不動産オーナー探訪記 第21話 壽土地建物
久々の登場になりました。不動産オーナーの探訪記です。
不動産オーナーの探検記を作るのは結構時間がかかります。
長らくオフィスビルや商業ビルを保有管理されている会社は、このご時世にも関わらず自社WEBサイトすら作らないで1棟、2棟管理していることが多いです。その場合、沿革もままならないケースが非常に多い。
例えば老舗の佃煮屋さんといった本業が別にありそこでWEBサイトや商品サイトが作成されている場合は如何様にも掘り下げられますが、個人で相続してきて50年の老舗オーナーが案外多い世界です。
同時に無いからこそ探訪記の意味があるのかと思います。
長くなりました、今回は秋葉原の老舗オーナー企業「 壽土地建物」です。
会社の概要と業態
壽土地建物は、秋葉原電気街の発展に寄与した 廣瀬太吉氏が立ち上げた会社になります。そのスタートは1925年(大正14年)東京神田淡路町に廣瀬商会を創立し電気製品卸売(現 廣瀬無線電機株式会社)とし、秋葉原電気街の礎を築いたとされています。
現在ではビル運営と、その他の事業とは切り離されていますが一旦はまず廣瀬無線電機の沿革を追っていきましょう。
廣瀬無線電機の沿革
1927年 5月 きっかけはラジオです。東京放送局(現NHK)の放送開始による影響により、商いが拡大しています。電気関連部品の卸売企業だった同社が、ラジオ放送開始から普及の流れにより躍進していきます。
その後、ラジオの普及伸展に伴う業務拡張のため(現在の本社所在地)に移転。株式会社廣瀬商会と改組。
しかし、1940年代に入り戦争の影響を受けます。中でも1945年03月 本社戦災のため焼失。1945年08月には太平洋戦争終わるものの再発足のため仮店舗を神田区淡路町に借家して営業を開始となり、一旦戦後はゼロスタートになってしまうのです。
しかし、復興逞しく1946年05月には神田仲町の旧店舖跡に新築移転を行い終戦後の発展をしていきます。秋葉原電気街のイメージは同社が築き上げてきまし。
1951年 6月 資本金を1千万に増資
ヒロセ・テクニカルサービス株式会社を創立
1954年 5月 本社ビル落成し竣工式を挙行
1955年 6月 寿土地建物株式会社を創立
1956年 1月 千代田区神田松住町に電波ビルを建設
2000年 創業者・廣瀬太吉が死去。
2003年 廣瀬本社と廣瀬無線電機株式会社が合併。現在の廣瀬無線電機株式会社となる。
終戦から60年あまり、この様な歩みがありました。
1955年には会社を分社かしており壽土地建物株式会社は秋葉原を中心に貸しビル事業を行う会社として地盤を固めていきました。
比較的古いビルが多いですが秋葉原界隈で、第1・第2・第3・第5電波ビルという名称で『電波ビル』の貸し出しを行っています。
秋葉原エリアはパーツの街、電子機器の街、PCなどの街、オタクカルチャーサブカルチャーの街と変化を遂げています。そのような変化に伴い秋葉原にオフィスを構えるテナントも変化してきた模様。
その中心にあるのが電波ビルを運営する寿土地建物株式会社になるのです。
MAP 第一電波ビル
MAP 第2電波ビル
MAP 第3電波ビル
主な事業と関連会社
・廣瀬無線電機株式会社
・広瀬電工株式会社
・ヒロセテクニカル株式会社
・広瀬商事株式会社
企業概要
企業名:壽土地建物
創立 : 1955年6月1日
所在地 :東京都千代田区外神田二丁目4番4号 第1電波ビル
代表者 :廣瀬 美智俊
業 種:不動産の保有、賃貸、並びに管理。
主な賃貸オフィス:第1電波・第2電波・第3電波・第5電波ビル