第六話 その決まりには遵わない
道具一式は道すがらに百円ショップで見繕った。
「シャトル打ち返す時に気合が乗るようになんか掛け声みたいなのがあるといいな」
「る」
立ちはだかるのは瀧八千代(タキヤチヨ)、これを双子の兄妹、三塚松理(ミツヅカマツリ)とるるがペアを組み打倒しようという構図、そんなふうに三人がバドミントンに興じる様子を一ノ瀬綾子(イチノセアヤコ)は、広げたレジャーシートの上に座って眺めていた。
白と黒のモダンな市松文様とセクシーなくびれが印象的、彼らの奥にはとっくり型の給水塔が見えていた。
双見裕(フタミユタカ)が隣に座った。
四日前の三月十日を以て、高校卒業以来およそ二年間勤めた工務店を退社、両親のいる愛知県名古屋市に転居する旨を伝えられた。
「は。なに言ってんの急過ぎでしょ」
「突発的に決めたのは確か、でも会社にはちゃんと一月前に言ったよ」
「そうじゃなくて、あたしに言うのが」
「だからそこなんだよね、問題は。綾子さんと俺の関係性ってどうなんだ、って」
「なにそれ。友達じゃん」
「る」
「やれるかも、と思って緊張しなくていい相手と喋るのって凄く楽だけどさ、それに慣れちゃうのも先の事考えるとやべえんじゃねえかな、とか」
「急になんなの、そういうのないでしょあたしたちの間に」
「それ。そうやって予防線張らなきゃ男と喋る事も出来なくなってるなら荒療治必要だなって。自分のやった事、棚に上げて言うけど」
「あんたには関係ない」
「うるせえ閉ざすなよ。生々しい世界に俺たち生きてんだって、認めろよ」
「る」
両手の指先が互いに一番に遠ざかるようにするみたいに左右に腕を伸ばし、その状態から輪を描かせるように頭上で再会させるや否やぴんと伸ばした指先を脳天に直下させて双見が、言った。
「なーんちゃって」
「る」
「それで、引っ越しはいつ。もう日程とか決まってんの」
「明後日」
「は」
「る」
「だから明後日。実は松理にも、名古屋について来てもらって諸々手伝ってもらう事になってて。四日ほど借りるよって話もあって」
「馬鹿じゃないの急過ぎだって言ってんじゃん」
「確かにこのひと月はバタバタしてたね」
「そこじゃないよ。馬鹿じゃないの」
前日にした会話の内容が脳内で自動再生される、それを止める手立てがなく詰まり綾子は、全く以て上の空だった。
毎日のようにスクーターで走行している筈の自宅アパートの直ぐの道でハンドル操作を誤り、曲がるべきを曲がり損ね転倒した。
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第六話 その決まりには遵わない
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間にビーズクッションを挟むようにして壁に背を凭れ、床に座った姿勢でテレビゲームをしていた松理。ビデオデッキの前面パネルで時間を確認し、微かに聞こえてきたエンジン音が綾子のスクーターのものと判断する。
明日は午前中から双見と合流して名古屋まで同行する予定、引っ越しの手伝いもするにはするがどちらかと言えば方便、気分としては小旅行に出るようなもの、その為の準備は既に日中に済ませ、スポーツバッグという形で部屋の隅に置いてある。
ペットボトルの烏龍茶で口を潤し、なんとなく姿勢を正し綾子の帰宅に備える。
果たして、いつもならば速度を落としているのであろうタイミングでそうした様子がなく、直後に未確認飛行物体が墜落したかのような衝撃音が続いた。慌てて部屋を飛び出し、アパートの敷地外の直ぐのところでスクーターを押して歩いてくる綾子の姿を見付けた。
「転んだ」
「え、転んでないよ全然。上の空だったなんて事は別に全然、全然」
「例の件でまだ動揺してるって事ね」
「え、なに動揺って。ちょっとなに言ってるか分かんない全然、全然」
綾子の歩き方に不自然なところはなく、外灯下には怪我もないように見える。自己申告通り問題はないのかもしれない。だが松理は、明日は午前中の予定を変更し、病院に付き添うと宣言する。
「寝坊したかなんか言って誤魔化しとくから問題ない」
「いいよ、そっちが先約じゃん。それにほんとに大した事ないから」
「だったら双見に本当の事を言う」
「面倒になるじゃんそっちのが。迷惑掛けるじゃん」
「だからおれにだけ付き添わせとけって話」
「なにその交渉力、むかつく」
結果、右足首の靭帯損傷と診断された。ギプス包帯が巻かれ一週間程度安静にするよう、医者から言い渡された。
「バイト先にはどうする、おれが連絡しとく」
テトリスで隙間なくブロックを組むみたいに器用に、松理が、袋菓子に乾麺、レトルト食品などを買い物かごに詰めていく。その後を、慣れない松葉杖に苦戦しながらついて行きつつ綾子が、自分で出来ると応える。
「つーか店の外で大人しく待ってりゃいいのに」
「絶対安静じゃなくてなるべく安静。だからね、店長が許せばバイトだって出ていいと思うんだよね」
「店長が許してもおれが許さねえ。なんの権限もないけどおれが許さねえ」
そうして、綾子自身の干渉を許さぬままに外出自粛生活の準備が着々と進む、同時に開始が迫る、即ち、午後になれば松理が予定通り出掛けて行ってしまう為、独り世間からほっぽらかされるような情態となるに必至。
「過保護だと思うなぁ、あたしは」
「不注意で怪我なんかした事に対する罰に決まってんだろ、弩阿呆」
そうして、午後。
松理が持って出たスポーツバッグは押し掛けて来た初日に持ってきていたもの、それを見送る事態は綾子の意識下に、寂しさの滴を垂らしたのかもしれなかった。
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携帯電話のアラームが鳴る。
起きる。
絶対に起きる。
無理してロフトに上がらず居間で、二つ並べたビーズクッションをマットレス代わりにして寝た結果、腰に負担を掛けてしまった。背筋をぐっと反らした後、しばらく座ったまま静止して過ごす。そして船を漕いでしまう。慌てて立ち上がってトーストとスープを作る。作り終えて居間に運んだところで松理がいない事に気付く。即ちそれは、不要だった朝のルーチン。
後で自分で食べるように作っただけだし。
内心で言い訳を呟き、自らのうっかりを一先ず電子レンジ内に隠してちゃっかり平静を装う。誰も見ていないのだからそうする必要などないのだが、なんとなく。
テレビを観る。
全力でテレビを観る。
芸能人が家電量販店で新製品の便利な機能に触れて感心するといった内容を、面白いと思って観る。たぶん面白いのだろう、いやきっと面白いんじゃないかな、自らにそう言い聞かせながら観る。
しかし一向に食指が動かないのでチャンネルを変える。
騒音をめぐる隣人間のトラブルが刃傷沙汰に及んだ事件の詳報を伝えるワイドショー、これには視線を釘付けにされる、神妙な面持ちで針小棒大に話すリポーターの芸達者振りに夢中になる。
10円ゲームのジャンケンマンで3連勝した程度には満足する。
外から、とうふの移動販売が吹くラッパの音が聞こえた。時間を無駄にしていないかと問われた気になった。
SFCのコントローラーを握る。
同一エリア内に二件目の物件を買える好機に浮かれ株を購入せずに銀行を通過してしまう、松理直伝の必勝セオリーを守り忘れるも誰に文句を言われるでもない環境、伸び伸びと遊ぶ。
そうしてくつろいでいるタイミングでなにかがドアポストへ投函された。静かな部屋に予告なしに響いたその音は感情が乗り過ぎて聞き取り不可能な人の怒鳴り声のような暴力性を伴い、怖くあった。心臓が止まるかと思うほど驚いた。心臓が止まるかと思うほど、というつい無造作に思い浮かべていた程度表現の使い勝手の好さを再認識し、その気持ちを誰かと共有したいと思うも直ぐにはそれが出来ない事実を改めて実感した。
ラジオを聴きながら寝た。
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夕勤の高校生がバックヤードから出てきてレジに立つ。
「今日もグンバツに美人すね、綾子さん」
「でもやらせないよ。絶対にやらせないからね」
傍らに立つ、長髪で中性的な少年に腕を絡めながら続ける。
「この子とはすっごいプレイをしてるけどね」
その少年と自分が同じボディソープの香りを身にまとわせている事を誇るみたいな表情で。
「口では言えないようなプレイも許してるけどね」
色合いが地味な、ボタニカル柄のロングスカートを履いた自分の価値がその少年の横に置いてもらう事で高まるとでも云うみたいに。
「ほんと凄いよ。君には想像も出来ないようなプレイだよ」
その少年が本当は強い光沢を放つマネキンである事実を高校生に気付かせない為に隙間を埋めるみたいに。
「想像したら興奮してきちゃった」
果たして言い負かされてすごすごと立ち去る高校生の背中を、自動ドアの開閉と連動したチャイムが鳴り続ける中で見送って、勝者気分を味わいながら目覚めた。
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とんでもない夢を見てしまった。
羞恥塗れの気持ちが表に溢れ出ないよう、自らを普段通りの場所に置くべく、トーストとスープを作った。それを居間に運んだところでまた松理の不在と、孤独を飼い馴らしている筈の自分自身と向き合わされた。
「後で自分で食べるように作っただけだし」
テレビを観る。
面白いと感じられない、面白いと感じる訳がない。
SFCのコントローラーを握る。
面白いと感じられない、面白いと感じる訳がない。
嘗て姉が参加していたバンドの自主制作CDを聴きながら雑誌に目を通す。恋愛市場への参加意思はあるのかと、テレクラの広告に胸ぐらを掴むほどの勢いで問い質された。
ラジオを聴きながら寝た。
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名古屋駅到着が21時過ぎ、そのまま駅前のビジネスホテルに宿泊する事になった為、夕飯は全国チェーンの牛丼屋で済ませた。
「両親がいるから引っ越し先名古屋にしたって話じゃなかったっけ」
「でも住んでるとこ手狭だって言うから、じゃあ無理に同居しなくてもいいかってなってさ」
翌日、午前中に不動産屋でアパートの鍵の受け渡しなどを済ませ、差し当たり必要な日用品を購入しつつハンバーガーをテイクアウトして新居へ移動、午後からは、到着日時指定で発送していたという宅配便、詰まり引っ越しの荷物を受け取った後、量販店に出向き家具、家電などを物色。
果たして。
「さっきアパートに向かって歩いてる時に見付けて、今後お世話になれそうかどうか先ずは試したいからさ」
「いいね。ご当地感はないけど味の濃いものをかっ食らいたい今の気分にぴったり」
「心の栄養源、活力の源、そして単身者の友と言えばやっぱ町中華って事で」
「いいじゃんそれ、そのテーマで一曲作ってよ」
名古屋滞在二日目の夕飯は、味噌ラーメンと餃子と相成った。
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いわゆる耳年増、それの利用手順や心構えなどは誰かが教室で話していた体験談などから知っていた。
主に、一時的な性的好奇心を満たす為の交際を希望する男性を店舗施設内に待機させ、これに対し不特定の女性からの電話による会話の申込みを電気通信設備を用いて取り次ぎ提供する形態、店舗型電話紹介営業、即ちテレフォンクラブ。
これを介して最初に繋がった相手の第一声が。
「あ、よろしくお願いします。私、四菱と申します」
などと意表を突く調子だった時、受話器を持つ手が緊張の汗でじっとり湿っている事も忘れ直接会って話しませんかと、綾子は口にしていた。
藁にも縋る思いだったのかもしれない。
綾子の側から指定したバス通り沿いのバーガーショップに現れたその男、四菱秀(ヨツビシシュウ)は、財布とは別に小銭入れを持っていながらそれを、会計時に支払額を告げられてから鞄の中に探すタイプの人間だった。
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小学校の卒業式直後に高校生から交際を申し込まれた、それを断った事を理由に中学に入って間もなく、当時は面識もなかった女番長として鳴らしていた八千代に呼び出された。それらの事実が周囲に誤解を生み孤立し、心のバランスを取る為に自らも壁を作った。
その孤独から脱したのは高校二年の冬、二人の同級生、園芭九梨子(ソノバクリコ)と双見の存在によって。だが、高校卒業の日にやはりその二人によって再び、元居た場所に追い返された。
気遣って呉れるものは居ない、感情を共有出来る相手は居ない、そうした場所で日々を遣り過ごす方便なら自動で発動するほど身に付いている、だが、その時の心は言わずもがな空ろ、他者と向き合おうとしない生ける屍との謗りも免れないものと、頭では理解が出来ていた。
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「北海道内を除いて唯一の支店がここ、知る人ぞ知るお店ってのはだからそういう事ですね」
「機会があればその内にとは思ってたんですよ。前に、同僚の女性に教えてもらってたんで」
「そう言えば四菱さん、お仕事はなにをされてるんですか」
「小学校の先生です」
「え」
「小学校の先生です」
「それ、言っちゃっていいんですか初対面のあたしに。初対面ていうかテレクラで会った女に」
「なにかまずいですか」
「だからさっきも言いましたけど、プレイの一環と思わされてお尻に矢沢永吉のステッカーを貼られて犬の格好をさせられた姿を写真に撮られてそれをばら撒くぞって脅迫される可能性だって、ない訳じゃないじゃないですか」
「ラジオで聞いたっていうお話ですね」
「ラジオで聞いたんですよ、実際にそんなふうにされた人がいるって話を」
「二ノ瀬さんもそういう狙いがあるんですか」
「四菱さんこそ、小学校の先生だなんて言ってあたしを油断させる為の嘘なんじゃないですか」
相手の浮気と常識の域を越えた資産隠しがその主な理由、十三歳年上の妻との離婚が、自身が三十歳の誕生日を迎えた今朝、成立した。五年振りに独り暮らしに戻った祝いとして同僚に強引にテレクラに連れていかれた結果、右足首にギプス包帯を巻いた傾国の美女と差し向かいでハンバーガーを食べるに至る。そんな事態にあって平然と落ち着いて見える四菱は、間が抜けているのか懐が深いのか。
「気を悪くしないで聞いていただきたいんですけど、二ノ瀬さん、男性からモテるんじゃないですか」
「そりゃモテますよ見た目がこれなんですから。でもいつも、そういう事じゃないんだけどなって思ってるんですよそんなモテ方は望んでないので。分かりますこの苦悩」
「それは分からないですよ、僕はモテた事なんてないですから。でもそれなりの苦労がおありだって事は今の感じから伝わってきました」
「そうやって理解者面して近寄ってくるのも一つのパターンですよね。でも求めてない相手にそれはやらない方がいいですよ、自分でものを考えようとしてた場合はその妨げにしかならないですから」
「なるほど、肝に銘じます」
「ていうか四菱さん、なに目的ですか。なに目的であたしみたいなテレクラ女と会ってるんですか」
「目的。そうですね、普段通りの生活をしてたら知り合えないような相手、それこそ二ノ瀬さんみたいな方に話を聞かせてもらえる点は面白いと思ってますね、今」
「あたしみたいなってどういう意味ですか、見た目しか取り柄がない女って事ですか」
「いえそうじゃないです、自分がなにものであるかを自分以外の誰かに決めて欲しくない、と思ってる人、みたいな印象を受けたんですけど」
「ちょっと会って喋っただけで分析出来るほどあたし底の浅い女ですか」
「すみません、決め付けはよくなかったですね、改めます」
「そうやって直ぐ意見を引っ込めるのもどうなんですか、適当に喋ったって事ですか」
「適当という事ではないです。ないですけど二ノ瀬さんのご指摘通り、一方向から見た意見でしかないと納得がいったので」
「四菱さんて、別れた奥さんに対してもそんな態度だったんですか。なんか言い成りって言うか、強く出れないみたいな」
「どうですかね、相手の受け取り方にもよるとは思いますが」
「舐められてたんですか。だからお金も誤魔化されてたとか」
「そこ突かれると痛いですね」
「そもそもなんで結婚出来たんですか、四菱さんみたいな人が」
この日二人は。
「もう本当に」
連絡先の交換などせず。
「本当に本当に本当に、心の底から」
それこそ交渉の折り合いがつかなかったみたいにして。
「すみませんでした」
別れた。
「変な絡み方も失礼な発言も本当に本当にすみませんでした」
「いいえ、お気になさらず」
「これに懲りずにテレクラで女漁り、頑張ってくださいね」
「そうですね、機会があれば」
「ちゃんと、邪な考えなしに真面目に出逢いを求めてる人もいると思うんで」
そして後日、新入生の父兄と、甥の入学先の先生という形で二人は再会する。改めて無礼な態度と偽名の使用を詫びつつ、初対面時にどんな気持ちで相手をしてくれていたのかと訊ねた綾子に対し、なにか追い詰められているようだからせめて話を聞いてやらねばと思ったと、四菱は述懐した。
主力のハンバーガー以外に、例のバーガーショップには中華風鶏の唐揚げがトッピングされたカレーライスなどの人気メニューがまだ沢山あるのだと、綾子は伝えた。
ではご一緒しませんかと、四菱は答えた。
「小銭入れ、先に用意しておくと後ろに行列が出来なくていいと思います」
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名古屋滞在三日目は、朝一で配送されてきた家電の配置、家具の組み立て、引っ越しの荷物の開梱作業で暮れた。
その作業の成果を確認する為、テレビに繋げたPCエンジンで少しだけ遊ぶ。
「ちゃんと赤信号で停まんないと駄目なんだこれ。全然かっとびじゃないじゃん」
そしていよいよ夕飯の時間、今日こそご当地名物をと期待を膨らませる松理に対し。
「いつから勘違いしてた、案内が出来るほど俺が名古屋に詳しいって」
「え」
双見は。
「俺も両親も愛知に縁も所縁もない、知り合いを頼って移り住んだなんて事もない」
「ええっ」
しれっと。
「だから松理、お前に問いたい」
言ったものだ。
「名古屋名物って、なにがあんの」
「えええっ」
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「そんで適当に入った店で食った味噌煮込みきしめんが当たりだったから結果的に辻褄は合ったんだけどさ」
「観光もせず、本当に引っ越しの手伝いだけしてきた訳ね」
「昨日一昨日のおれは日本一の日雇い人夫だったね」
四日目、夕方過ぎに松理は帰宅した。直ぐに数日分の洗濯物が室内に干され、手狭な1Kはいっぺんで雑然となった。
「で、綾子の方は。なんか変わった事あった」
「ないない、ちゃんと外出自粛してたもん。行く必要のないアウェーの地に乗り込んでって安定のやらかしとかそんな事は全然、全然」
夕飯はお土産のカップSUGAKIYAラーメンと天むす、味がする食事は久し振り、などと大袈裟に、お道化た調子でそう言って見せて綾子が、密かに噛み締めるようにしながらそれらを胃袋に収めた。
「食ってみ、えび天の尻尾。別に美味い訳じゃないから強く勧める理由も全くないけど」
「そういった同調圧力的ななんとなくの既定路線にはあたしは断固として乗らないから」
「出た出た面倒臭い決意、融通の利かないこだわり」
「あんたも見倣っていいんだよ、あたしのこの背中」
そうして夜のルーチン。
「それにしてもさ。あたしの足がこんな状態だってのにまるっと予定通り留守にしたよね」
「予定早めて帰ってくると思ったって。それじゃ罰になんないし反省しないじゃん、絶対」
綾子と。
「薄情者」
松理が。
「甘えんな」
洗面台の前に並んで立っての、歯磨きタイム。
「もし、予定より早く帰ってくるとしてあんたの事だから事前連絡はしないでしょ。そしたらあたしはさ、心臓が止まるかと思った、なんて言って驚いて見せる訳。生きてる内にいっぺんくらいは口に出して言ってみたいじゃない、心臓が止まるかと思った」
「残像だ、とかも言ってみたい」
「わたしたち、入れ替わってる、とか」
「うぇるかむとぅぷらいむたいむ、びっち、とか」
「言葉遣い、気を付けな」
「そこ突っ込むなら日雇い人夫の時点で指摘しないと」
「前後の文脈による意味合いの違いを鑑みない機械的な言葉狩りにあたしは異を唱えていくという、意思表示よね」
「絶対嘘。ただの見逃し、怠惰による看過」
「出た出た融通の利かないこだわり、公明正大が旗印の重箱の隅つつき」
「綾子も見倣っていいんだぜ、おれのこの真っ正直な態度」
「遠慮しまーす、全力で遠慮しまーす」
「おれも逆の立場だったら面倒臭いわ、こんな子供」
「あら、自分で言っちゃった」
「つける薬がないってやつじゃない、お互い」
「え、あたしもっすか」
「そりゃそうだよ。自覚ないの」
「ある。全然、ある」
「まさに、反面教師」
「姉さんも義兄さんも、なんであんたをうちに寄越したのかね」
「だから、反面教師」
「無礼者」
「前後の文脈による意味合いのうんたらかんたら」
そしてまた今日という一日が。
昨日の繰り返しであるかのように、更けた。
('20.6.14)