夫の海外赴任に帯同!|大手食品メーカー退職への道
今回の記事は大学院を卒業して新卒で大手食品メーカーに入社したものの、約5年で退職したという話。
自分で言うのもあれですが、岩手に生まれ、京都大学に進学し大学院を卒業。
田舎育ちにしてはエリートコースを歩んできて、多分この先もエリートコースを歩んでいくはずなのに、ここで大きな肩書(と将来性?)を失うことになる。
海外に限らず転勤族のご家庭だったり、片方が出張が多かったりするとやはり「共働き」ってなかなか難しい。
「会社員」としてこの先生きていくのかなと漠然と思っていたので、入社早々に家庭とキャリアの両立にぶつかるとは思ってもいなかった。
ということで、本記事はこのタイミングでどんなことを考えて、どんな選択をしたのか。
過去の自分の選択を問われたときにちゃんと答えられるように、ここに言語化しておきたい。
大手食品メーカーでの仕事
大学院卒業後、大手食品メーカーへ就職。
希望していた水産物の仕入販売を行う部署に配属となり、営業を希望していたものの1年目は販売事務の業務がメインだった。
2年目以降はたまたま年の近い先輩がおらず、担当商材を任され水産物の仕入販売に全国を飛び回ることとなった。
水産物といえど水揚げされてすぐスーパーに並ぶものだけではない。
例えばエビだったら殻が剥かれているものもあるし、貝類も貝殻が剥かれているものがある。
わたしの仕事は水揚げ後、洗浄や殻などが剥かれたものを水産加工会社から仕入れて、大手スーパーや回転寿司をはじめとした飲食店への販売が主要業務だった。
仕入れるためには加工場所が清潔で安全な場所か、加工後の商品の衛生基準はどうかなど品質をチェックしたり、加工後の商品を販売するために商品の外箱のデザインを作成したり一括表示を作成したりと多岐にわたる業務を経験。
その経験はその後も、水産品を使った加工食品をはじめときた商品開発に活かすことができ、現在の離乳食セミナーの内容にも盛り込んでいる。
非常に充実した会社員生活を過ごしていたが、入社して約4年が経ったころに夫の海外赴任の話があり、退職を考えることに。
夫の海外赴任
結婚式・新婚旅行を終えて落ち着いた頃に夫のニューヨーク赴任の話が浮上。
もともと最初の海外赴任は「研修生」という立場のため、期間は1年〜1年半。
当初このくらいの期間なら別居婚でもいいかなと考えていた。
まず、ニューヨークという街に興味がなかった。
元々田舎生まれのこともあり、東京のような大都市は苦手だったので、行ってみたいとも思わなかった。
そして勤めていた会社に帯同による休職制度は残念ながらなかったが、ホワイトで残業もほとんどなかったし、自分の裁量で売上の数字を作ることに達成感を感じていたし、何よりも周囲の人間関係に恵まれていて上司からの信頼もあって居心地が良かった。
それでも手放そうと思った理由があった。
退職を考えたきっかけ その①
会社のいろんな人に夫のニューヨーク赴任の話をしたところ、全員が口を揃えて「自分だったら一緒に行く」と言ったこと。
会社は20代〜60代くらいと幅広い年齢層の集まるコミュニティで、先輩方は仕事はもちろん家族のことまで、自分には追い付けないほどの経験をされている。
なので幅広い年齢層の先輩方に相談してみたところ、あまりにもみんな同じような回答をしたので、「もしかしたらニューヨークって自分が知らないだけでものすごく魅力的な何かがあるのかもしれない」と思うようになった。
退職を考えたきっかけ その②
単純に自分で事業を起こすことに興味があった。
岩手の実家は自営業で小売店を営んでおり、会社員として働いてはじめて自営業の大変さを理解できた。
様々なリスクを抱えながらも、それでも地域振興のため、そして何よりも自分のやりたいことを貫く父の姿がかっこいいと思い、憧れを抱きつつも、会社員として働きながらビジネスを起こすのはなかなか難しく、考える時間も行動する時間も作ることができなかった。
「新しいものを得るには、失わなければならないものもある。」
「このタイミングはもしかして今なのか…?」
「会社員」を手放すことで、何か自分の中で気づきが生まれるのではないかと思い始めた。
退職を考えたきっかけ その③
幸い、勤めていた会社にはジョブリターン制度があったこと。
ジョブリターン制度とは諸々条件はあるが離職後10年間、再雇用の対象となること。
同じ仕事はできないかもしれないけど、この会社にまた戻って来れるなら今手放してもいいかなと思い始めた。
いざ、「会社員」という肩書を手放し、ニューヨークへ。
上記の理由から退職し、夫と共にニューヨークへ行くことを決意。
会社の上司を中心に、周囲の人からは
「今後のキャリアは考えてるの?」「もったいない」など様々な言葉をもらったが幸い全く響かなかった(笑)。
というのも自分の中で、
という、謎の自信があったから。
もちろんこの時点で、ニューヨークに行ってからやりたいこと、できることなんて全く決まっていなかったし、渡米数日前まで働き、バタバタと準備に追われており、全ては向こうに行ってから考えようと思っていた。
先の見えない、実現できるかもわからない将来のことよりも、素直に「今」を全力で生きたいと思い、「会社員」という肩書と「収入」は失ったものの後ろ髪を引かれる思いなどは全くなく、ニューヨークへ。
次回以降の記事は、結果としてニューヨークで見たヒト、モノ、コトが自分の価値観に大きな影響を及ぼし、今もなお、ニューヨークマインド(わたしの勝手な造語)で取捨選択をして生きているわたしについて書いていきたいと思います。
ここまで長文を読んでくださりありがとうございます!!
それでは、また!