見出し画像

SS「書物守」(書籍収録作品)

この小説は2,855文字です。

本作品は2023年発売のショートショートアンソロジー『カプセルストーリー』収録作品ですが、自身の作品であればオープンな場に転載可能との取り決めのため公開することといたしました。
本編の後に書籍のご紹介をしております。あわせてお読みいただけますと幸いです。

 もうどのくらい砂漠を歩いてきたのだろう。すでに水も食料も尽きた。

 砂漠の岩窟にあるという伝説の書物庫を目指して旅をしてきたが、いまだそれらしいものは見あたらない。それらしいものどころか、砂以外のものなどどこにもない。どちらを向いても同じような風景で、進む方角が合っているのかどうかも定かではない。

 びゅうと風が吹き、乾いた砂粒が飛んでくる。視界が砂の色に染まる。急いで頭からマントを被り、砂嵐が去るのを待った。

 風がやんだのを確かめて、おそるおそる顔を覆っていたマントを剥ぐ。

 目の前に、ぽっかりと口を開けた岩窟があった。

「おぉ……」

 思わず声が出た。

 砂に足を取られつつも、歩き疲れた重い体をどうにか前に進める。急がなければまた砂嵐とともに消えてしまう気がした。

 無事に岩窟に足を踏み入れると、今度は不安が湧き上がる。これはただの洞窟で、書物庫などではないのではないか。

 だが、すぐに不安はなくなった。

 真っ暗闇であるはずの岩窟の中に点々と灯りが見える。壁に掘られた棚にランプが置かれている。ずっと奥まで続いているようだ。まだ一冊の本も目にしていないが、これが書物庫でなかったらなんだというのだろう。

 さらに奥を目指そうと足を踏み出した瞬間。

「うわっ!」

 一人の男にぶつかりそうになった。いつ現れたのか全く気付かなかった。

 男は足下が隠れるほどに長い一枚布の服を着ているが、それでもひどくやせているのは一目瞭然だった。髪も眉もなく、眼球は白く濁っているように見える。ランプの明かりだけでも肌が異様に白いのがわかった。

 男の、色のない唇が開かれた。

「ようこそ、砂漠の書物庫へ」

 老人かと思ったが、声は若々しい。

「ああ、やはりここは伝説の書物庫なのですね!」

「いかにも。よくぞいらした。書物守しょもつもりとして中をご案内しよう」

 そう言って書物守は岩窟の奥へと歩き出した。

「ここには世界に一冊ずつしかない本が集められていると聞きました」

「まさしく。同じ本はどこにもない。そして同じ作者によるほかの物語もどこにもない」

「それはすばらしい! 私は吟遊詩人なのです。誰も聞いたことのない物語を求めてまいりました。人々に伝えていきたいのです」

「できるものならいいのだが」

「どういうことですか?」

 書物守は問いかけには答えず、石像の前で足を止めた。 壁沿いにずらりと石像は、今にも動き出しそうなほど精巧にできている。

「これは……?」

「書架だ」

「書架? 本棚なのですか? 石像が?」

 たしかに、石造りの人が革表紙の本を抱えている。まるで「読んでください」といわんばかりに、こちらに向かって差し出す仕草をしている。

「変わった書架ですね」

 作者の姿をした石像なのだろうか。一体につき一冊の本を抱えている。どれも分厚い。いくつか手に取ってみて、あることに気がついた。

「書名はあるのに、作者名はないのですね」

「だって必要がないでしょう。どれも一冊しかないのだから。同じ作者の本を探すこともない。さあ、先は長い。急ごう」

 書物守は振り向かずに奥へ奥へと向かう。

 どの本を読むのかは後でじっくり決めるとして、慌てて後を追った。

 奥に進むにつれ、石像だった書架はいつしか人形になっていた。触れれば肌のぬくもりを感じられそうな造りだ。けれども、おそるおそる触れてみれば、やはりそれは人形のつるりとした硬い感触だった。

「ここの本は、先ほどとはまた違いますね」

 石像が持っていたのは革表紙の分厚い本だったが、人形が持っているのは上製本といわれるしっかりした厚紙の表紙の本だ。

「奥へ行くほど若いためだ」

「若い?」

 本に対して使う言葉とは思えない。しかし、書物守はそれで説明は済んだつもりらしく、さらに奥へと進む。

 次に現れたのは、なんと猿だった。本を持った白い毛並みの猿が壁際に並んでいる。しかも生きている。

「あの、まさかこの猿たちも……」

「書架だ」

 たしかに猿たちは生きてはいるが無言でおとなしい。持ち場があるのか、寄ってくることもない。こちらが目の前に立ち止まった時にだけ、持っている本を差し出してくる。これまでの本ほどの厚さはなく、糸で綴じただけの簡易製本だ。表紙も本文とさほど変わらない厚さの紙でできている。

「ああ、先ほどあなたが奥へ行くほど若いとおっしゃったのは、本の製本のことなのですね」

 ようやく腑に落ちた、と思ったのだが、書物守はゆっくりと首を横に振った。

「物語として若いという意味だ。作者としての若さと言ってもいい」

「どういうことですか」

「誰にでも一冊の本が書けるというが、書いた結果がこれだ。己の中の物語を出し切ってしまえば、残るのは抜け殻だけ。作者のなれの果てがこれだ。出せば出すほど生から遠のく。壮大な大長編を書けば石像に、軽い読み物であれば猿のように命のかけらが残っている」

「それでは、書架と本を合わせて一人の人間ということなのですか?」

「まさしく。人は物語であり、物語は人である。吟遊詩人よ。あなたもその物語を求めて来たのだろう」

「私はただ……。いや、そんなことよりも、あなたは他人にそんな命がけのことをさせて平気なんですか!」

「平気かどうかは問題ではない。私が書物守として着任したときにはすでにこの様だった。それに、私だって書いている。私の中の物語をね。これらの本を守る人が必要だから、どうにか耐えてきたのだ。だが、それも今日までだ」

「どういうことです?」

「ずっと待っていたのだ。次の書物守が現れるのを」

「私は書物守になどなりません。世界に一冊だけの本を広める吟遊詩人です」

「書物守が不満なら、好きなように名乗って構わない」

「そういうことではない。これでは墓守だ。本と作者の屍を守る役目だ。私は物語を紡ぐ者。引き受けるものか」

「いや、あなたは引き受ける。本の、物語の重みを知っているから」

「これからもあなたが続ければいい」

「だから、私はもう……」

 書物守が突き当たりの壁の砂を払うと、布が現れた。そこは壁ではなく、砂を被った布だったのだ。書物守は、その布をも剥ぐ。

 そこには、本の山があった。

「こ、これは」

「私の本です。私が書いた物語です」

「一人一冊ではないのですか?」

「私はそれで終わりたくなかった。時間もたっぷりあった。どうです? 誰よりも出し切った。誰よりも立派な物語でしょう」

 そう言い残し、書物守は砂になって消えてしまった。


      *


 そうして私は、ここの書物守となったのです。

 あれから長い年月が経ちました。本は読み放題ですが、吟遊詩人だった頃のように人々に伝えることもできません。私は物語る者なのにです。私は自分でも書いてみたくなりました。

 ええ、書きましたよ。時間はいくらでもありましたからね。

 ほら、先代の書物守よりも立派な物語でしょう。

 もう私の中に伝えるべきことはひとつたりとも残っていません。

 ああ、指先が砂になっていく……。

 それでは、旅の方。立派な書物守となってください。あとは頼みましたよ――




このショートショートは電子書籍ショートショートアンソロジー『カプセルストーリー/青』に収録されています。

『カプセルストーリー』についてはこちらの記事でも詳しくご紹介しております。