暗闇のダイヤモンド
もしも、暗闇の中で見ず知らずの人に、ここに100カラットのダイヤモンドがあるからこれで私を助けてくれないか?と問われた時にいったいどれぐらいの人が、その人を助けるという決断を下すのだろうか?
実際に目で見てそのダイヤモンドが本物かどうか暗闇では確かめられないし、その人が真剣な顔つきなのか?騙そうとしている顔なのか?表情すらも分からないからである。
私たちは、普段から約87%を視覚から情報を得て「頭」で物事を判断している。だから、暗闇という視覚を奪われた時に今までの知識や経験が使えなくなるので、その人やモノが本当に「信用」に値するのか判断できなくなる。よって、助ける「価値」を見出せずに終わってしまう人がほとんどだと思う。なぜならその方が安全だとされてきたから。
このように私たちが生きている現代社会は「目で見えるモノ=記号化・数値化・ブランド化(企業・学歴・地位等)できるモノ」を基準で考えて、それが「信用」ができるモノか?できないモノか?を自然と「頭」で判断し行動してきている。
その「信用」が「価値=お金」となり社会の市場経済システムが回っていて、それが今の世の中の「普通」だと教育され続けてきた。しかし、ここにきてブランドの信用の失墜や 企業投資評価の変化など様々なことが起きてきた今、従来の考えの「目で見える価値」だけで人が正しく評価や判断するには限界が見えてきた。
逆に、蓄積された記号化・数値化されたモノのデータベースを使って的確な判断を求めるのであれば、AIにやって貰った方が未来予測含め正確な回答が得られる時代になってきたと思う。では、これからの人はAIとどのように共存していけば良いのかと考えるとAIでは、不可能な「目で見えない価値」を「心」で判断することが「人の役割」となる。
話を最初のシーンに戻して、暗闇の中で助けを求めてきた人を「信用」が置けるか?置けないか?をどのようにジャッジするかであるが、もしもこれからの世の中が「目で見えないモノ=気持ちが分かる・思いが伝わる・何かを感じるモノ」を重要視して「心」で判断することが普通になったのなら、ダイヤモンドというモノの価値に惑わされず、「信用」に足る人物かということがすぐに判断でき、助ける「価値」があるかという思考に及ぶだろう。
この様に見えるモノだけを信じる時代が終わり、これからの時代は「心」で感じたままを判断することから「新たな信用」が生まれ「新しい価値」が創られていくのです。
この「新しい価値=見えない価値」が、これからの「人間らしい生活」を創造させることを可能とする。 そして「人間らしい生活」という人の「原点」を求めることが、即ち人の「新たな欲」を生み出すことに繋がると考える。そして「新たな欲」を求める人々のモチベーションというパワーが、「豊かで幸せな社会の未来づくりへと繋がる」と考える。
次に別の捉え方で「目に見える価値」「目に見えない価値」について考えてみた。
例えば「予測」である。「目に見える価値」は、今までの延長線上にあるので大体どうなるか予測を付けることができるが、改善・改修というプログレスの範疇からは抜け出すことができない。しかし「目に見えない価値」は、予測不能で突発的な出来事を含むのでイノベーションを起こす可能性は高い。これからの不透明な時代を今までの考え方で「目に見える価値」のままで進むのか?確かなものはないが、自分たちが感じる何かを求めていくのがいいのか?と考えた時、新しいワクワクするものができそうな「目には見えない」ことを追及することが人々のモチベーションも高めるのではないでしょうか?
なぜなら、ある時代までは、プロダクト製品により人々の生活を豊かしたいという「欲」があり満たしてきたが、これからは自分たちが考える「新しい価値」の仕事で、社会の「新たな欲」に応えながら、どの様な生活の豊かさを提供できるのかの方が、毎日をワクワクさせる気持ちに繋がってくるからです。だから「目に見えない価値」を考える時がきたのです。