狐たちのあぶらうり
たんぼをピンクに染めた
満開のレンゲも
種を落としはじめた。
雨をぬう
耕運はいつになるかな
たんぼ乾かず
今日も雨。(だいぶ字余り)
3月末に
地域で唯一の
ガソリンスタンドが閉店した。
下郷農協事務所横にある
金融は撤退が決定しているし、
それに伴いATMも
閉鎖が決まっている。
地域の要でもある
下郷農協は、
数年前から
オリジナル商品が激減して
地域住民の目から見ても
縮小しているように思うし、
(一方で、
下郷農協の酪農は
グリーンコープの大きな舵によって
凄まじい規模での拡大を予定している)
地域唯一の
お買いものの場でもある、
下郷農協の購買も
なくなるんじゃないかと
危惧している人も多い。
そしてその下郷農協も
サポートをしていた
ガソリンスタンドは、
スタンドに立ち続けた
地域の方のご病気により
突然の閉店が決定した。
今はまだ不便さも然程では
ないかもしれないけれど、
冬の灯油で困る
じいちゃんばあちゃんが
いるのは想像に容易い。
免許を返納した
高齢の一人暮らしの方も
少なくはない。
ここは過疎・高齢化の進んだ
人口1300人程の限界集落だ。
閉店したガソリンスタンドは
地域に灯油を配達している
スタンドだった。
我が家は
燃料が農業に
欠かせないのはもちろん、
15分20分かけて
他所にガソリンを入れに行くより、
地域から大事なスタンドが
なくなってしまったら困ると
地域外では2000円、
数円高くても満タンは下郷でと
極力利用するようにしていた。
わたしたちはまだ動ける。
多少不便でも
時間と燃料を使えば
地域外で
ガソリンも灯油も手に入る。
でも歳をとったらどうだろう。
災害が起きたらどうだろう。
これはただ
地域から
ガソリンスタンドがなくなるという
話ではないのかもしれない。
地域からインフラが
まるで歯が抜け落ちるように
失われている渦中に
わたしたちはいるのだ。
これまでも
そんな予感を感じながら、
時代の流れだどうしようもないと
見過ごしてきたことがある。
失われてきたことはあれど
こうして
新しいかたちの暮らしに
なっていくのではとも思っていた。
ところが閉店を知って、
(あれ?なんかやばいな)
と感じた。
こうやって
過疎はスピード感を増して
拍車をかけて
いくんじゃなかったっけ。
一度なくなると
新規の立ち上げは難しい。
なんとか
再開の方法はないだろうかと
地域の人と話していたら、
下郷農協の組合長たちと
(グリーンコープの方を含め)
意見交換する場を
設けてもらった。
ガソリンスタンドの運営を
大きな団体が
引き継いでくだされば、
人員確保なら
なんとかできるかもしれない、
と思ったのだ。
されど現実は厳しく、
下郷農協での運営は
難しいとのこと。
そういえば
友人がお店をしている
旧大田村では、
ガソリンスタンドを地域の人が
復活させたのだとか。
「視察にいってみたりして」
とうっかり呟いてしまって、
あれよあれよと
元下郷村代表で木工作家(70代)、
おおいた冠地どりの生産者(70代)、
黒毛和牛の生産者(70代)、
地域のプロパンガス経営者(70代)、
農家(70代)、
コミュニティスペース運営者(50代)、
そして農家(夫・40代)にカメラマン(わたし・40代)と、
平均年齢およそ62歳の
不思議なメンバーで
視察に行ったのが先週の話。
視察先では
いろんな可能性を感じながらも、
補助金とか資金調達とか
大変であろう資金繰りを
乗り越えたとしても
再開まで1年もかかったというし、
とってもハードルが
高そうだというのが
その時の率直な感想で。
やっぱり諦めるしかないんだ、
そういう流れだったんだ、
でもこうしてみなさんと
時間をもてて
思いを共有できて
よかったなあ、
無駄ではなかったはずだと
美しい
エンドロールが流れはじめた頃、
閉鎖した下郷の
ガソリンスタンドの
オーナーと会うことになった。
スタンドに立っていた
おじちゃんは地域の雇われ店長で、
オーナーは地域外に別にいるのだった。
「みなさんがしたらいいですよ」
(オーナー)
えっ?
(いや、でもわたしはもう自分のことでいっぱいいっぱいで。
資金繰りとか補助金とか書類とか無理だし)
「資金繰りはしなくても
そのまま使えばいいですよ」
「あの、でも、
うちはできることしかできなくて」
(いや、そうか。まあ、できることしか、できないのだった、今までも)
「・・・・・」
いつもおしゃべりな
おじさま達も、
言葉をぐっとのんで
なにかをきっと、妄想している。
(・・・いやいや、だって、無理でしょ、そんなの)
「でもだって、常勤できる人も、いませんしね」
みなそれぞれ仕事がある。
同意を得るつもりで
みなさんの顔を見るも、
一様に押し黙って奇妙な沈黙が流れた。
「あの、一度持ち帰って、再度皆さんで話しましょう。
今日はもう、遅いですし」
続けて話すと
迂闊な言葉が喉から出てきそうだ。
そしてそれは
わたしだけではないようだった。
頭を冷やさねばならない。
お開きになったのは
22時過ぎだった。
そして昨日。
お昼に友人たちと
レストランサルディナスで
美味しいランチをいただいて、
うちでもお茶して
お見送りをしたあとは
夕方ギリギリまで畑仕事をした。
汗を流して清々しい気持ちで、
夜の木工所へ会議に向かった。
おそらく今晩に
大きな方向性が決まるだろう。
決まったらもう
逆らわない。
例えこのまま終わったとして。
おや、見知らぬ人がひとりいる。
60代と思しき男性。
「仕事を下郷で探していて」
えっ?
聞けばどうやら、
高校生まで
ここで生まれて育った地子(じご)だそうな。
当時はここのガソリンスタンドに
入り浸っていたそうな。
ガソリンスタンドで
お手伝いしていた
おばさん(失礼)とは
元同級生だったそうな。
木工作家はニヤニヤしている。
わたしは意を決して問うた。
「あのー、もしかして週4とか、
働けますか?」
「あ、いいですよ。週5でも」
みんなで顔を見合わす。
木工作家が淹れてくれた、
とっくに冷めた珈琲をすすった。
オーナーに連絡を取って、
ガソリンと軽油の
補給の確認をとった。
21時。
と同時に
再オープンが決まった。
「早い方がよかろう」
えっ?
なんと、5月1日。
(母の誕生日…)
ええと、来年じゃなく?
3日後!
もう笑うしかない。
とにかく講習に、掃除だ。
あとはなに?
わからない、
できることをするしか、
ないのだった。
カードは使えないし
ポイントもたまらない。
安くもないし、
タイヤの空気も入れられない。
せめて窓ガラスを拭く
きれいなタオルが
あればどうだろう。
あとはなんだろう、
なにが足りないのかも
わからない。
地域の人たちの思いだけで
見切り発車した
(としか言いようがない)
下郷の唯一の
ガソリンスタンド・
スエヒロスタンドは
1ヶ月前の閉店宣言ののち、
狐につままれたように
再開が決まった。
ほんの10数時間ほど前の話。
常駐スタッフが足りない場合は、
ガソリンスタンドで
アルバイトもしたこともないけれど、
月に1回くらいなら
スタンドで店番を
する、かも、しれない。
(実際には事務所で本を読んでいる、かも)
みなさんのご協力がないと
どうしたっても立ちゆかない。
ということだけが明確で、
再開がきまった
ガソリンスタンド。
オープンは八十八夜の5月1日、
ゴールデンウィークの真っ只中。
餅つきをして
振る舞い餅をします。
近隣の皆さんも
遠方の皆さんも
観光で耶馬溪に
お越しの皆さんも、
無謀なチャレンジをはじめた
スエヒロスタンドと
わたしたちに
エールを。
新緑の耶馬溪で
当日は出来る限りの
フルメンバーにて
お待ちしております。
(ああ、
いまだに狐に
取り囲まれているようだ)
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