自由な表現をするには
一般的に薩摩琵琶は古典、伝統芸能と呼ばれるジャンルに属すると思います。
実際、薩摩琵琶には沢山の琵琶歌が存在しますが、題材はそれぞれでも日本語の基本となる七五調で作られています。
また、歌う方も弦を弾く方もある程度旋律が決まっており、型ができています。
そして琵琶歌の文句に型を当てはめていくと、自ずと琵琶らしい表現となります。
このような特性を考えると薩摩琵琶の表現は、現代の我々にとっては少々堅苦しい印象をもつかもしれませんが、そんなことはありません。
なぜなら型をどこに当てはめるかは演奏者の判断である程度決められるためです。
薩摩琵琶の旋律系の例
一例を記しますと「大干」という旋律形があります。
琵琶歌の中で高い声を張り上げてドラマチックに歌うところです。
「本能寺」という織田信長の最後が題材の琵琶歌を例にとってみましょう。
以下、琵琶歌の文句です。
"時はこれ 天正10年 6月2日の朝まだき"
この文句に対して、"時はこれ 天正10年"を「大干」で歌う人もいれば、次の"6月2日の朝まだき"に「大干」を持ってくる人もいます。
どこを強調したいかによって変わるわけです。
また、薩摩琵琶は原則的に同じ旋律を繰り返さないため、「大干」の後にまた「大干」がくることは余りありません。
岳城先生の言葉
私の尊敬する大正〜昭和にかけて大活躍された薩摩琵琶奏者の吉村岳城先生は著書「琵琶弾法図解」で以下のように記しています。
吉村岳城先生の言う通り、薩摩琵琶には自由があります。
明治時代に流行した琵琶楽を多くの若者が好んでいました。
当時の都内の大学生は通学中、琵琶歌を口ずさんでいたそうです。
先ほど書きましたが、琵琶歌はある程度型が決まっています。今のようにオーディオもYouTubeもない時代ですから、歌本を読んですぐに口ずさめる琵琶歌は非常に好まれたと思います。
そして、歌の間に入れる弦の方(曲)はとても少ないです。恐らく大学ノート一枚にも満たないでしょう。
ですが、人それぞれ弾き方や間の取り方が違います。そのため、同じ歌を演奏しても人によって差が出ます。
話していてもそうですが、少し間が早かったり、遅かったりするだけで受け手側の理解が変わることがあります。
激しい口調なのか、ささやくような口調なのかでも変わりますよね。
また、吉村岳城先生は自由であることを喜ぶ一方、こうも記述しています。
空手の型や相撲の決まり手のようなものが、薩摩琵琶にもあると考えてもらえればわかりやすいでしょうか。
現代はテクノロジーが進み、私たちは自由でとても快適な暮らしをしていますが、あえて型にはまることの楽しさもあると思います。
武道にある、「守」「破」「離」のようにまずは型にはまってそれを守り、そこから少しずつ離れていく。
守破離
薩摩琵琶を通じて、古きを知り新しきを知るではありませんが、私も皆さんにそのような価値観を伝える活動をして参りたいです。