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track 06 「ちゃんと反省します、ちゃんと」

 でかい板んぱ。

 即ちタブレット型端末が座席に置かれてあり、傍らにはそれを用意したのであろう一年生の千葉今日太チバキョウタが、客の言い付けを待つ給仕のような表情を浮かべて立っている。

 市立宝町高校、始業前の音楽室。

 痩躯、だが学ランを肩掛けした姿に妙な説得力を持たせる雰囲気の持ち主たる三年生の小龍包虫男ショウロンパオムシオ、通称小虫コムシが、席に着きながら今日太に問う。

「なにか用か」

「チャンピオンの今週号、ダウンロードしときました」

 答え、窺うような視線で今日太が更に続ける。

「いつ読みますか」

 主に、定期購読している漫画雑誌などを回し読む用途向けにそのでかい板んぱは、共有物として音楽室に置かれている。

「後でいい。他の奴に回してやれ」

 一瞥呉れたのみで手を伸ばそうとしない小虫、対して今日太が食い下がる。

「でも先週、THEフンドシ守護霊の続きが気になるって言ってたじゃないスか。いつ読みますか」

 いわゆる価値観のアップデートに覚束なく、それを急速に推し進める昨今の風潮にも息苦しさを禁じ得ない小虫は、強迫観念を覚えずに済むという理由で電子版限定のリバイバル連載作品を特に好んだ。

「一刻も早く読まなかったら息が詰まって死ぬ訳でもねえ、だから後でいい」

「ですけどあのー、そうだ一番湯は親分が、みたいな感じのあれっスよ。だからいつ読みますか、いつ読みますか」

 果たして小虫が苦笑い。

「しつけえな、何遍も同じ事を言わせるな」

 楽器屋の陳列窓の前から動かない黒人少年くらいに今日太が、なにか欲しがっている事は分かる、だが付き合う義理もなくそれ故に、刺身のパックにたんぽぽを乗せるように御座なりに、言い放った。

「それとも大概にしねえとはらわた引き摺り出してぶち殺すぞこの野郎」

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 無論、小虫のその拒絶反応は無意識下に刷り込まれ受容させられている家父長制に対する疑念をぶつけようとする運動などでは、決してない。

 だいたいがれんじゅうというものは、てんで話が通じないのである。

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track 06 「ちゃんと反省します、ちゃんと」

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 また別の日、昼休みの音楽室。

 自分の教室より居心地が好い、行けば誰かが必ず居る、そういった理由で示し合わすでもなく自然と皆が集まってくる。

 窓際の席では教科書を開いた二年生の楪真白ユズリハマシロが、三年生の波乃上花澄ナミノウエカスミ、通称花乃ハナノに租税公課に関し解説をしてもらっている。教壇の目の前の席では、数ヶ月に一作のペースで少女漫画誌に読み切り作品を発表している二年生の千葉明日美アスミが、格闘シーンを迫真で描く為に一年生の死屍毒郎シカバネドクロウ、通称死郎シニロウに協力を仰ぎながらネーム作業をしている。

 そんな中、一年生の三塚ミツヅカるると椅子を並べて座り、タブレット型端末で猫動画などを漁っていた二年生の青空勇希アオゾラユウキ、通称空希クウキが、昼休みの終了を意識したようにしみじみと呟く。

「やっぱり、小虫くんたちが居ないと静かで穏やかだねえ」

 噂をすれば影、確かに在った安穏のその余韻をぶち壊すように、普段の音楽室を騒々しくしている内の一人がけたたましく滑り込んでくる。

「よっしゃー間に合ったー」

 今日太だ。

「おや、みんなと屋上で特訓じゃなかったのかい」

 正拳突き職人、との異名をとり、女子プロレスのリングにも立つ三年生の椎名南那シイナナナ、通称椎那シーナが組手の相手を募ったところ、男連中の大半が挙手をした。折からの快晴、彼らは屋上に場所を移し、そうした事情から音楽室は穏やかだったのだ。

「あ、俺は違うんス、空希さんに用があったんス」

 下膨れで垂れ目、故にたぬき面と、親愛の情を以て形容されるその顔の作りで空希がきょとんとすると、それはそれはもう、きょとんとした、と言う外ない表情となる。

「おや珍しい、一体どういうご用事だい」

 問われ、息切れしているのも忘れたみたいに今日太が、発泡スチロール製の保冷箱を掲げてまさに釣果を自慢する釣り人よろしくの態度で答える。

「ちょっと、昼休みの間に学校を抜け出して空希さんの為に差し入れを買って来たんスよ、バケツサイズのレディボーデンを。お好きだって聞いたものですから」

 対する空希の反応が、今日太の想定がところとは逸れて違える。

「学校を抜け出して、というのは僕はちょっと感心しないなぁ。急を要する止むを得ない理由でもないし」

「あ、はい、すいません反省します。でも空希さんに喜んで欲しかったんスよ、昨日の内から探しといたんスよ売ってる店を」

「その軽い感じもどうかと思うなぁ。反省してるって言えばなんでも許されたら悪い事し放題な人ばかりになってしまうよ」

「はい、もっともっス。もっともっスね、反省します」

 空希の言い分が理解出来ていないのでも、右から左に受け流しているのでもない、自分の言いたい事を言う為に相手の言葉を然るべき態度で然るべきタイミングに聞くといった駆け引きを、学んでいないに過ぎない。

「ちゃんと反省します、ちゃんと」

 未来からやって来たネコ型ロボットが他力本願な眼鏡の少年に向かって。

 きみはじつにばかだな。

 と言い放つ場面を、空希と今日太の遣り取りをながら聞きしていた明日美は、思い浮かべる。或いは真白と花乃は微笑ましそうに二人を眺め、るるは、今日太が掲げている保冷箱の特にその中身に興味津々という様子。

「それであのー、アイスなんスけど、レディボーデン」

 そして空希は。

「まぁね、今回は僕の為を思ってという事だし、僕もそんなに分からず屋ではないからね、飽く迄も今日太くんの気持ちを受け止めるという意味で差し入れをいただく事にはするよ、飽く迄も今日太くんの為にね」

 などと繕うように言いながら、でれでれとした表情で今日太の手から保冷箱を奪い取る。いずれともあれ差し入れを渡すまでは叶った形、果たして振り子に飛び掛かる直前の猫みたいに今日太が、訊ねる。

「それでいつ食べますか、いつ食べますか」

 対する空希の反応が、またも今日太の想定がところから離れて違える。

「勿論お家に帰ってから、夕食後のデザートにいただくよ」

「え、だってアイスクリームですよ、今食べないと溶けちゃいますよ。だからいつ食べますか、いつ食べますか」

「急に冷たいものを食べてお腹が冷えても困るし、況してやここは学校だからね、公共の場で秩序を破る訳にはいかないからね。だからお家に帰ってからいただくよ」

「そんな、だって、アイスですし溶けちゃいますし、用意するのに苦労しましたし。ですから今食べてくださいよお願いですよ、いつ食べますか、いつ食べますか」

 それでも空希の反応は、今日太の想定がところから振り返らずに全速力で逃亡して最早、断絶する。

「苦労したって言われてもそれは今日太くんの事情だから、僕には関係のない事だよ。勿論、お礼を言うには吝かではないけど自分を曲げてまで今日太くんの気持ちに応えて見せるのは違うと思うんだ」

 立木に身を隠し、理不尽とも思える特訓を課せられる弟の姿を涙しながら見守る姉の姿を、明日美は思い浮かべていた。或いは真白と花乃もまた、相手が悪かったのだと今日太に対し同情の視線を向け、るるは、空希が受け取った保冷箱の特にその中身に興味津々の様子だった。

 果たして今日太は、もう全てが自分の思い通りにはならぬと覚り諦めの境地へ繋がる扉の前に立ったものの、しかし踵を返すように、顎をしゃくり不満そうに会釈をしながら音楽室を後にしたのだった。

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 無論、空希の態度は依怙地にも見えるが、実際のところは融通が利かないのであり、また腹芸や呼び水に対する勘も著しく鈍いだけに過ぎない。

 詰まり、だいたいがれんじゅうというものは、てんで話が通じないのである。


                              ('13.6.17)

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