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私が料理をする理由は後悔したくないから

この記事には”病気”と”死”のキーワードが含まれています。折角、この記事をクリックしていただいところ心苦しいお願いがあります。療養中の方、ご家族・パートナー・ご友人など大切な方が療養中の方は、ご気分を害される可能性があるので閲覧をお控えください。

はじめに

最近”なぜ私は料理をするのか”ずっと考えている。私は夫と2人暮らしでフルタイムで仕事をしている。子供はいないし、仕事は激務というわけでもない。

時には疲れて焼き鳥や唐揚げなどの惣菜を買って帰ることはあるし、レトルト食品に頼ることもある。
たまには外食だっていく。
一方で私は料理をしている方だと思う。

ただ、友人や同僚からこんなこと言われたことがある。

”なんでそんなにご飯ちゃんと作るの?”
”もっと外食すれば良いのに”
”旦那さんだって大人だから、別に貴方が作らなくても生きていけるよ”

確かにそうなのかもしれない。別に私が料理しなくても2人も生活はできる。でも何度もこれらの事を言われたが、私は料理をし続けている。

なぜ私は料理をするのか”考えてきてその理由に辿り着けたと思ったので今日は記事にまとめてみた。

理由はたった1つ

なぜ私は料理をするのか

その理由はたった1つ。

もし病気になった時に後悔したくないと思ったからだ。それは父の死をきっかけに思うようになったのだと、最近気づいたのである。

父の死

私の父は3年前に亡くなった。胃癌だった。

忘れもしない1月末。母親からのLINEに震えた。

お父さんと病院に行ったんだけど、癌がお父さんの全身に転移していた。

年末から体調を崩していた父。初めは風邪をこじらせたのかなと皆んな思っていたが違ったのである。そして、私は癌でも治ると信じていた。しかし、約8ヶ月の闘病の末、亡くなったのである。表現は適切ではないと思うが、あっという間に亡くなってしまった。

私の父

私の父は”美味しいと思うものしか食べない”と母がよく言っていた。私も父は美味しいものをよく食べているという印象が強かった。

何も料理界の巨匠たちが作る手の混んだ料理しか食べないという意味ではない。新鮮な魚を築地へ買い求めに行ったり、時には釣りへ行ったりしていた。野菜やお肉も質にこだわっていたと思う。そして何より母が作る料理が好きだったのだなと今でも感じる。

ちょうど3年前の7月。父が天ぷらと蕎麦を食べたいと連絡がきたので有給をとって実家へ行った。あれが父へ作った私の最後の料理だった。すごく美味しそうに、残さず全部食べてくれた。この時”お母さんが作る天ぷらも美味しいけれど、私の天ぷらも美味しい”と言ってくれたこと今でも忘れない。

病に倒れてからは”昔は沢山食べられたのに今は食べることができない”とこぼしていたことがあった。その日の体調であったり、気分であったり。だから私が作った天ぷらを全部食べたということは、大袈裟ではあるが奇跡に近かった。この時、仕事で不在だった母もとても驚いていた。私自身も”食べる”という当たり前の行為が、当時の父に会うたびに当たり前でないと実感していた。”食べられる”ということが、どれだけ幸せなことなのかと。

さいごに

最近、父から言われたことをよく思い出す。

”ちゃんと野菜も魚も肉もバランスよく食べないとダメだからね。食事は、旦那さんの源だからね”

当時は聞き流していたけれど、今はつくづく納得する大切な一言だ。

いつか私も病気になるかもしれないし、夫が病気になるかもしれないし、2人とも病気にならないかもしれない。

もし私か夫が病気になったら私はもっと料理したかったと思うだろう。実際に私はもっと父に料理を作りたかった。だから今日も後悔しないために料理をするのである。

最後までご覧いただきありがとうございました。



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