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国語の教科書にのっていたあの話はなんだったのかな

ときどき思い出すあの話。
たしか国語の教科書にのってたとおもうんだけど、小学校のときか中学校のときかもわからない。

お父さんが甲子園の砂を大事に持っていて、なにかにつけ自慢してくるのが嫌だという話。
当時、わたしはその話を読んで、自慢話って嫌われるんだな、しないようにしなくちゃ、と思った記憶がある。

だけどあれって、自慢話はやめようよっていう話だったのかな。
そんなわけないと思うんだけど。
もっとなにか別のメッセージがあったんじゃないかな。

なぜか、ずっと何年も気になっていた。
最近ついに重い腰をあげて調べてみた。

「甲子園の砂」「教科書」で検索するとすぐ出た。
『ガラスの小びん』(阿久 悠/作)。
小学6年生の教科書だった。

なんと、教科書にのっていた話を集めた本があった。



この本で何十年ぶりかに『ガラスの小びん』を読んでみた。


小学校6年生のときから、「わたし」が体の一部のように持っているガラスの小びん。何も入っていないそれは、かつて「父」のものだった。高校野球の選手として甲子園に出場した「父」は、その小びんに入れた甲子園の土をずっと大切にしていた。「父」にとって、その土は自慢の種であり、何物にも代えがたい誇りだったのだ。
「父」に叱られたある日、「わたし」は小びんの中の甲子園の土、父の宝物を捨ててしまう。自分のしたことを詫びる「わたし」に、「父」はこう言った。「おこらない。その代わり、おまえがこれに何かをつめるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものをつめてみせてくれ」。

光村図書 教科書 time travel 「ガラスの小びん」要約
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/timetravel/6-02-glass 


誇りをみつけろ、って話だったのか。
重みがあるな。

最後、めちゃめちゃ大切にしてた甲子園の砂を捨てられた「父」は、「そうか捨ててしまったのか」と言いながらなぜか明るい顔をする。

ちょっと大事にしすぎて甲子園の砂に縛られてる感があったのかな。
もしかしたら「父」は砂を捨てられてすっきりしたのかもしれない。

なにか一生懸命になれるものに出会えるっていいな。
でも変にこだわりすぎず、しなやかに自由に一生懸命になれたらいいのかもな。

なんかむずかしいな。


こうして、気になっていた話が読み返せてすっきりしたのだった。


おわり。


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