【過去企画レビュー①】ワセダの人科生、ラブコメについて、語る。
どうもー、とこがく副幹事長の川井梓です。好きなベイブレードはリブラDF145WDです。
前回はここの理念みたいなものを創立メンバーに書いてもらったのですが、「なら具体的にどんな活動してるの?」って声をいただきまして、今回からは過去にやった企画のレビューを連載企画としてやってこうと思います。
今回は記念すべき最初の企画であるラブコメの最終回について話し合った回を特集します。
↓前回の記事はこちら
我々とこがくの最初の企画は「ワセダの人科生、ラブコメについて、語る。」という2020年5月のものです。もう2年以上前なんですね。はやいなぁ…
いきさつ
漫画やアニメのジャンルにラブコメってありますよね。私も好きでよく読むのですが、ひとつだけ癪に触る展開がありました。それは最終回で数年時が流れて結婚する例のアレです。1話前にやっとこさ告白して恋愛成就したと思いきや、最終回でいきなり時間が流れて主人公カップルの結婚式・披露宴でドタバタする例のアレです。
当時『ニセコイ』で小野寺小咲ちゃんを応援していた私は、彼女が最終回と最終回付近で受けた仕打ちに大変心を痛めており、その傷は癒えることがありませんでした。
特に最終回の仕打ちが納得いきませんでした。なあ小咲よ…お前がマジカルパティシエやっていたのはこんなことをするためだったんか…!?これがパティスリーONODERAのケーキですか?もうマジカルパティシエが本編でいいよ…(記憶の混同)
あとは未来のアレね…ドラえもんじゃないんだから…飛行機でも新幹線でも車でも方向あってたら大阪に着きます!じゃねえよ……小咲が今幸せにならなきゃ意味がないだろうが!(憤怒)
※ここはわかる人だけわかってください
そんなわけでひとつの疑問が生まれました。それは小咲にとっていちばんの幸せは主人公と結ばれることなのか?結ばれる=結婚ってラブコメくんはそれしか芸当がないんか?永遠に結ばれることの証明は結婚(翻って死に別れ)しかないんか?このロマラブイデオロギーの権化がよぉ…、というものでした。
ラブコメ(男視点)のゴールはヒロインとくっつくことですが、その描きようが告白即結婚ばかりなのは少し寂しいように思います。てか気になるのは普通に告白してからじゃない!?え、少年誌ではアウト!?ラブコメは俺に何も言ってはくれない…
ということでラブコメの終わり方について考える企画が爆誕したのでした。
永遠の愛の証明は結婚しかないの?
最初のテーマは「永遠の愛の証明は結婚しかないのか」でした。最終回で結婚したり子孫残したりするのは少年誌でありがちですが、他にどんな終わり方があるのか、という議論をしました。
ひとつはヒロインが死ぬ場合です。生きて結婚するよりは死んで永遠の存在になった方が純度が高そうです。現実に永遠なものなんてないのですから、ヒロインを死なせるってのが感動できて永遠が担保される、一石二鳥な終わり方かもしれません。病死や事故死が一般的ですが、最近は他殺もあります。徐々に弱っていく病気とは違って殺されるのは突発的で虚無感とか喪失感が出ますね。あと事故死より他殺のほうが本人の過失がなさそうです。後は犯人は誰かとか考察が捗ってエンタメ性が増しますね。
ですがここでひとつの問題が発生します。ヒロインを安易に死なせていいのかって問題です。ちゃんと統計取ったわけじゃないですがラブコメで死ぬの大体女の子じゃないですか?
あと別件ですがドラマでもヒロインの女の子の心にトラウマを植え付けるために気軽にレイプ・セクハラされることあるじゃないですか。これよくない傾向だと思うのですよ。女の子ばっか酷い目に遭わすんじゃねえよ…!
女の子が安易に酷い目に遭うの、可哀想だから良くないって次元の前に、物語を進行させるコマとして雑に処理されるとメタい視点に入っちゃうんですよね。バトルもので人死ぬのはいいんですけど、恋愛・日常ものだと没入できない自分もいます。まぁヒロイン死んだら号泣するんですけどね。
ハーレムものが見れない!
そもそも告白がゴールで、そこから結婚までがキングクリムゾンされるのはどうかと思うのです。さらに結婚が恋愛のゴールみたいになってるのも理想の押し付けすぎに見えます。むしろそっからはじまりじゃん!?
最近はスピンオフで結婚後の暮らしが描かれる『元高木さん』や、ウルトラロマンティックから告白のあとしまつを目一杯やってくれてる『かぐや様』がありますね。私は当時『かぐや様』、めっちゃ好きでした。告白後のAtoZをあそこまでやってくれる漫画は稀有でしたから。『かぐや様』の画期的なところは、お互い好き同士なのに相手のことが好きなことを認められなくて相手に告白させようと恋愛頭脳戦に興じるところです。要は選ばれないという「負け」が無いにもかかわらず、ラブコメとしての恋愛の駆け引きは楽しめるのです。これはラブコメ界のパラダイムシフトともいえるのではないでしょうか。まぁ恋愛頭脳戦やってたのは最初期だけなのですが…
当時はラブコメNo. 1は『かぐや様』か『五等分の花嫁』か、みたいな論争がありました。私は今では映画を複数回見にいくくらいには『五等分の花嫁』好きですが、当時は圧倒的に『かぐや様』派でした。告白後を描いてくれてる分もありますが、より明白な理由は、私が複数ヒロインから1人を選ぶ、いわゆるハーレムものが見れなくなったんですね。法律変えて重婚するエンドもなくはないですが、選ばれない子が存在する世界、選ばれるためにバチバチする展開が体に悪く、結ばれる相手が確定してる出来レースものしか身体が受け付けなくなりました。
でもこれって自分だけじゃなくて世間的な潮流でもあると思うんですよね。『高木さん』を筆頭に最近のラブコメ界を席巻している「〇〇さん」シリーズですが、ヒロインがその〇〇さんなので女の子同士の争いが起きません。あっても噛ませみたいなもので、私はこのジャンルをエクスカリバー(約束された勝利の剣)ものと呼んでます。あるいは無痛ラブコメとか。
その弊害として去勢系主人公が爆誕したのが昨今のラブコメ界の嘆かわしいところですが(出来レースをいかに引き伸ばすかが鍵なので)、当時はそこまでじゃなかった記憶があります。
百合っていいよなぁ…
結婚が王道のゴールとなる異性愛ラブコメに比べて、女の子同士の百合はその結末が多様なように思えます(BLも良いですがオメガバースとか話が長くなるので今回は割愛します)。もちろん同性婚できるならするべきだと思いますが、結婚に縛られないマルチでより情緒的なエンディングが存在するというのもまた百合の魅力かと思います。
ひとつ作品を取り上げるなら『桜Trick』でしょう。アニメではOPの謎ダンスや毎話キスするノルマから、いともたやすく行われるえげつないキスが大変な評判を呼びましたが、『桜Trick』は漫画に真骨頂があります。すごいのは作中にメイン3組を含め複数のカップルがいるのですが、それぞれに合わせて違ったエンドを用意してるんですよね。そのくらい普通?いやいやここまで綺麗に用意するのって至難の業だと思うんですよ。最終巻だけ一家に一冊あっていいレベル。タチ先生は『双角カンケイ。』といいかなりお話の力量が高いようにお見受けします。
異性愛の場合は異性に対する「好き」の気持ちがそのまま恋愛の”好き”に直結することが多いですが、百合はいくらかの葛藤があります。『桜Trick』の場合は「キスをする特別な関係」をどう表象するかをめぐって対立が生じます。キスをする、かけがえのない特別な存在を恋人と呼ばずになんと呼ぶのかと言う気もしますが、恋人と認めるにはまだ勇気が足りないなんてこともあるようです。前述の「〇〇さん」シリーズは2人間で”好き”かどうかをやり取りするゲームですが、百合はその「好き」がどんな「好き」なのか自覚していくという気持ちの変質に主眼が置かれてます。ハーレムものが「選ぶ恋愛」というならさしづめ百合は「移る恋愛」と言えるでしょう。(百合に限らずですが)あるいは恋愛じゃないこともあるかもしれません。
おわりに
このような話をした後、参加者からこんな終わり方のラブコメがあるよ、とか恋愛じゃない男女の強い結びつきの例だとか、ラブコメによくある「思い出のペンダント」ってなんなん?とか「自己実現できた奴が勝ちだよね」とか、『ニセコイ』の愚痴とか、いろいろと有意義な議論ができました。とこがくのいいところは脱線したらしたらでかまわなくて、議論が盛り上がる方向に身をまかすことができるところですね。
こんな感じで各々好きなことを好きなように喋っていくってのが本サークルです。ジャンルはなんでもOKで、次回以降の振り返りでは企画のバラエティーを見せることができたらなと思います。
ラブコメの今後の展開にますます目が離せませんね!(適当な締め)
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