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手短なコミュニケーション
文章によくある話だが、いろいろなビジネスシーンにおいて、よく「文章でのやり取りは誤解を生じることが多いので会話してみては?」というアドバイスを受けることがたまにあります。
私はこのアドバイスの的確さがよくわからない。文章でのコミュニケーションで誤解が生じるのは、送りて受けての文章能力(文章の言語化能力)が乏しい結果だと思っています。なので、文章で意思疎通ができないのは、直接会話をするよりも、まずは自分の文章力を磨けということでしょう。
翻って、
X(Twitter)が流行ったのは、140文字で表現できる最大の言語化を行うことに、ユーザがその制約に快感を覚えたためで、それゆえに、SNSの登場で、ショートメッセージによるコミュニケーション能力は飛躍的に向上したといえると思いました。そのような時代の背景がLineなどのChatツールの発展を促してきたと感じています。
言語化視点でいえば、有名な話がLineが与える大きな効果と言えばスタンプの導入によるものですね。言葉以外の「絵」で単純な考えや、ユーザの感情を明確に表現できることが分かったので、文章のコミュニケーションの補完にそれらがすごく役に立つことになっています。
一方で、送り手受け手の「イメージ」の齟齬から、「絵」でのコミュニケーションでも課題はあることもわかります。炎「🔥」は、炎上を意味するスタンプ、絵文字であったり、違う解釈では、イケてる、最高という意味でもありますね。こういったイメージには多少なりとも国柄や文化の違いがあります。
また、伝えいたい文章の長さにおいて、長いのはよくない(ウケない)というイメージもあって、伝えたいことをすべて文章に表現すると若い世代に対しては特にウザがられたりします。
それらの理由を推測するに、そのコメントの前後の無駄な会話の流れ、吹き出しの間隔(間)、チャット画面の無駄な空間、それらの間合いや空間の表現がニュアンスとしてしか伝わらないこと自体が、違ったコミュニケーションの方法として若い世代の彼らとって感覚合致するのでしょう。
そのことは、ひょっとして超言語化として捉えられるのかもしれないかもしれません。
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