕事がオフだった。じゃあ行っておくかな。と、検診に出向いた。私は6年前に離婚してから、少しでもリーゾナブル料金が魅力で、カイザー病院に加入していた。カイザーは保険会社と病院と連結している。
サウスキングストリートと、ペンサコーラストリートの角にある、カイザーホノルル病院へは車で5分。検査に行った。
看護師が名前を呼んだ
「りささん、私はあなたの担当のレナです。下半身の下着以外は脱いで、前が開くようにこれを着てください。荷物は持って来てくださいね」
笑顔でレナさんは、はきはき手順を言った。薄い綿素材のひも付きローブを私に手渡した。
病院内は菌が繁殖しないように、室温が低い。私は肌寒いなと思った。少したってから、再びリナから名前を呼ばれて、レントゲン室に入る。
「片腕を出して胸をこのガラスの上にのせてくださいね」レナが話しながら脇の肉をひっぱりながら、無理やり私の胸をガラスの上に乗せて、足で機械を動かして胸を挟む。
(痛いなあ)声には出さないが相当痛い。私にとっては、何度も検診に来ているから、覚悟はしているのだが、さすがに顔に出ているらしい。
「りささん、がんばって、もう少しよ」とレナは声をかけながら、今度はもっとガラス面が胸を挟むように、手動のダイヤルでぐいぐいダイヤルを回す。これも、ベテラン看護師は上手にできるが、そうでない人だと、何回もやり直す。すると、痛みが膨れ上がる。
レナは、みかけはベテランそうだったのだが、何回もやり直しをして、写した後は、他の部屋にいる医師に、チェックに行った。その待ち時間も長かった。すると、またやり直し。これを3回繰り返して、なんとウルトラサウンド、超音波検査をすると言われた。
(えっ、やばいのかな)と思った。
終ってから医師に言われた。
「腫瘍の疑いがあります、再検査をすると思いますので通知を待っていてください」と。
数日経ってから、産婦人科の先生に呼ばれた。
「細胞を採ってみなければ分かりませんので、検査をします、いつが良いですか?」
私は答えた。
「1週間後から10日間日本へ行くことにしているのですが、その後でも良いですか?」
医者は言った
「大丈夫でしょう」
私は、それほど気にしていなかった。日本に滞在中も、そのことは忘れていたほどだった。
私は年に2、3回くらい日本へ帰る。帰っている間は父親の懐で遊ぶ。昔はお嬢様と呼ばれた。姉も私も音楽高校に入って、音楽大学へ進み、ヨーロッパへ留学もしているのだ。そういうことをさせてくれる、父親だった。
日本からハワイに帰って細胞を採った。
陽性だった。
「陽性ですが、ゼロステージです、血管から出ていない状態なので、心配しないで」
と先生に言われた。
ゼロステージ、というのがあるのも知らなかったが、初期の癌だと言われても、癌を宣告されると、やはり覚悟はする。がっかりもする。先生の話を電話で聞きながら
(私の何がいけなかったのかな)
と自分の人生の汚点を見直した。そんなに悪いことはしていないけど、多少の小さい嘘はついたことは、もちろんある。
先生の話が続いていて
「で、予定はいつが良いですか?木曜日はどうですか?」と聞かれた。
私は聞いた
「今週の木曜日ですか?」
今日が月曜日で、あさってのことだ。何をするのだろう。
「空いていますが検査ですか?」
と聞いた。
「癌摘出の手術です」
と言われた。
(早い!癌宣告から3日後に手術、私はなんて幸運なのだろう!)と思った。
こんなに早く手術してくれるなんて。カイザーホスピタルのことを悪く言う人もいるが、総合病院の良い事はこういう連結だ。
もう大丈夫だと思った。ゼロステージだから、深刻になる必要は無いのだろうけど。
(これは、神様からの忠告なのだ)
と切実に思った。
乳の下方を少し切除した後、お勧めすると言われた放射線治療にも行った。一ヶ月間、毎日病院に通わなくてはいけない。放射線治療の後は、気分が悪くなったり、だるくなったりすることがあると言われた。サイドエフェクトは、私には殆どなかったが、クリスに時間が取れる日は、連れて行ってくれた。放射線治療はクイーンズホスピタルで行った。
クリスが居て、ありがたいな、と思った。
ある日クリスが言った。
「あんなおじさんと不倫しているから、こんな病気になったのだよ」
そんなことがあるのかな?と思ったが、あえて口答えもしなかった。送り迎えをしてくれているし、心配をかけたから。
後にいろいろ勉強して思ったことだが、クリスが行った事は、無くもない話かもしれない。彼がどうのではなくて、彼の奥さんからの、生き霊の仕業かもしれない。生き霊なんて、迷信だと言い切ってしまえば、そんなものは無いとも言えるのだが。それも自分が作っている創造、幻影だからだ。
生き霊と聞くと怖いが、マイナスの強いエネルギーが襲ってくるとして、細胞が負けてしまうようなことだろう。意識には時間差がなくて、光よりも早い。別れたから終ったと思っていたが、災難は忘れた頃にやってくる的な。奥さんには、別れたことが分かっていないのかもしれない。私の後には、元彼には詐欺の若い女性にからまれていたのだから、家に帰るのは遅いだろう。
いろいろあって、クリスはこの時、私を支えてくれた、感謝している。
私にとってこの病気は、幸せの絶頂期に起ったし、過去の清算とこれからの、自分の体への注意だと認識した。淡々と日々を過ごして、放射線治療期間も終ると、1つの出来事としか思わなかった。
起ることは起る。それを大きく捕らえるか、長く捕らえるか、小さく捕らえるか、それをきっかけに継ぎへのステップと考えるか。
これは、カルマとしても、私はクリアーしたのだと思った。理由付けはいらない。今にいれば良いのだ。