不動産オーナー探訪記 第8話 祐真
渋谷の空室率はデカいですよね。思った以上に空室が出てしまっていますが、渋谷のビルの空室がこれほどになったのは2009年のリーマンショックと東日本の震災後ひさびさの事です。
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渋谷駅周辺のエリアというのは、今では東急不動産および東急などが開発している環境ではありますが、その名前の通り「谷」でした。今でも谷です。
渋谷が谷だった話
道玄坂・宮益坂とその名残は十分にあります。そして現在の繁華街「宇田川」も当時は川が流れていた名残の地名です
渋谷川と宇田川が削ってできた谷を東西方向に横断しようと、いつの日か渋谷川に橋が架けられ、谷に二つの坂ができた。橋は宮益橋で、二つの坂とは現在の、東が宮益坂で西が道玄坂。鎌倉時代には既に鎌倉街道としてこの谷越えルートはあったのでその歴史は長い。
渋谷の歴史は方々で語られているので割愛しますと、やはり渋谷の「谷」を大きく改良したのは東急グループに他ならないのです。しかし当然このエリアには古くから住んでいる事業者さんや地主さんたちが多くいるのです。
祐真ビルも元をたどるとこの地で事業をされていた会社のうちの一つです。
祐真ビルと湯澤商店
大正時代に「湯澤商店」として薪炭卸売業がスタートします。その後昭和初期ににはいり並行して貸事務所貸しビル業にシフトします。この地に久我屋ビルというシリーズのビルを建設します。
そして後々に久我屋商事株式会社の子会社として、オフィスビル賃貸を目的とする株式会社祐真を設立となります。
1980年、久我屋商事から第1久我屋ビル・第2久我屋ビル並びにその敷地である渋谷3丁目32番1・同33番1の宅地の借地権を営業譲渡により取得し、ビル賃貸業を開始しています。
それから9年後
1989年には久我屋商事との資本関係の解消を行い独立。
この渋谷の3丁目エリアにおいてエリア一体は薪炭卸売業の為、湯澤商店の土地だったので、相続や親族間の袂をわかつ形になったのだと思われます。
その後、独立した祐真は祐真ビル本館と新館の建設へと向かいます。
ちなみに通りを挟んで残っている第3久我屋ビルというビルは、そのまま久我屋商事及び関連会社で運営していたのですが、現在ではビルを売却されており、第3久我屋ビルも異なる所有者によって運用されています。
祐真ビル新館と本館
祐真が管理しているのはこの2棟ですが、渋谷の独立オーナーの中ではこだわりが至る所にあります。まず、設計・監理:竹中工務店、施工:竹中工務店とスーパーゼネコンの力をふんだんに使い、しっかりとお金がかけられているビルです。そして未だにこの二棟を自主管理しておりメンテナンス面においてもオーナーこだわりの逸品なんですよね。
ビルの入れ替わりがそれほど激しくない事も、このビルの特徴です。一時期リーマンショックの後は空室を長く持っていましたがその後安定的な稼働をしています。
現在の渋谷駅の南口に2棟ビルを所有している特色あるオーナー物件です。
企業概要
企業名: 株式会社 祐真
創立 :昭和55年7月
所在地 :東京都渋谷区渋谷三丁目27番11号
代表者 :湯澤 慶一郎
業種 :不動産賃貸業
主な賃貸オフィス:祐真ビル新館、祐真ビル本館