フィールドノート①/1995.3.29.
今日、恵迪へ引っ越しをした。A3(註1)に入った。荷物をNさんとKくんとAちゃん(註2)が霜星まで運搬に来てくれて、Nさんのバンで一気に運んだ。恵迪に着くとA3の人みんなでもって荷物をA3に運んでくれて、わたしはAちゃんに連れられて事務室(註3)に行った。そこで一応のチョイス・イン(註4)があった。事務室にいたのは入銓(註5)委員長のHさんと入銓委員のYさんとあと寮長さんと他2人くらい。Aちゃんがうながしてくれたんだけどなかなか始まらなくてしばらく待った。
Hさんが全館にアピールをかけてわたしがご挨拶を喋らされたんだけどマイクが入ってなくてもう1回同じことを言った。内容は、新入寮生であることと霜星から来たことくらい。それに続けてA3に入ることになってます、ということを言ったら、それはいけなかったらしくて、Hさんがわたしからマイクを取って、今のは間違いです、まだ決まっていません、来て欲しい部屋の人は事務室に来るように、ということを言って切った。
来たのはE3の人だけだった。それは寮祭の時A5で会ったNちゃんの後輩の岩手出身の男の子だった。名前まだ知らない。(※欄外に「この子はFくん。チーと呼ばれている」と付記がある)そしてその子がE3の紹介(宣伝?)をさせられて、AちゃんがA3の紹介をさせられて、わたしがA3に入りますと言って、終わった。
ちょうどわたしの前に座ってた名前の知らない人が、4/5(?)にもう一度本当のチョイス・インをやるから、と言ったけどHさんはもうこれで決定、みたいなことを言っていて、結局どういう扱いなのかよく分からない。Aちゃんの話では、そのままA3にいてもいいし他の部屋がよくなったら変えてもいい、ということだった。とりあえずその決定はすべて新入寮生の意思に委ねられているらしいので、そのままA3にいるつもりで、荷物を全部片づけてしまうことにした。
事務室の雰囲気は、無関心あるいは字の通りの傍若無人。わたしがいても気にも留めずに自分のことをやっているという感じ?自分のこと、と言っても、寝転がっていたり漫画を読んでいたり仕事していたり、なんだけど。こっちに目も寄こさないし声もかけない。それでしばらく待たされた。
わたしの入った部屋は、勉強部屋がSとKくんと一緒、寝部屋がSと一緒で、複数部屋(註6)の形式。机、本棚、ロッカー、ベッドの引き出しを拭くこと、荷物を入れることをやって、結局全部片づけることができた。
9:30くらいにお風呂に入った。YちゃんやSによるお風呂掃除マニュアルとかお風呂の伝言板とか読んでいると、女子の皆さんがいろいろ工夫していることが読み取れる。女子入寮が開始してから半年の間に、どんどんいろんなことが変わっていったんだろうなあ、と思う。
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恵迪はすごく人の気配が濃密だ。背中にすごく気配を感じる。最近こういう複数部屋形式とか人の中で暮らすことから遠ざかっていたので、すごく慣れない。緊張する。お掃除していた時、スリッパを片ちんばで履いて、自分でそれに気づかなかった。ほんとに落ち着いてないんだと思う。動悸はするし手に汗はかくし。
お風呂に入っていた時、何だかみんな夢のような気がした。自分が本当にこういう状況に自分でしてしまったのかと。すごく嘘くさい。自分がこれから恵迪で暮らしていくのかということが信じがたい。1年も。あるいは、その先も。
多分ずっと霜星に暮らしていれば、一番楽で簡単だったのだと思う。そしてそれもできたのに。因果なことだ。それでも自分がまだ霜星の個室に暮らしている人のような気がする。すごく感傷に近い。大学に入学して、初めて1人で札幌に来た頃、霜星に入寮した頃のような、それにすごく似ている。新しい環境に入っていくときは、きっと、いつでも同じなのだろう。この先、どれくらいこういうことがあるのかな。
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今日までに覚えた人。
Kくん。同じ部屋の1年生。Nさん。同じ部屋の4年目3年生(註7)、農工。Y・Sさん。同じ部屋の5年目3年生、教育。K・Kちゃん。同じ部屋の1年生、理Ⅲ(註8)。Sさん。A4の1年生。Iくん。2年目1年(?)、この間の寮長選で落ちた人、入銓委員。Yさん。E3の4年目卒業?わたしが寮務(註9)をやっていた時、寮長さんだった人。Mさん、E3、あとは不明。前A5にいた。
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8:00~9:00(?)寮歌指導。
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(註1)恵迪寮の建物はA~Fの6つの棟と中央の共用棟Gからなり、寮生はA~Fの1~5階で暮らす。Fは大学院生と留学生の棟で、自治会には加入していない。恵迪寮の居住・グループ単位「部屋」は居住する場所の名前で呼ばれており、アルファベットが棟名、数字が階数。ひとつの階は「フロア」と呼ばれ、フロアはさらに中央の階段を境に2分されて、「内側」「外側」と呼ばれる「ブロック」に分けられる。「A3」は要するに、A棟の3階。この後登場するアルファベットと数字は同じ意味。
(註2)霜星寮から移住した同級生。この時わたしは3年生(4月から4年生)、霜星寮からの移住生はみんな同級生で友達。わたしは半年遅れて移住したので、みんな言わば先輩。この後「ちゃん」付けで登場するのはみんな女の子、特に〇年生と書いてなければ大体は霜星からの移住組の同級生。
(註3)恵迪寮の事務室にはそれまでの闘争の経緯により大学の事務職員はいない。寮自治会執行部がいつもいる。執行部もひとつの「部屋」を構成している。
(註4)新入寮生の入る「部屋」はあらかじめ決まっていない。チョイス・インでこの新入寮生を獲得したい「部屋」同士の争奪戦となる。わたしの場合は霜星寮にいる時に話をつけていたのと女子の入れる「部屋」が建前上決められていたので、入寮前にA3に入ることが決まっていた。でも建前としては「チョイス・インを経る」ということになっていたので、制止された。
(註5)「入寮銓衡」の略。意味は「入寮選考」と同じだが、選考権をかけて大学当局と争った歴史があり、大学の選考と区別する意味で「銓衡」を使っている。寮自治会には入寮銓衡委員会があり、寮的には凄く大事。
(註6)恵迪寮は建物の構造は個室の寮なのだが、ブロック、フロアを単位として「部屋」という集団を作って暮らす。暮らし方には2つの形態があり、個室のまま暮らすのが「個室」、部屋の家具を移動して「勉強部屋」「寝部屋」「居部屋」などに分けて共用するのが「複数」。女子が混ざって暮らす「部屋」では、「寝部屋」は女子のみで使いあとは男子と一緒。
(註7)北大で一般的に使う言い方だが、恵迪寮は特に留年が多いので、この言い方がポピュラー。「〇年目△年」は、「入学してから〇年目、現在△年生」という意味。
(註8)その頃の北大は学部入学ではなく教養部に入学して3年生で学部に進学するシステム。教養部は文Ⅰ~Ⅲ、理Ⅰ~Ⅲ、医進、歯進、水産に分かれる。
(註9)霜星寮にいた時、2年生の前期に自治会執行部の一員を務めた。「寮務」は霜星では「執行部」と同意。この時に恵迪寮との女子入寮の話し合いが始まったので、恵迪寮の当時の執行部は見知っていた。
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※註で記述している現在形は、1995年当時の現在形。勿論、今の恵迪寮や北大の内情はよく知りません。