見えない世界


目に見える世界が、今の世の中の常識をつくってきた。数値化など明らかに良し悪しが一瞬で判断できるから万人から賛同が得やすい。しかし、目には見えない世界は賛同を得にくい。また見えているのと見えていないのでは大きな違いがある。人間の視覚では見ることができないウィルスは、見えない恐怖といわれているが、もしかしたら人間以外の動植物には見えているのかもしれない。(視覚ということではなく感覚的に危険だなと分かるということも見えるとこの場合は含む)ミツバチは、病気を持った蜂は、巣には入れないのは、検査をしたからではなく感覚的に受け付けない仕組みが体にできているから。そのために種が保存されている。植物に目がある分けではないが、コンパニオンプランツという言葉があるように近くにいて欲しい植物と自分を駄目にしてしまう植物が分かってしまうのである。つまり、視覚で分かることで全てを終わらせてしまおうというのは人間ぐらいなのかもしれない。確かに87.3%が視覚情報であるが、この視覚情報が正しいと信じていること自体が騙されるということにも繋がっている。つまり、「百聞は一見にしかず」という言葉が生まれたように自分の目で見て確かめることが正しいとされていたから尚更である。これから増々世の中がデジタル化されて、そこから生み出される数値が絶対視される方向に進むとそこに潜む嘘が見つけられなくなる。私は、動物に近いのかもしれないがウィルス以上にそこに危険な匂いがしている。数値の根拠は、統計から来ているものでその過去の統計数値が現状と合わなかった時、その数値に何の意味があるのでしょうか?人間はバランスで生きているのに、人間ドックで規定数値に入っていないと危険ですといわれるが、その規定数値は多くの結果データから導き出しただけでその人のものではない。このように数値至上主義なると全体観を見失い本質が分からなくなる。私は、目で見たことが本当だと教育されてきましたが、最近目で見たことはほとんどが嘘なのかもしれないと思ってきました。AさんとBさんが同じものを見たとしましょう。しかし、そこから受ける印象は必ずしも一致しているとは言えないからだ。よく美意識の違いといわれるがそれが見えたものが違うという事実を裏付けているのかもしれない。であれば、見えている世界ほど不確かなことがないのではないか?見えない世界を信じる気持ち、つまり感じる世界を優先していった方がより正確に判断が可能になるのではないか?不透明な世界を先に進むには、目で見てわかるということを一度捨て、心の目で感じ方向を選ぶ時がすぐそこまで来ている。その選択こそがこれからの正しい未来を創るのだと私は考える。

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