錆びた涙腺と慣れた夜について
ふと、泣くことが下手になったなあと思う。
しばらく、「泣かないことが上手になった」のだと思っていた。
でも、違った。
泣くべきではないとことで涙を見せないのは正しい大人のなり方だけれど、泣いていいところや泣くべきところでうまく涙が出ないのは、泣き方が下手になったからなのだ。涙腺が乾いている。涙の通り道が、しばらく水を流されないことで干からびているから、水を流そうとしてもうまく流れない。じわり染み出す悲しみで、涙の蛇口はどんどん錆びていく。
こんなひとは、とても多いのではないのかと思う。
泣けなくなった人。
泣くのが、下手になった人。
下手になる方が、楽だった人。
そして、それらに自分でも気づかない人。
泣かないことが強さだと思うのは、少し危険だと思う。
泣くのが下手な人は、泣かせてもらえない人なのではないだろうか。我慢させられる状況のほうが多いから、我慢することだけがうまくなっていく。そして、それにこころが慣れていってしまうのだ。
一度泣けなくなった心と瞳は、無理やりにでも思い切り水をぶちまけてくれるなにかが、誰かがいないとすぐには満ちない。
彼から別れようと言われたとき、私はどうしようもできないその状況に、一人部屋で泣いた。
そして、一日経っても一か月経っても戻らない関係に、毎日こっそり部屋で声を殺して泣いた。夜、最寄駅から家までの帰り道でも泣いた。自転車に乗りながら、歩きながら、泣いた。本当に、毎日だった。
もう、あのとき、彼に対して使える涙は使い切ってしまったのではないかと思うのだ。
最近は、いくら蛇口をひねっても、もう何も出てこない。
どうか間に合えと焦る気持ちはあるけれど、
哀しいかな、恋愛はひとりではできないのだ。
前に心に効くアットノンが欲しいと言ったけど、
涙腺に効くKURE 5-56も必要である。
下手になった泣き方と、錆びた涙腺。
さて、心はどうか。