私が子どもの頃に教えて欲しかったこと。
幼稚園、保育園、小学校、中学校…
小さな頃からきっと誰もが一度は聞かれたことのあるセリフ。
「大きくなったら何になりたい?」
私が大人になってから感じたこと、また当時の私の気持ちなどをここで話していきたいと思う。
先にまとめるなら、たくさんの仕事、もっといろんな世界を知りたかったということ。
夢のまた夢
大人は簡単に聞いてくる。自分の親も先生も周りにいる大人も。
幼稚園や小学校の頃は別に良かった。
人それぞれだということは大前提だとして、大きくなるにつれて
私はこの質問が苦痛になることが多かった。
昔は今みたいにYouTubeを見ることもなければ、パソコンやタブレットが主流の時代でもなかった。なので普段からパソコンを触ることのない私は、図書館や本屋さんで情報を集めることくらいしかできなかった。
幼稚園の頃の夢は、今思い出しても可愛らしいもので。
私が卒業文集で語っていたのは、
「マクドナルドのお姉さんになりたいな」ということを覚えている。
けれど、どんどん大きくなるにつれて夢を現実に変えていかないといけないような気がしていた。
幼い頃からずっと一点に向かって努力を惜しまない人は、私からしたらどんなに憧れても到底なれそうになかった。
私は仕事に対する実感がずっと湧いていなかったのかもしれないなぁ…なんて、今ここに綴りながら思うところもある。
将来に対して明確なゴールというものがずっとぼやけていたのかもしれない。
もっと知りたかった
先日、行きつけの美容室へ行った。
私はいつもお店の店長さんを指名させていただいている。
いつも通りたわいもない会話をする中、話は中学生の頃に実施される職場体験のことで盛りあがった。
私が通っていた中学校では、確か体験日数が3日とかだったと思う。
その中で自分が行きたい場所を見つけて許可をもらうことができたら、実際に体験させてもらえるとゆう形。
けれどここで盛りあがったのが、この体験の部分。
3日間職場の中に入ったところで、本来の職場の大変さを理解するのは難しい。
そこでふと店長さんが、
「3日間の体験ではなくて、3日間気になる職場を見学してまわる方が学べることもあるんじゃないかと思う」
…それ、めっちゃいいやん!
当時の私を振り返っても、どこか一箇所に絞るということが難しかった…
あそこも知りたいけど、こっちも気になるし… みたいなね。
もう一回あれば、違うところに行ってみたいな〜なんて思ったりもしていた。
実際、中学以降の話にはなるが
私は保育士や幼稚園教諭の資格を得る為に、保育や教育実習にいくつか行った。
けれどいざ仕事始めた時には、実習では感じなかったことばかりで。
期間限定で訪れている人になかなか全てをさらけ出すことって、そもそも少ないよなと思った。ましてや学生に対してというところ。学生時代にその職場の本質を見抜けた方がすごい話。
けれどこれは私が高校を卒業した後の話なわけで。
私はその分野を専門的に学びたいと思い通っている限り、そのようなことも必要な経験である。
でも話は戻って、中学生の時となるとどうなんだろう?
あくまでこれは私が感じたことだったり、たわいもない会話から生まれてきた話の一つに過ぎないこと。
そこは理解していただきたい。
けどもし、一箇所での体験か複数箇所の見学かを選べたなら
私は見学をしたかった。
狭い視野
あの頃、もっと沢山の仕事の情報が欲しかったなと思う。
自分で気が済むまで調べればええやん。結局人任せかよ。こう言われれば終わりの話。
でも分からなかった。
まだ社会というものを遠い未来に感じていた私には、あっという間に学生生活が終わりを迎え、数年後に働くという自分の姿が浮かんでいなかったんだと思う。
単純に目の前に映る世界を楽しみ、なんとなく自分の興味のあることを思い浮かべる程度…
現実、もし親に「あれはどう?」「あれになりなさい」「進路は決まったの?」なんて毎日口うるさく言われていれば、片っ端から否定していたとは思う。そんなひねくれた部分のある自分。
けれど、頭の中に浮かんでくるのはよく名前の知られた王道な仕事ばかりで…
これだ!!!
と思うものに出会ったことがなかったのかもしれない。
私が保育士を目指したきっかけはこの通り。
保育の道を決めたのは、高校生の時。
これだ!というよりかは、なんかずっと好きなんだよなぁ…という感じでいつのまにか心の中で決まっていた感じ。
もちろんそれも悪くなかったとは思うし、今も保育の仕事は好きだ。子どもも大好き。
だけど、私が進路を決めた後に仲のいい友達や周りの人が「これを目指したいんよね」みたいな話を何気なく振ってきた時、「え、そんな仕事あるんや…楽しそう…」なんて思ったりしていたって話。
完全に自分のリサーチ不足。
遠い夢と感じていたことが、いざ目の前にやってくると決めなきゃ!と迫られている感じで。
私はずっと狭い視野で模索して、広い世界を知ることなく進んだんだろうなぁなんて。
子どもにとって
今、私は子どもを産んで子どもたちに母親にしてもらった。
保育でもなく、子育ての難しさを日々感じている。
娘と息子は、純粋な気持ちで大きくなったらこれになりたいな。ということを話してくれる。
これから先、勉強ができても仕事には悩むこともあるだろうし
足が早くても自分が思う道には進めず悩むこともあると思う。
だからこそ、子どもたち一人ひとりの個性を大切にのびのびと。自分しかない感性を失わずにいてほしいなと思う。
今の時代、仕事をする場所に囚われずやりたいことを伸ばしていくことができる。こんなことも仕事にできるんだ!こんなことにチャレンジしてみたいな。という子どもの可能性をサポートしていけたらなんて思う母。
だから今、幼い時に私が重要視していることは「習い事」
「やりなさい!」といった強制的なことではなく、子どもがやりたいと思うことがあればそれぞれ好きなことを積極的に経験させてあげたいということ。
勉強楽しくないけど、これをしている時はなんか自分らしくいられるな…
人一倍努力しているわけではないのに、なんか上手くいく。
この楽しい気持ちを仕事に活かすことはできないかな?
これは完全に私の妄想だが、こんな感じで子どもにヒントを与えることができるのではないかなと思っている。
子育てに何が正しくて何が悪いとかがないように、きっとずっとどの時代も同じように悩みがうまれるものなんだろうな。
あの時こうしてやったのにという見返りを求めるのではなく、私の方が子どもに置いて行かれないように、子どもと一緒に成長していきたいと思う。
今回は初めて3000字程になりましたが、最後まで読んでくださり本当に嬉しいです。ありがとうございます。
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