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track 18 「偶然性に全賭けしたい民」

 母と、高校一年生になる双子の兄妹、以上が三塚ミツヅカ家の家族構成。

 住居は戸建ての賃貸、トイレは一階にのみあり、冷蔵庫の容量は380L。

 双子が小学四年生だった年以降、どこかのタイミングで母の千秋チアキが文筆業で一本立ちした。現在までに経済的困窮を実感させられるような出来事は、双子の兄、松理マツリの記憶の上では起きていない。

 それでも彼が、コンビニエンスストアで、個人の感想盛り々りのポップで変わり種ペプシ支持を主張して得た給金の半分を家に入れている理由は、偏に自発的に発見した学ぶべき相手にしっかりと学んできた結果かもしれない。

 また、松理のそうした傾向に追従する癖の、妹のるるにはあり、ファストフード店の注文カウンターで愛嬌を振り撒いた分の実入りはその全額が三塚家の生活口座に振り込まれている。

 一方で彼女の、ぬいぐるみ作家活動に伴う売り上げについては、仲間内の共用口座に流れており、それを以て彼女はエム資金参画者と認定される。

 とまれ。

 こと互助精神に関して三塚家は、全員が同じ方向を向いていると言えた。

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track 18 「偶然性に全賭けしたい民」

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 ノックするべからず、と下げ札をして千秋が作業部屋の扉を閉めたならそれはもう天岩戸、各種香辛料を無作為に投入して作る特製無意識カレーが絶品に仕上がったと松理が声を掛けようが、るるが、るの字を含む単語のみを使ったクロスワードパズルの作成を持ち掛けようが、一切の反応も期待出来ない。

 故に、用を足すべく夜中の二時半過ぎに半覚醒状態で一階に下りた松理が、リビングで照明も点けず、ソファの上に体育座りをして映画のテレビ放映を観ている千秋の姿を発見したなら即ちそれが、およそ六十六時間振りの生存確認。

「そんなに籠もってた」

「カレー、食べてたみたいだしちゃんと睡眠もとってるなら無理すんなとは言わないけどさ」

「寝てる寝てる休んでる。今だってほら、気分転換」

 映画は、鈎爪の殺人鬼の正体が予想外と話題になったサスペンスホラーの続編。

「それより冷蔵庫に一個もプリンが残ってなかったんだけど。なに、いじめ」

「じゃなくて。今るるにプリン禁止令出してて。日曜までだから今日を入れて後三日」

 観客にサプライズを与える、という正編が主眼としていた要素を継承しつつ、女性演者の胸部や股間、そして勿論臀部に拘ったフェティシズム迸る画作りが隠しテーマと自明、その精神性にコミット出来るか否かが作品としての評価の分かれ目。

「禁断症状出るよ」

「うん。昨日、俺が夜中にゲームしてたら二時過ぎくらいに寝ぼけて下りてきて冷蔵庫の前でプリン乞いしてた」

「雨乞いならぬ」

「プリン乞い。だから今日はあれ、卵と牛乳と砂糖を混ぜた液体の蒸し焼きくらいは作ってやろうかと思って」

「じゃあ母さんの分も」

「承知した」

 先頃、十年振りの続編制作の報が流れたが、発表された主要キャストが既にシナリオ重視の作りを暗示、ネット上の一部界隈に時代の変化を嘆く声が噴出した。

 曰く、いずれ総ての過去を葬って到達した明日は清廉潔白に背く自由を許すのか、と。

「そう言えばさ」

 1988年公開の映画「この胸のときめきを」を観賞したい、と千秋が言い出す。オールディーズのカバーが挿入歌としてふんだんに使用されているなどの理由からか、VHS及びLD以降はソフト化されていない、哀川翔の映画デビュー作。

「ビデオで観たのかな。あの人の書架に刺さってたよね、確か」

「レンタルビデオをダビングしたのかテレビでやったのを録ったのか。手書きラベルが貼られてた、アーカイブ前にリスト化したばっかだからはっきり覚えてる」

 松理の父で千秋の元夫はいわゆる蒐集癖の持ち主、所有は欲ではなく或る種の保険、観て聴いて読んで遊んで初めてその作品が世に存在する事実を証明出来る、とは、反証するまでもない脆弱且つ空疎な詭弁だが、そう言い訳をしながら彼が育てた書架に松理が、人生のなんたるかの理解を助くる私淑するべきを発見したも事実。

 映画と音楽、ゲームと漫画とそれらを扱った関連書籍等々。

 その膨大なコレクションは現在、仲間内の、携帯の電波はおろか外来語すら届かない山奥の孤児院出身者の内の男連中ばかりが集って住んでいるアパート、通称男子寮に運び込まれデジタル化作業の順番待ちをしながら住人らの娯楽時間を充実させるのに役立っている。

「データ化が終わってたら今日にでも観られるって事ね」

「終わってなくても朝一で優先してやってもらえるか訊くか、放課後に機材が空いてたら俺が作業してきちゃうから、確実に」

「そこまでてきぱきとお膳立てされちゃうとなー。偶然性に全賭けしたい民としてはなー」

「はいはい一期一会の真髄ね、すいませんでした」

 或いは次代がその存在証明を買って出たなら瓢箪から駒、作品に対する保険が利いたと言い得る。その事実と向き合い思うところがあると言うような、千秋の表情がそうした塩梅。

「昔はさ、自分の世代の文化は自分の世代の文化、上の世代の文化は上の世代の文化、みたいな感じで分断してるように思ってたんだよね」

 それともきっと無意識の内の、必要に応じての感情の総浚いだったかも分からないが、千秋のそれに対し松理が無邪気に快刀乱麻。

「それたぶん世代的な話じゃなく母さん個人が刹那主義的なものの見方をしてたからだと思う、その当時」

「生意気。サブスク小僧が知ったふうな口利いた。若者がノーフューチャーを叫ばなかったらその国家は死ぬんだよ、文化的に」

「だってほら、父さん死んだのに俺の人生は続くんだ、みたいな経験してたらやっぱ、現実見なきゃって思うじゃん」

「考えがそこに至るのに」

「およそ一年半」

 それが即ち、不登校児童として松理が外を彷徨い内を迷って過ごした言わば放浪期。

「でも言語化出来たのはもっと後だし厳密に言ったら未だなのかも分かんない」

「真面目か」

「そのおもっくそニートの小学生放っぽって外に働きに出てた母さんもなかなかだよね」

「だって生活があるでしょ、食べてかなきゃでしょ」

「確かにね」

「子供が未だ食ってる途中でしょうが」

「それは違う。敬意のない乗っかりはただのいっちょ噛み、関係性の見えない哀悼ツイートにも等しいから厳禁で」

「育て方間違えたー」

「いや合ってるでしょ。斜に構えてるけど盗んだバイクで走り出さないし」

「夜の校舎窓硝子」

「壊して廻らないし」

「世代じゃない事言うもんなー。若者失格だよもー」

「親が子の人格否定をしちゃ駄目、絶対」

 松理の緩い叱責を受けて千秋が、肩をすくめてひひひと笑う。

「ったく。とんだ荒療治もあったもんだよ」

 ぼやく松理もまたどこか嬉しそうな理由は、千秋からの信頼を感じ取ったからだ。

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 それを訊く為の好機は不意に訪れる。

 もしかしたら当事者の誰かが辛い思いをするセンシティブな話題、故に詰めるような尋ね方も悪手と承知、だけどそれでもいずれどこかで真実を知る必要が松理にはある、そういう疑問。

 それを訊く為の好機は不意に訪れる。

「あのさ、母さん」

 そこに殺人鬼が潜むと知るは神の視点を与えられた観客ばかり、天井裏に逃げ場を求めて女性主人公が、不安定な椅子の上で爪先立ちをする様子を床面からのえぐい角度で仰ぎ、タイトなミニスカートが隠すその内側が覗くか否かと重層的な形で緊張を煽る場面に気を取られつつも松理が、訊いた。

「親父、自殺だったの」

 千秋のセルフレームの眼鏡に液晶テレビの青白い光が反射して、踊る。あえての沈黙。或いはそれを触媒にして生み出した緊張を以て覚悟を問うべくの無言。

 そこは厳然たる駆け引きの場と化す。

 もう一押しが奏効するかどうか判断し兼ねている松理を制するように、果たして千秋が開口。

「お代わり」

「え」

「ホットミルク」

 横着にも千秋が顎で指したそれ、テーブルの上のマグカップを松理が持ち上げる。

「砂糖は」

「二杯」

「じゃ、ちょっと待ってて」

 果たして。

 電子レンジかIHか、時間を考えれば後者一択が正しかった筈だが、ミルクパンを用意し、少なくなっていたグラニュー糖の補充などをしている内に、千秋がリビングから姿を消していた。

 映画は、犯人のコスチュームに着替えさせられ心臓を一突きにされた主人公の無惨な姿が映し出されて終わる。真犯人の正体を明言しないその結末は、公開当時に否定派と肯定派を生み両者間に議論をもたらしたものだ。

 そして挑戦的且つ挑発的とされた無音のエンドロールが流れる中、天岩戸のそっと閉まる音が松理の耳に微かに届いた。

 そうなればもうるるが、るの字縛りのしりとりの相手をして欲しいと頼もうが、松理が、バイト先から発売前のスイーツのサンプルを分けてもらったとLINEしようがスルーが当然。

 それを訊く為の好機はいつだって不意に訪れる。

 だけど真実を教わる為の条件を松理は未だ、知らない。

('16.2.28)


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