フィールドノート②/1995.4.2.
入寮した次の日から霜星に居続けをした。3日間(3/30~4/1)を留守にする。昨日はK.Kちゃんのお誕生日コンパ(部屋コンパの形)でいろいろな人と話をした。1次会で、主にNさんとFくんとした話は以下の通り。
恵迪生の信頼感について。
机の上にポンと財布を置いて出て行っても平気。それは、盗むような奴がいないと信じているからで、盗まれる、という想定をほとんどしないという。また経験的に、今まで起こった盗難は主に寮外の人による、とのこと。(ホントウかな?)
事務との関係について。
かなり不信感が強い。事務/大学当局は、今ある寮の状態を壊して、自治会というプレートに隠された形ではなく、大学当局による寮生個人の直接管理をしようとしている、と思っている(と信じている?)。
本当にそうなの?今でもそうなの?という問いかけへの返答は弱い。今まで実際にそうだったしね、とうことが上記の信念の主な根拠で、歴史的な経緯に信念の多くを負っている。ただしその経緯は直接体験したものではない(上の人から教えられたもの?)。
わたしの考えとして、恵迪側にも当局側にも霜星と比べて歴史がありすぎて、それが今日の態度決定に影響を与えるのだろうか、と思う。
個人主義について。
恵迪では個人主義というコトバには、一種特別の意味があるのかもしれない。B棟(?)の、部屋替え(註1)を拒否し個室を続ける人々のこと。
年々変化する寮生の意識について。
5年目のNさんと2年目のFくんの代では、かなり意識が違うらしい。Fくんの話では、Fくんの代になると自分の生活を大事にするタイプの人がむしろ多い、とのこと。
Sさんはすごく穏やかでいい人、温和な人だと思う。だからそのSさんが3/31の朝、電気メーターの点検に入った事務の人に、聞こえよがしに悪口を怒鳴っていたのはびっくりだ。なぜそんなに敵視するの?内部と外部か、あるいは大学当局だからなのか、それとも自分らのあり方をおびやかす要因となるものは排除しようとすることなのか、ならその守りたい自分らのあり方とは何なのか、それともそんなものはなくて、習慣化された思考のパターンなのか。
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pm7:00頃から、炊務部によるスペシャル(共用棟食堂)(註2)の販売、8:30~9:30(?)寮歌指導。8:00~アルバイト紹介、荷物・書留のお知らせ。面接(註3)は午前から夜まで、都合のよい時間でさえあればやっているようだ。入銓も大変。
新入寮生が寮に到着すると、事務室からアピールがあって、新入寮生の自己アピールに続き、彼を欲しい部屋の人は事務室へくるように言われる(※前稿参照)。ある種、新入寮生の最初の試練かもしれない。新入寮生が部屋を選んでいるようで、実は部屋が新入寮生を選んでいるのかもしれない。
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勉強部屋にて、SとKくんと話をする。以下は主にKくんによる話。
自主入銓(註4)
反対が多い(?)。今期の方針(註5)はそれで揉めて否決された。部屋入り(註6)の時は揉めてpm10:00~am5:00までかかった。なぜ揉めたかというと、反対が多かったからだ。
負担区分(註7)
9割がたは今でも負担区分実施に反対である。Kくんは実施してもいいんじゃないかと考えているが、そういう人はほとんどいない。備品にしても、税金から出ている訳だから丁寧に使って長持ちさせなければ、何も言えたものじゃないですよ、との言。
補談(註8)にて、Aちゃんと話をする。以下はAちゃんによる話。
霜星から来た子とそうじゃない子の違いは?と聞いたら、そうじゃない子の方が順応が早い、ということだった。霜星から来た子は、なまじ寮生活を経験しているだけに違いに目が行ってしまう。そうじゃない子は、何もないところに素直に吸収していく。とのこと。
現在まで、恵迪で暮らしてのキクチの感想。
すべてがアバウトだ。何となく物事が決定され何となく進められていく。例として、新入寮生をどこの部屋(部屋サークルの方じゃなく、勉強部屋とか寝部屋とかの方)に入れるか、や、部屋費(註9)の徴収や、部屋で使う消耗品の購入や、エッセン(註10)のやり方、等。霜星はシステマティックにすべてが予めやり方として決められているから、そのつもりが残っていると、大変やりにくい。それから日常生活のレベルでは、部屋が単位であること。つまり、日常生活において部屋の独立性(独自性?)が高いこと。しかし、恵迪生は部屋にアイデンティファイしている訳ではない。「寮」にアイデンティファイしている(←本当?多分)。
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今日あたりから慣れてきた気配。しかしわたしは中途半端な存在だ。新入りでもあり、新入りでもなし。何も知らないでもなく、何か知ってるでもなし(←これはAちゃんも言っていたなあ)。明日、面接。20:20~。
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第一回恵迪ファンのつどいに関するビラをもらう。寮歌指導?~?、酒話会?~?。後で新歓行事予定を見てこよう。
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(註1)恵迪寮の集団単位「部屋」は、期が変わるごとに(執行委員会の任期。半年で選挙を経て変わる)全寮的にシャッフルが行われる。それが「部屋替え」。メンバーを入れ替え、住む場所も替える。寮生同士の広く親密な人間関係構築の理念からずっと行なわれているが、個人生活の独立性の観点からこれに反対する立場の寮生もいる。B棟はいわばその立場の人たちの牙城で、むしろこの主張から、同じメンバーで同じ場所にいることを趣旨とした「部屋」を形成しているのである。
(註2)炊務部は執行委員会の部会のひとつ。炊事担当。恵迪寮には食堂がない。食堂の廃止は新々寮建設に象徴される大学と寮の闘争と深く関わっており、「個人を分断する」「福利厚生的側面を損ねる」と批判される。寮生は共同のキッチンで自炊をする訳だが、炊務部はカウンター活動として食事を作り、共用棟にテーブルを並べて食堂に変身させ、寮生に振舞う訳である。この食事が「スペシャル」。
(註3)「面接」は入銓委員がやる一種の新入寮生の「通過儀礼」。この詳細については後ほどの稿で。
(註4)入寮選考権は大学と寮自治会の長い闘争のテーマのひとつ。大学が入寮の選考をするのが「当局入選」、寮が行うのが「自主入銓」。自主入銓を行っては大学に募集停止や閉鎖を食らった経験が歴史的には何度もあり、難しい問題だが、その是非については寮生の心中も複雑。「銓衡」と「選考」は同じ意味だが、当局と区別する意味で漢字を使い分ける。
(註5)半年に1度寮長選挙があり、それに伴って執行委員が代替わりする。執行委員は自分たちの期の初めに寮運営の基本方針を立て、代議員会の承認を経て、基本方針に則って運営を進める。
(註6)基本方針を承認する寮生会議に先立って、部屋ごとに部屋会議が行われ、基本方針について検討する。その際執行委員から1名が部屋会議に出向して説明や質疑応答を担当する。そのことを「部屋入り」という。
(註7)負担区分問題も大学との大きな闘争テーマ。負担区分とは、寮生活に関わる費用について大学と寮生とで負担する部分を区分し、寮生負担部分は個々人から徴収するという制度。導入当時大学側は、個人の居室にメーターを付けて検針し個人に直接請求するという方法を取ったので、「直接統治」「寮のアパート化を招く」と大批判・大反発が起こり、他の事件とも絡んで事務員の排除に繋がった。闘争の末、大学がトータルの請求書を自治会に出し自治会が寮生から均等に徴収してまとめて支払い、という形で決着を見た。本文中、Sさんがメーター点検の事務員に怒鳴る、という行為も、そういった背景がある。
(註8)「補食談話室」の略。食堂がない代わりに、キッチンと集会室の混じったような部屋がブロックに1室備わっている。この部屋が大体、「部屋」の寛ぎの場、「居部屋」になる。
(註9)部屋全体に関わる費用のこと。部屋によって、どこまで共同負担として集めるか、徴収の仕方、支出の仕方などにバリエーションがある。それは部屋の共同意識のあり方と強く関わっていると見たので、その点も卒論中で考察した。
(註10)ドイツ語で「食事」の意味で、寮での食事を指す。旧制の寮時代にできた言葉でその頃は寮食堂で提供される食事のことをそう呼んでいたが、前述の通り食堂は廃止されたため、その後は部屋で共同または当番制で作る食事や、炊務部の提供する食事を指す言葉となった。
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※註で記述している現在形は、1995年当時の現在形。今の恵迪寮や北大の内情はよく知りません。
※カバーフォトは本文とあまり関係ないけど、霜星寮の寮祭のワンシーン。餅をついているのが先輩で、返している全身デニムがわたし。餅つきの臼と杵は恵迪寮から借りてくる。後ろの車は運んでくれた恵迪寮生の車。恵迪には元寮生の北大教授が酔って中に小便をしたといういわくつきの「N臼」(※Nは教授の名前)という臼がもうひとつあり、そっちの方は使用禁止の出禁。